伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/10/10

2018-10-10 07:40:11 | 一日一章・聖書通読日記
マタイによる福音書 14:1-11

そのころ、領主ヘロデはイエスのうわさを聞いて、 家来に言った、「あれはバプテスマのヨハネだ。死人の中からよみがえったのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ」。 というのは、ヘロデは先に、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、ヨハネを捕えて縛り、獄に入れていた。 すなわち、ヨハネはヘロデに、「その女をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。 そこでヘロデはヨハネを殺そうと思ったが、群衆を恐れた。彼らがヨハネを預言者と認めていたからである。 さてヘロデの誕生日の祝に、ヘロデヤの娘がその席上で舞をまい、ヘロデを喜ばせたので、 彼女の願うものは、なんでも与えようと、彼は誓って約束までした。 すると彼女は母にそそのかされて、「バプテスマのヨハネの首を盆に載せて、ここに持ってきていただきとうございます」と言った。 王は困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、それを与えるように命じ、 人をつかわして、獄中でヨハネの首を切らせた。 その首は盆に載せて運ばれ、少女にわたされ、少女はそれを母のところに持って行った。

この箇所にバプテスマのヨハネの最期について記されています。領主ヘロデの不貞を指摘したためにバプテスマのヨハネは牢獄に捕らえられていましたが、彼はバプテスマのヨハネを預言者と認め、群衆の暴動を恐れて死刑の執行をためらっていました。しかし宴会の余興として舞を踊った不貞の妻ヘロデヤの娘に何でもあげようと愚かな約束をしてしまったために、人々の手前、バプテスマのヨハネを死刑に処さなければならなくなってしまいました。人を恐れ、人の目ばかり気にする生き方は、自分本来の自由な人生を送ることができず、自分の意志に反することばかりしなけれはならなくなってしまいます。肉体を滅ぼすことはできても魂まで滅ぼすことのできない者を恐れるのではなく、永遠のいのちを握っておられる神のみを畏れ、自分に与えられたこの世のいのちを、神のために自由に用いさせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/mat.14.1-11.ja1955

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マタイによる福音書 14:15-21

夕方になったので、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「ここは寂しい所でもあり、もう時もおそくなりました。群衆を解散させ、めいめいで食物を買いに、村々へ行かせてください」。 するとイエスは言われた、「彼らが出かけて行くには及ばない。あなたがたの手で食物をやりなさい」。 弟子たちは言った、「わたしたちはここに、パン五つと魚二ひきしか持っていません」。 イエスは言われた、「それをここに持ってきなさい」。 そして群衆に命じて、草の上にすわらせ、五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさいて弟子たちに渡された。弟子たちはそれを群衆に与えた。 みんなの者は食べて満腹した。パンくずの残りを集めると、十二のかごにいっぱいになった。 食べた者は、女と子供とを除いて、おおよそ五千人であった。

この箇所は有名な五千人の給食の奇跡です。これまでのイエス様の奇跡は、イエス様ご自身が一人一人に対して自ら奇跡を行っていましたが、ここでイエス様は弟子たちを用いて、群衆一人一人に必要な食糧を手渡されました。この箇所には弟子訓練の基本が記されています。私たちが主の業を行うとき、自分の力で行うのではなく、主から与えられた機会と賜物を生かして、忠実に主に聞き従うときに、大いなる御業が起こされます。主から与えられたものを、遜って適切に用いることこそが、主に喜ばれる奉仕の基本姿勢です。

http://bible.com/81/mat.14.15-21.ja1955

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マタイによる福音書 14:22-23

それからすぐ、イエスは群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸へ先におやりになった。 そして群衆を解散させてから、祈るためひそかに山へ登られた。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。

12-14節にもありますが、イエス様は折に触れて神様と一対一で祈る時を大切になさっていました。忙しい毎日の生活の中で、聖書を読む時間や祈るときがなかなか持てないと諦めてしまうのではなく、あえて主のために時間を割き、隙間時間縫うようにしてデボーションの時を作り出す者にこそ、神様の祝福は豊かに注がれます。

http://bible.com/81/mat.14.22-23.ja1955

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マタイによる福音書 14:24-33

ところが舟は、もうすでに陸から数丁も離れており、逆風が吹いていたために、波に悩まされていた。 イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。 弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。 しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。 するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。 イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。 しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。 イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。 ふたりが舟に乗り込むと、風はやんでしまった。 舟の中にいた者たちはイエスを拝して、「ほんとうに、あなたは神の子です」と言った。

イエス様と離れ対岸に向かって船を漕ぎ進んでいた弟子たちは、逆風に悩まされてなかなか進めずにいました。そこにイエス様が海の上を歩んで近付いて来られたとき、弟子たちは幽霊と見誤って恐怖に襲われ、大パニックに陥りました。私たちが人生の壁に突き当たったとき、自分の殻に閉じこもっていると冷静な判断ができず、イエス様が近付いてこられてもそれと気付かずに慌てふためいてしまいます。またペテロのように勇気をもってイエス様に近付こうとしても、イエス様から目を離してしまうと、周囲の状況に恐れて、かえって溺れてしまいます。私たちに必要なことは、常に心の目を見開いて主に向け、主にすべてを委ねて、嵐の中でも平安に満たされる恵みを実体験させていただきつつ謙虚に学ぶことが肝要です。

http://bible.com/81/mat.14.24-33.ja1955
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【今日の聖句】 2018/10/10

2018-10-10 06:35:27 | 今日の聖句
ペトロの手紙一 2:16 新共同訳

自由な人として生活しなさい。しかし、その自由を、悪事を覆い隠す手だてとせず、神の僕として行動しなさい。

主イエスの十字架の購いにより罪の縄目から解放された私たちは、神の憐れみにより得た自由を再び罪の中に陥るために用いるのではなく、神の義のために用いるべきです。自由な意志で主をあがめ、生ける神の証人となる私たちでありますように。

http://bible.com/1819/1pe.2.16.新共同訳
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