伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/10/27

2018-10-27 08:15:14 | 一日一章・聖書通読日記
マルコによる福音書 3:1-6

イエスがまた会堂にはいられると、そこに片手のなえた人がいた。 人々はイエスを訴えようと思って、安息日にその人をいやされるかどうかをうかがっていた。 すると、イエスは片手のなえたその人に、「立って、中へ出てきなさい」と言い、 人々にむかって、「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」と言われた。彼らは黙っていた。 イエスは怒りを含んで彼らを見まわし、その心のかたくななのを嘆いて、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、その手は元どおりになった。 パリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちと、なんとかしてイエスを殺そうと相談しはじめた。

安息日に何の働きもしてはならないとの伝統を頑なに守ってきたパリサイ人たちは、会堂に片手の萎えた人がいることを目ざとく見つけ、イエスが彼を癒すだろうと踏んで、この機会にイエスを訴える口実を作ろうとしました。イエス様は彼らの思惑を察し、安息日に善を行い命を救うのと悪を行い殺すのとどちらがよいか、と問いかけると、彼らは黙り込んでしまいました。安息日に善を行う方がよいとわかっていながらだんまりを決め込んで、この機会を利用してイエスを陥れようとしていた心の頑なな彼らに嘆きつつも、イエス様は片手の萎えた人を癒されました。人を憐れみの心で見ることができず、自分たちの主義主張を通すために利用するだけの愛の冷えた人間には、私たちは決してなってはなりません。

http://bible.com/81/mrk.3.1-6.ja1955

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マルコによる福音書 3:7-12

それから、イエスは弟子たちと共に海べに退かれたが、ガリラヤからきたおびただしい群衆がついて行った。またユダヤから、 エルサレムから、イドマヤから、更にヨルダンの向こうから、ツロ、シドンのあたりからも、おびただしい群衆が、そのなさっていることを聞いて、みもとにきた。 イエスは群衆が自分に押し迫るのを避けるために、小舟を用意しておけと、弟子たちに命じられた。 それは、多くの人をいやされたので、病苦に悩む者は皆イエスにさわろうとして、押し寄せてきたからである。 また、けがれた霊どもはイエスを見るごとに、みまえにひれ伏し、叫んで、「あなたこそ神の子です」と言った。 イエスは御自身のことを人にあらわさないようにと、彼らをきびしく戒められた。

イエス様の行くところどこでも、群衆がついてきました。そしてユダヤとイスラエルの全土のみならず、ツロ、シドンの異邦人の地からも、イエス様の噂を聞いて集まってきました。イエス様は病人を癒し、汚れた霊を追い出しましたが、ご自身を神の子と話さないように戒められました。人の噂話を聞いてその言う通り盲信的に信じるのではなく、直接イエス様と出会い、自分の心でイエス様が神の御子救い主であると告白するのでなければ、信仰は空しいものです。

http://bible.com/81/mrk.3.7-12.ja1955

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マルコによる福音書 3:13-20

さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとにきた。 そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、 また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。 こうして、この十二人をお立てになった。そしてシモンにペテロという名をつけ、 またゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、彼らにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。 つぎにアンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、 それからイスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。イエスが家にはいられると、 群衆がまた集まってきたので、一同は食事をする暇もないほどであった。

いと高き神の御子であるイエス様でも、一人の人間として地上の生涯を送られた以上、お一人でできることには限界があります。そこでイエス様は弟子たちの中から御心に適った者12人を選び、ご自分の御側近くに置いて訓練し、イスラエル全土に福音を宣べ伝えるために宣教に遣わし、悪霊を追い出す権威を授けられました。12使徒に選ばれた者の顔ぶれを見ると、無学なただ人とも言われた元漁師もいれば律法を熱心に学んだ知識人もおり、中にはテロリストまがいの国粋主義者がいると思えばローマの手先としめ働いてきた元取税人まで、実に様々でした。これは神の国に招かれた者の多様性、すべての人に福音の門戸は開かれていることが端的に表されたたものです。同時に、神様の働きに携わる者は、イエス様の御側近くでしっかりと弟子訓練を受けるべきことをも意味しています。私たちもまたイエス様の御言葉から正しく学び、神様から託された使命を果たされなければなりません。

http://bible.com/81/mrk.3.13-20.ja1955

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マルコによる福音書 3:21-30

身内の者たちはこの事を聞いて、イエスを取押えに出てきた。気が狂ったと思ったからである。 また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、「彼はベルゼブルにとりつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。 そこでイエスは彼らを呼び寄せ、譬をもって言われた、「どうして、サタンがサタンを追い出すことができようか。 もし国が内部で分れ争うなら、その国は立ち行かない。 また、もし家が内わで分れ争うなら、その家は立ち行かないであろう。 もしサタンが内部で対立し分争するなら、彼は立ち行けず、滅んでしまう。 だれでも、まず強い人を縛りあげなければ、その人の家に押し入って家財を奪い取ることはできない。縛ってからはじめて、その家を略奪することができる。 よく言い聞かせておくが、人の子らには、その犯すすべての罪も神をけがす言葉も、ゆるされる。 しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」。 そう言われたのは、彼らが「イエスはけがれた霊につかれている」と言っていたからである。

イエス様の家族は、共に暮らしていた時代と余りにもかけ離れてしまったイエス様を気が狂ったと勘違いして取り押さえに出てきました。それはエルサレムから派遣されてきた由緒正しい立派な律法学者たちが、イエス様は悪霊どものかしらによって悪霊を追い出していると非難していたからです。しかしイエス様はその言葉を激しく否定し、殊に聖霊なる神様の働きを悪霊によるものだと決めつけた彼らの言葉に対して、人の犯した罪は赦されることはあっても、聖霊なる神様を汚す言葉は決して赦されないと厳しく戒められました。私たちも聖霊を悲しませることをしてはいないか今一度吟味し、神様を汚すような言動を慎む者でありたいと願います。

http://bible.com/81/mrk.3.21-30.ja1955

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マルコによる福音書 3:31-35

さて、イエスの母と兄弟たちとがきて、外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。 ときに、群衆はイエスを囲んですわっていたが、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟、姉妹たちが、外であなたを尋ねておられます」と言った。 すると、イエスは彼らに答えて言われた、「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」。 そして、自分をとりかこんで、すわっている人々を見まわして、言われた、「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。

イエスが気が狂ったと思って連れ帰ろうとしたイエス様の家族は、人を送ってイエス様を自分たちの元に呼び寄せようとしましたが、イエス様は神の御心を行う者こそ真の神の家族なのだと答えられました。たといこの世における身内であっても、神の御子なるイエス様を自分たちの元に引き寄せるのではなく、自分たちの側から神様に近付く姿勢を守らなければ、天における神の家族となることはできません。

http://bible.com/81/mrk.3.31-35.ja1955
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【今日の聖句】 2018/10/27

2018-10-27 06:45:33 | 今日の聖句
ヨハネの手紙一 4:19 新共同訳

わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。

一度も愛されたことのない人は、どのようにして人を愛ればよいかわからないと言われます。それでも人が不器用ながらも自然と誰かを愛するようになるのは、まず天の父なる神様が私たちを愛してくださっているからです。神様の大いなる愛を受けて、まことの愛を知る私たちでありますように。

http://bible.com/1819/1jn.4.19.新共同訳
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