伊藤ファミリーBLOG

「緑のgoo!」のテンプレートに変えてみました!
(注:コメントスパム・TBスパムは予告なく削除させていただきます)

【COGHCC聖書通読】 2018/10/22

2018-10-22 07:55:13 | 一日一章・聖書通読日記
マタイによる福音書 26:1-5, 14-16

「イエスはこれらの言葉をすべて語り終えてから、弟子たちに言われた。 「あなたがたが知っているとおり、ふつかの後には過越の祭になるが、人の子は十字架につけられるために引き渡される」。 そのとき、祭司長たちや民の長老たちが、カヤパという大祭司の中庭に集まり、 策略をもってイエスを捕えて殺そうと相談した。 しかし彼らは言った、「祭の間はいけない。民衆の中に騒ぎが起るかも知れない」。

時に、十二弟子のひとりイスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところに行って 言った、「彼をあなたがたに引き渡せば、いくらくださいますか」。すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。 その時から、ユダはイエスを引きわたそうと、機会をねらっていた。

いよいよイエス様の受難のときが近付いてきました。この箇所を読むと、祭司長たちはイエス様を捕らえるのは過越の祭の後にしようと企んでいましたが、イエス様は過越の祭の日に十字架に掛からねばならなかったため、イスカリオテのユダにサタンが入ることを許されました。彼は銀貨30枚でイエスを売り渡す段取りを整えながらも、何食わぬ顔でイエス様の弟子として行動していました。私たちの中にもユダのような心がないか、今一度吟味し、気付いたならば直ちに悔い改めて罪を告白する者でありたいと願います。

http://bible.com/81/mat.26.1-5,14-16.ja1955

*****

マタイによる福音書 26:6-13

さて、イエスがベタニヤで、重い皮膚病の人シモンの家におられたとき、 ひとりの女が、高価な香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、イエスに近寄り、食事の席についておられたイエスの頭に香油を注ぎかけた。 すると、弟子たちはこれを見て憤って言った、「なんのためにこんなむだ使をするのか。 それを高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに」。 イエスはそれを聞いて彼らに言われた、「なぜ、女を困らせるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。 貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。 この女がわたしのからだにこの香油を注いだのは、わたしの葬りの用意をするためである。 よく聞きなさい。全世界のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」。

最後の晩餐のときにイエス様に高価なナルドの香油を注いだ女性は、マグダラのマリヤだといわれています。この香油は今の日本円で300万円ほどの価値のあるもので、当時のユダヤの習慣では、女性が自らの結婚に備えてこつこつと蓄えたものであるともいわれます。また油を注ぎ掛けることはユダヤの王として認められるためのしるしであり、イエス様のお言葉にもあるように葬りの準備でもあります。すなわちこの女性が行ったことは、イエス様に人生のすべてを委ねる決意であり、イエス様をユダヤの王と認めることであり、十字架の死への準備でもありました。にもかかわらず、計算高い弟子(他の福音書によるとイスカリオテのユダ)は、なんと無駄なことをしたのかと女性を叱責しました。彼らは十字架に向かわれるイエス様の心を全く理解していなかったのです。

http://bible.com/81/mat.26.6-13.ja1955

*****

マタイによる福音書 26:17-25

さて、除酵祭の第一日に、弟子たちはイエスのもとにきて言った、「過越の食事をなさるために、わたしたちはどこに用意をしたらよいでしょうか」。 イエスは言われた、「市内にはいり、かねて話してある人の所に行って言いなさい、『先生が、わたしの時が近づいた、あなたの家で弟子たちと一緒に過越を守ろうと、言っておられます』」。 弟子たちはイエスが命じられたとおりにして、過越の用意をした。 夕方になって、イエスは十二弟子と一緒に食事の席につかれた。 そして、一同が食事をしているとき言われた、「特にあなたがたに言っておくが、あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。 弟子たちは非常に心配して、つぎつぎに「主よ、まさか、わたしではないでしょう」と言い出した。 イエスは答えて言われた、「わたしと一緒に同じ鉢に手を入れている者が、わたしを裏切ろうとしている。 たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」。 イエスを裏切ったユダが答えて言った、「先生、まさか、わたしではないでしょう」。イエスは言われた、「いや、あなただ」。

除酵祭とは、過越の祭に備えて家中からパン種すなわちイースト菌を取り除くための準備期間です。ここでパン種とは、イエス様が何度も教えられたように罪を表します。エジプトからの解放、そして罪の奴隷からの解放を記念する過越の祭に備えて、自らの心の中から罪の根を根絶することが目的でした。そのときに、サタンに心を売り渡したイスカリオテのユダを名指しして弟子たちの内から取り除かれたことは、誰も予想していなかった展開であったかもしれません。イエス様がなさったことには一つ一つに意味があることを改めて教えられました。

http://bible.com/81/mat.26.17-25.ja1955

*****

マタイによる福音書 26:26-29

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。 また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。 これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。 あなたがたに言っておく。わたしの父の国であなたがたと共に、新しく飲むその日までは、わたしは今後決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」。

この箇所は聖餐式の度に開かれる有名な御言葉ですが、まだ十字架を経験する前の弟子たちにとっては食事の度に繰り返されたいつものことで、別段改まった意味があるとは思ってもいなかったかもしれません。私たちも聖餐式に臨むとき、いつものことと軽く受け止めるのではなく、主の十字架を偲んで心からの感謝をもって聖餐式に臨む者でありたいと願います。

http://bible.com/81/mat.26.26-29.ja1955

*****

マタイによる福音書 26:30-35

彼らは、さんびを歌った後、オリブ山へ出かけて行った。 そのとき、イエスは弟子たちに言われた、「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼を打つ。そして、羊の群れは散らされるであろう』と、書いてあるからである。 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」。 するとペテロはイエスに答えて言った、「たとい、みんなの者があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」。 イエスは言われた、「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。 ペテロは言った、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。弟子たちもみな同じように言った。

最後の晩餐の後、イエス様が改めて十字架に掛かるために捕らわれるとき、弟子たちはイエス様の元を離れると予告されると、ペテロは、たとい他の者が逃げ去っても自分だけはイエス様の元を離れませんと誓いました。しかしイエス様はそんなペテロに、今夜鶏が鳴く前にあなたは3度イエスを知らないと言うと予告されました。ペテロは決してそんなことはないと力説し、他の弟子たちも同様に答えました。しかし実際にイエス様が祭司長たちの手先に捕らえられると、弟子たちは皆イエス様を見捨てて逃げ、ペテロは3度知らないと答えることになりました。人の決意や努力は、簡単に覆ります。自分だけは大丈夫、という人ほど、実は大丈夫ではないのです。それが人の限界です。そんな自分の弱さを知り、神様に委ねる者だけが、本当の強さを身に付けることのできる者です。

http://bible.com/81/mat.26.30-35.ja1955

*****

マタイによる福音書 26:69-75

ペテロは外で中庭にすわっていた。するとひとりの女中が彼のところにきて、「あなたもあのガリラヤ人イエスと一緒だった」と言った。 するとペテロは、みんなの前でそれを打ち消して言った、「あなたが何を言っているのか、わからない」。 そう言って入口の方に出て行くと、ほかの女中が彼を見て、そこにいる人々にむかって、「この人はナザレ人イエスと一緒だった」と言った。 そこで彼は再びそれを打ち消して、「そんな人は知らない」と誓って言った。 しばらくして、そこに立っていた人々が近寄ってきて、ペテロに言った、「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる」。 彼は「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。 ペテロは「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。

捕らえられたイエス様がこの後どうなってしまうのだろうと心配して大祭司の庭に忍び込んだペテロでしたが、周囲の人からあなたはイエスの弟子だと言われると、激しく誓ってまで否定しました。しかし3度否定した後に鶏の鳴き声が聞こえると、あらかじめイエス様が予告されていた言葉を思い出し、庭の外に出て激しく泣いて後悔しました。人は恐れに支配されてしまうと、本来は心にも思っていなかったことを平気でしてしまう、実に弱い存在です。己の弱さを知る者だけが、信仰による真の強さを身に付けることができます。ペテロにとってこの経験が後々役立つこととなったように、私たちもまた自らの弱さを知り、人の力を越えた神様に委ねる信仰によって力強く立ちあがる者でありたいと願います。

http://bible.com/81/mat.26.69-75.ja1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【今日の聖句】 2018/10/22

2018-10-22 06:35:16 | 今日の聖句
箴言 序 22:6 新共同訳

若者を歩むべき道の初めに教育せよ。
年老いてもそこからそれることがないであろう。

三つ子の魂百までとの諺のように、幼い頃から人の道を踏み外さぬよう躾ることは極めて重要なことです。組織ぐるみの不正や偽装が横行するこの世において、外圧に屈せず義の道を堅く守る正しい心と粘り強い胆力を身に付けさせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/1819/pro.22.6.新共同訳
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする