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【COGHCC聖書通読】 2018/10/19

2018-10-19 07:50:37 | 一日一章・聖書通読日記
マタイによる福音書 23:1-7

そのときイエスは、群衆と弟子たちとに語って言われた、 「律法学者とパリサイ人とは、モーセの座にすわっている。 だから、彼らがあなたがたに言うことは、みな守って実行しなさい。しかし、彼らのすることには、ならうな。彼らは言うだけで、実行しないから。 また、重い荷物をくくって人々の肩にのせるが、それを動かすために、自分では指一本も貸そうとはしない。 そのすることは、すべて人に見せるためである。すなわち、彼らは経札を幅広くつくり、その衣のふさを大きくし、 また、宴会の上座、会堂の上席を好み、 広場であいさつされることや、人々から先生と呼ばれることを好んでいる。」

律法学者やパリサイ人たちの語る教えには従いなさい、しかし、彼らの行いには決して見習うなと、イエス様は皮肉たっぷりに、彼らの言動不一致を厳しく指摘されました。私たちも口先では立派なことを言いながら、その行いや生活態度は決して誉めらるものではない、むしろ毒をまき散らし人に害を与えるようやことをしていないか、自らを省み、吟味する必要があります。どこを切っても同じ絵柄が出てくる金太郎飴のように、私たちの日常生活が、いつ何時でもキリストの芳しい香りを放つものでありたいと願います。

http://bible.com/81/mat.23.1-7.ja1955

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マタイによる福音書 23:8-12

「しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはならない。あなたがたの先生は、ただひとりであって、あなたがたはみな兄弟なのだから。 また、地上のだれをも、父と呼んではならない。あなたがたの父はただひとり、すなわち、天にいます父である。 また、あなたがたは教師と呼ばれてはならない。あなたがたの教師はただひとり、すなわち、キリストである。 そこで、あなたがたのうちでいちばん偉い者は、仕える人でなければならない。 だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。」

私は長年教会学校の奉仕に携わっていたこともあり、人から先生と呼ばれることが多かったのですが、個人的には先生とは呼ばれたくはありませんでした。その思いの元となっているのが、この聖書の箇所です。先生、先生と持ち上げられて高慢になるよりは、むしろ人に仕える僕の姿に徹したいと願ってやみません。

http://bible.com/81/mat.23.8-12.ja1955

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マタイによる福音書 23:13-22

「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない。〔 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。だから、もっときびしいさばきを受けるに違いない。〕 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたはひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り歩く。そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする。 盲目な案内者たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは言う、『神殿をさして誓うなら、そのままでよいが、神殿の黄金をさして誓うなら、果す責任がある』と。 愚かな盲目な人たちよ。黄金と、黄金を神聖にする神殿と、どちらが大事なのか。 また、あなたがたは言う、『祭壇をさして誓うなら、そのままでよいが、その上の供え物をさして誓うなら、果す責任がある』と。 盲目な人たちよ。供え物と供え物を神聖にする祭壇とどちらが大事なのか。 祭壇をさして誓う者は、祭壇と、その上にあるすべての物とをさして誓うのである。 神殿をさして誓う者は、神殿とその中に住んでおられるかたとをさして誓うのである。 また、天をさして誓う者は、神の御座とその上にすわっておられるかたとをさして誓うのである。」

律法学者やパリサイ人たちの教えは律法に忠実に従っているように見えて、その実は人に無理難題を押しつけて、天国に至る門を狭くしているだけだとイエス様は指摘されました。またその教義は律法の本質を突くものではなく、見かけ倒しのものであったため、イエス様は彼らを偽善者だと断罪されたのです。パリサイ人たちのように周囲の人々をつまづかせる者とならないよう、人の振り見て我が振り直す私たちでありますように。

http://bible.com/81/mat.23.13-22.ja1955

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マタイによる福音書 23:23-28

「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。はっか、いのんど、クミンなどの薬味の十分の一を宮に納めておりながら、律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている。それもしなければならないが、これも見のがしてはならない。 盲目な案内者たちよ。あなたがたは、ぶよはこしているが、らくだはのみこんでいる。 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。 盲目なパリサイ人よ。まず、杯の内側をきよめるがよい。そうすれば、外側も清くなるであろう。 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。 このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。」

パリサイ派の律法学者たちは、捧げものの規定など子細に至るまで厳格に律法を守ろうとしていましたが、それは木を見て森を見ずとの諺の如く、枝葉末節のことばかり気にして律法の本質である愛と憐れみと忠実については全く関心のないものとなっていました。修験僧のように自分に厳しく修行を重ねても、その目的が人から立派だと思われたいがためであるならば、そのような信仰生活は全く無意味なもの、単なる自己満足に過ぎません。白く塗った墓だとイエス様から叱責されることのないよう、彼らを反面教師として、神に喜ばれる生きた信仰生活を送る私たちでありますように。

http://bible.com/81/mat.23.23-28.ja1955

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マタイによる福音書 23:29-36

「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、 『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。 このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、自分で証明している。 あなたがたもまた先祖たちがした悪の枡目を満たすがよい。 へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか。 それだから、わたしは、預言者、知者、律法学者たちをあなたがたにつかわすが、そのうちのある者を殺し、また十字架につけ、そのある者を会堂でむち打ち、また町から町へと迫害して行くであろう。 こうして義人アベルの血から、聖所と祭壇との間であなたがたが殺したバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上に流された義人の血の報いが、ことごとくあなたがたに及ぶであろう。 よく言っておく。これらのことの報いは、みな今の時代に及ぶであろう。」

バラキヤの子ザカリヤとは、直接的には歴代誌下24章20節〜22節にある祭司エホヤダの子ザカリヤを指しますが、暗にバプテスマのヨハネを想起させているとの解釈もあります。いずれにせよ、旧約聖書の最初の殺人被害者であるアベルから、旧約聖書の最後(ヘブル語聖書の並び順では歴代誌下が最後とのこと)の預言者の殺人に至るまで、律法学者とパリサイ人たちに責任があるとイエス様は厳しく断罪しているのです。そして彼らはいと高き神の御子であられるイエス様まで、十字架に掛けて殺してしまいました。これらの義人の血の報いは彼らの頭に下され、やがてマサダの戦いで彼らは滅びることになります。

http://bible.com/81/mat.23.29-36.ja1955

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マタイによる福音書 23:37-39

「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。 見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。 わたしは言っておく、『主の御名によってきたる者に、祝福あれ』とおまえたちが言う時までは、今後ふたたび、わたしに会うことはないであろう」。

神様が永遠にその御名を置くと言われた聖なる都エルサレムは、過去の栄光に酔いしれて高慢になり、自らの欲望に走る彼らを戒めるために遣わされた預言者たちを殺害したため、神様から見捨てられ呪われたものと成り下がってしまいました。神様はどのような思いで預言者たちを遣わされたのでしょう。イエス様がエルサレムに向かって流された涙を思い、心からの悔い改めをもって魂の玉座に主をお迎えする私たちでありますように。

http://bible.com/81/mat.23.37-39.ja1955
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【今日の聖句】 2018/10/19

2018-10-19 06:35:08 | 今日の聖句
コヘレトの言葉 12:13 新共同訳

すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。

人類史上最高の知恵を授かったソロモン王がその生涯を通して得た結論が、神を畏れ聖書の戒めを守ることこそ人の本分であるとの教訓でした。晩年になって一生を振り返るときに後悔することのないよう、若い時期から聖書に親しみ、神と共に歩むまことのさいわいな人生を送る私たちでありますように。

http://bible.com/1819/ecc.12.13.新共同訳
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