伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/10/15

2018-10-15 07:55:05 | 一日一章・聖書通読日記
マタイによる福音書 19:1-9

イエスはこれらのことを語り終えられてから、ガリラヤを去ってヨルダンの向こうのユダヤの地方へ行かれた。 すると大ぜいの群衆がついてきたので、彼らをそこでおいやしになった。 さてパリサイ人たちが近づいてきて、イエスを試みようとして言った、「何かの理由で、夫がその妻を出すのは、さしつかえないでしょうか」。 イエスは答えて言われた、「あなたがたはまだ読んだことがないのか。『創造者は初めから人を男と女とに造られ、 そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』。 彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。 彼らはイエスに言った、「それでは、なぜモーセは、妻を出す場合には離縁状を渡せ、と定めたのですか」。 イエスが言われた、「モーセはあなたがたの心が、かたくななので、妻を出すことを許したのだが、初めからそうではなかった。 そこでわたしはあなたがたに言う。不品行のゆえでなくて、自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行うのである」。

イエス様が向かうところどこでも、群衆が集まってきました。そのような場を利用してパリサイ人たちはイエス様に難問を持ちかけて、人々の心をイエス様から離れさせようとしました。ここでは離縁に関する質問でした。離婚問題は時代を問わず非常に難しい課題です。イエス様の答えは、モーセが離縁を許可したのはやむを得ない場合に限定しただけであって、不貞など神様に喜ばれる婚姻関係を破壊する罪がない限り、離婚しないことを神様は願っておられると説きました。今の世の中、好きになったら結婚して、嫌いになったら離婚すればよいという、余りにも身勝手な結婚が当たり前のように横行していますが、そのような状況をイエス様は、姦淫の罪を犯していると厳しく戒められます。私たちはもっと結婚の奥義を重視しなければなりません。

http://bible.com/81/mat.19.1-9.ja1955

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マタイによる福音書 19:10-12

弟子たちは言った、「もし妻に対する夫の立場がそうだとすれば、結婚しない方がましです」。 するとイエスは彼らに言われた、「その言葉を受けいれることができるのはすべての人ではなく、ただそれを授けられている人々だけである。 というのは、母の胎内から独身者に生れついているものがあり、また他から独身者にされたものもあり、また天国のために、みずから進んで独身者となったものもある。この言葉を受けられる者は、受けいれるがよい」。

パリサイ人たちの質問は、自分たちを含め多くの人が、妻が気に入らなくなったら離縁状を渡して離婚したいという願望が心の奥底にあったことを物語っています。イエス様の答えに弟子たちは、それならば結婚しない方がましだと、神様に従いきれない自分の姿を正直に認めています。イエス様はそんな弟子たちの答えに更に追加するかのように、独身についての教えを語られました。以前、賜物に関するセミナーの中で、独身の賜物というものがあることを学んだことがあります。これはイエス様の答えの中にある、生まれつき独身者となる者、神様のために進んで独身を貫く者に相当します。他の理由で独身者とされた者とは、パートナーに先立たれた者、相手から一方的に離縁された者などです。イエス様はそのような人々に対し、独身を受け入れることで神様に栄光を帰するようにと説きました。

http://bible.com/81/mat.19.10-12.ja1955

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マタイによる福音書 19:13-15

そのとき、イエスに手をおいて祈っていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちは彼らをたしなめた。 するとイエスは言われた、「幼な子らをそのままにしておきなさい。わたしのところに来るのをとめてはならない。天国はこのような者の国である」。 そして手を彼らの上においてから、そこを去って行かれた。

聖書は必ずしも時系列的に記事が並んでいるわけではありませんが、先の章で幼子を受け入れられない者は天国に入れないと説いたにもかかわらず、弟子たちは御側に近寄ってきた子どもたちを追い払おうとしました。おそらく弟子たちは忙しいイエス様に少しでも休んでいただこうと思ったのでしょうが、イエス様は幼子を来るままにさせなさいと弟子たちをたしなめられ、天国はこのような者の国であると説きました。ただイエス様に祝福していただこうと邪念なく近付く者こそ、天国に相応しい者です。

http://bible.com/81/mat.19.13-15.ja1955

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マタイによる福音書 19:16-22

すると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った、「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」。 イエスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。 彼は言った、「どのいましめですか」。イエスは言われた、「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。 父と母とを敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」。 この青年はイエスに言った、「それはみな守ってきました。ほかに何が足りないのでしょう」。 イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。 この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。

天国に関するイエス様の教えに、一人の青年が近付いてきました。彼もまた天の御国に入りたいと願ってモーセの律法を真面目に守ってきたと自負する者でしたが、イエス様は彼に足りないものを見抜いて、すべての資産を貧しい人に施してわたしに従いなさいと勧めました。資産家であった彼は、イエス様の教えに従うことができず、嘆きながら立ち去りました。彼は永遠のいのちを求めながらも、この地上の生活に対する執着心が捨てられなかったのです。生き金・死に金という考え方がありますが、この世の財産は、ただため込んで自己満足するためにあるのではありません。持てる財産を、そして自分に与えられた賜物を適切に用いて、神様の栄光を表すことこそ、天の国籍を持つ者に相応しい生き方です。

http://bible.com/81/mat.19.16-22.ja1955

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マタイによる福音書 19:23-26

それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。 また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。 弟子たちはこれを聞いて非常に驚いて言った、「では、だれが救われることができるのだろう」。 イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない」。

悲しみながらイエス様の元を立ち去った青年の後ろ姿を見ながら、イエス様は富んでいる者が天国に入るのは難しいと言われました。多くの富む者は、この世の繁栄を追い求めるあまり、天の宝に目がいきません。かの青年のように、この世の裕福な暮らしを捨てることができず、みすみす天国への入口を通り過ぎてしまいます。しかし自分にはできませんと素直に告白する者に、神様はできる力を与えてくださいます。むしろ、自分にはできる、大丈夫と過信する者こそ、天の御国への入口を閉ざしてしまっているのではないでしょうか。

http://bible.com/81/mat.19.23-26.ja1955

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マタイによる福音書 19:27-30

そのとき、ペテロがイエスに答えて言った、「ごらんなさい、わたしたちはいっさいを捨てて、あなたに従いました。ついては、何がいただけるでしょうか」。 イエスは彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさばくであろう。 おおよそ、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう。 しかし、多くの先の者はあとになり、あとの者は先になるであろう。」

イエス様の答えに反応してペテロは、家族を捨ててイエス様に従った自分は天で何をいただくことができましょうかと質問しました。そんなペテロにイエス様は12使徒に与えられた天における権威を説きつつも、「先の者は後になり、後の者は先になる」と信仰の姿勢を正されました。天の報酬を受けるために神様に従う者は、この世の報酬に執着する者と本質的に変わりありません。すべてを捨ててイエス様に従う者とは、やがて天にて神の御前に立ち、「忠かつ善なる僕よ、よくやった」とイエス様のお褒めに与るときも、「私はふつつかな僕です、為すべきことをしたに過ぎません」と、どこまでも謙虚に神様に従い通す者です。

http://bible.com/81/mat.19.27-30.ja1955
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【今日の聖句】 2018/10/15

2018-10-15 06:40:22 | 今日の聖句
ユダの手紙 1:20-21 新共同訳

しかし、愛する人たち、あなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。聖霊の導きの下に祈りなさい。 神の愛によって自分を守り、永遠の命へ導いてくださる、わたしたちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。

ひとたびキリストの十字架による罪の購いを信じた者であっても、この世のあらゆる欲望から抜け出せずにいるならば、自ら滅びを招くことになります。聖なる尊い信仰を拠り所として己の身をきよく保ち、神の憐れみにより救われた恵みに留まり続け、御霊の導きを求めて祈りつつ、キリストの再臨を待ち望む私たちでありますように。

http://bible.com/1819/jud.1.20-21.新共同訳
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