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【COGHCC聖書通読】 2018/10/23

2018-10-23 07:50:53 | 一日一章・聖書通読日記
マタイによる福音書 27:1-10

夜が明けると、祭司長たち、民の長老たち一同は、イエスを殺そうとして協議をこらした上、 イエスを縛って引き出し、総督ピラトに渡した。 そのとき、イエスを裏切ったユダは、イエスが罪に定められたのを見て後悔し、銀貨三十枚を祭司長、長老たちに返して 言った、「わたしは罪のない人の血を売るようなことをして、罪を犯しました」。しかし彼らは言った、「それは、われわれの知ったことか。自分で始末するがよい」。 そこで、彼は銀貨を聖所に投げ込んで出て行き、首をつって死んだ。 祭司長たちは、その銀貨を拾いあげて言った、「これは血の代価だから、宮の金庫に入れるのはよくない」。 そこで彼らは協議の上、外国人の墓地にするために、その金で陶器師の畑を買った。 そのために、この畑は今日まで血の畑と呼ばれている。 こうして預言者エレミヤによって言われた言葉が、成就したのである。すなわち、「彼らは、値をつけられたもの、すなわち、イスラエルの子らが値をつけたものの代価、銀貨三十を取って、 主がお命じになったように、陶器師の畑の代価として、その金を与えた」。

イエスを裏切ったユダは、祭司長たちが死刑にするためにローマの総督に引き渡そうとしている計画を知ると後悔し、自分が受け取った銀貨30枚を指し出して罪を精算しようとしました。しかし神に仕える祭司長たちであっても、人の罪を赦す権威はなく、ユダの申し出を拒絶したため、結局ユダは首をつって自殺することになりました。ユダは罪を告白すべき相手を間違っていたのです。人に対して罪を告白しても、決して赦されることはありません。人の罪を赦す権威は、天地万物を統べ治められる全知全能の神様にしかありません。

http://bible.com/81/mat.27.1-10.ja1955

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マタイによる福音書 27:15-26

「さて、祭のたびごとに、総督は群衆が願い出る囚人ひとりを、ゆるしてやる慣例になっていた。 ときに、バラバという評判の囚人がいた。 それで、彼らが集まったとき、ピラトは言った、「おまえたちは、だれをゆるしてほしいのか。バラバか、それとも、キリストといわれるイエスか」。 彼らがイエスを引きわたしたのは、ねたみのためであることが、ピラトにはよくわかっていたからである。 また、ピラトが裁判の席についていたとき、その妻が人を彼のもとにつかわして、「あの義人には関係しないでください。わたしはきょう夢で、あの人のためにさんざん苦しみましたから」と言わせた。 しかし、祭司長、長老たちは、バラバをゆるして、イエスを殺してもらうようにと、群衆を説き伏せた。 総督は彼らにむかって言った、「ふたりのうち、どちらをゆるしてほしいのか」。彼らは「バラバの方を」と言った。 ピラトは言った、「それではキリストといわれるイエスは、どうしたらよいか」。彼らはいっせいに「十字架につけよ」と言った。 しかし、ピラトは言った、「あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか」。すると彼らはいっそう激しく叫んで、「十字架につけよ」と言った。 ピラトは手のつけようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った、「この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい」。 すると、民衆全体が答えて言った、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」。 そこで、ピラトはバラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。‬

当時イスラエル一帯の統治を任されていたローマ総督ピラトは、イエスに何も罪をないことを認めながら無罪判決を下すことをせず、祭司長やユダヤの長老たちにそそのかされて暴徒化した群衆を恐れて、大罪人バラバを無罪放免し、何の罪もないイエスを十字架で処刑するために身柄を引き渡しました。そして彼自身はイエスの処刑について自分には責任がないと手を洗いましたが、歴史的な大冤罪裁判を行った者として、今日に至るまで語り継がれる汚名を着せられる結果となりました。ピラトの過ちは、自分で判断せず人の顔色を見て風見鶏のように態度を変える無責任、無関心の罪です。

http://bible.com/81/mat.27.15-26‬.ja1955

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マタイによる福音書 27:27-36

それから総督の兵士たちは、イエスを官邸に連れて行って、全部隊をイエスのまわりに集めた。 そしてその上着をぬがせて、赤い外套を着せ、 また、いばらで冠を編んでその頭にかぶらせ、右の手には葦の棒を持たせ、それからその前にひざまずき、嘲弄して、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言った。 また、イエスにつばきをかけ、葦の棒を取りあげてその頭をたたいた。 こうしてイエスを嘲弄したあげく、外套をはぎ取って元の上着を着せ、それから十字架につけるために引き出した。 彼らが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に負わせた。 そして、ゴルゴタ、すなわち、されこうべの場、という所にきたとき、 彼らはにがみをまぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはそれをなめただけで、飲もうとされなかった。 彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いて、その着物を分け、 そこにすわってイエスの番をしていた。

特にこれといった戦闘もなく、暇を持て余していた当時のローマの兵隊たちに流行っていた「王様ゲーム」という遊び?があったそうです。それは、仲間内で誰か一人をくじ引きで王様に仕立て上げ、一日中好きなことをさせて何でも命令に従う替わりに、翌日にはその人を殺すという残虐なものだったということです。十字架刑の判決を受けたイエス様も同様に、この王様ゲームの対象となったというのです。そんな彼らを尻目に、イエス様は後にイエス様の弟子に加わったクレネ人シモンとも関わりを持ち、麻酔薬を混ぜたぶどう酒を拒絶して、ただ黙々と十字架の道を歩まれました。私たちの罪をすべてその肩に担うために。

http://bible.com/81/mat.27.27-36.ja1955

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マタイによる福音書 27:45-56

さて、昼の十二時から地上の全面が暗くなって、三時に及んだ。 そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 すると、そこに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「あれはエリヤを呼んでいるのだ」。 するとすぐ、彼らのうちのひとりが走り寄って、海綿を取り、それに酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。 ほかの人々は言った、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」。 イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。 すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。また地震があり、岩が裂け、 また墓が開け、眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返った。 そしてイエスの復活ののち、墓から出てきて、聖なる都にはいり、多くの人に現れた。 百卒長、および彼と一緒にイエスの番をしていた人々は、地震や、いろいろのできごとを見て非常に恐れ、「まことに、この人は神の子であった」と言った。 また、そこには遠くの方から見ている女たちも多くいた。彼らはイエスに仕えて、ガリラヤから従ってきた人たちであった。 その中には、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、またゼベダイの子たちの母がいた。

十字架刑は傷口から徐々に血液が体外に流れ出て失血死するため、普通は一日以上、人によっては数日間生きていると言われます。しかしイエス様は約半日で息を引き取られました。これはすべての人類の罪を背負われた責任の重さを物語っていると思います。そしてイエス様が息を引き取られたとき、神殿の幕すなわち大祭司が年に一回だけすべての人の罪を購うために入る至聖所を隔てていた厚さ数センチもある緞帳のような幕が真っ二つに裂けました。これはキリストの十字架によって、誰でも、いつでも、神様の御前に罪の赦しを得るために進み出ることができるようになったことを表しています。そして地震が起こり、墓に葬られた聖者たちが生き返る一部始終を見届けたローマの百卒長と番人たちは、イエス様こそまことの神の子であったとの信仰告白に至りました。イエス様の十字架の真実を見た人にこそ、まことの救いが訪れます。

http://bible.com/81/mat.27.45-56.ja1955

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マタイによる福音書 27:57-61

夕方になってから、アリマタヤの金持で、ヨセフという名の人がきた。彼もまたイエスの弟子であった。 この人がピラトの所へ行って、イエスのからだの引取りかたを願った。そこで、ピラトはそれを渡すように命じた。 ヨセフは死体を受け取って、きれいな亜麻布に包み、 岩を掘って造った彼の新しい墓に納め、そして墓の入口に大きい石をころがしておいて、帰った。 マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓にむかってそこにすわっていた。

イエス様の十字架には関わりを持ちたくないと言ったピラトの元に、イスラエル最高議会の議員でもあったアリマタヤのヨセフが大胆にも進み出て、イエス様の遺骸を葬りたいと申し出ました。彼こそがイエス様の死と復活に大きく貢献した人物として、後世に名を残す者となりました。人目を恐れず大胆に信仰告白する者こそ、天に国籍を持つに相応しい者となることができます。

http://bible.com/81/mat.27.57-61.ja1955

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マタイによる福音書 27:62-66

あくる日は準備の日の翌日であったが、その日に、祭司長、パリサイ人たちは、ピラトのもとに集まって言った、 「長官、あの偽り者がまだ生きていたとき、『三日の後に自分はよみがえる』と言ったのを、思い出しました。 ですから、三日目まで墓の番をするように、さしずをして下さい。そうしないと、弟子たちがきて彼を盗み出し、『イエスは死人の中から、よみがえった』と、民衆に言いふらすかも知れません。そうなると、みんなが前よりも、もっとひどくだまされることになりましょう」。 ピラトは彼らに言った、「番人がいるから、行ってできる限り、番をさせるがよい」。 そこで、彼らは行って石に封印をし、番人を置いて墓の番をさせた。

イエス様が捕らえられて逃げてしまった弟子たちとは正反対に、祭司長とパリサイ人たちは、イエス様が生前、3日後によみがえると言っていたことを思い出して、イエス様の墓に番人を置くようにと提案しました。同じことを聞いても、心の開かれていない頑なな者は、そこから真理を悟ることができず、永遠のいのちを手にすることはできません。私たちは御言葉に心を開いて聞く耳を持ち、真理に目が開かれ、永遠のいのちに与る者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/mat.27.62-66.ja1955
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【今日の聖句】 2018/10/23

2018-10-23 06:35:00 | 今日の聖句
エレミヤ書 1:5 新共同訳

わたしはあなたを母の胎内に造る前から
あなたを知っていた。
母の胎から生まれる前に
わたしはあなたを聖別し
諸国民の預言者として立てた。

神様は私たち一人一人に目的を持ってこの世に生まれさせてくださるお方ですこら、誰一人として無意味な人生などないのです。自分に与えられた使命がわからずに空しい人生を送る人々に、神様からの愛のメッセージと喜びに満ちた人生の光を届ける福音の使者とならせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/1819/jer.1.5.新共同訳
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