大阪市内で生まれた人は大阪のミナミの繁華街といえば分ると思いますが、南といっても、私の生まれたアベノ地区も南の方にありまして、小学校、中学校、高等学校と全て歩いて行ける範囲にありました。ただ、高校のときは20~30分ぐらい歩いて通学しました。そのアベノはミナミの繁華街とはあまりいわなくて、一般的に言われるミナミと言うのは、心斎橋から難波、堀江、日本橋筋に囲まれた範囲です。
私が社会人になって仲間とミナミに遊びに行こかといえば、飲食街の千日前から宗右衛門町、心斎橋の界わいでした。
そして大阪のキタといえば梅田新道の御堂筋から西南側の一帯で北新地といわれる繁華街を主に言っておりました。
今のミナミといえば、若い人には相当に広い範囲で話さなければ通じないのではないでしょうか?
まずは大阪の代表である心斎橋、昔の人は心ブラと称して難波の高島屋の前から長堀通りまでの商店街を歩いたものです。
最近はこの長堀通近辺の御堂筋には高級ブランドのお店が軒を連ねています。
そして、この長堀通を少し西に行くと高級外車の展示場がビルの1階に増えて来ております。心斎橋のホテル日航大阪の裏で、御堂筋の西に当たる部分にアメリカ村がありまして、この中心である三角公園周辺には若者の集積地ともいわれていて、アメリカ系古着のメッカでもあります。
そして大阪の飲み屋街のメインである宗右衛門町(道頓堀界隈)周辺、今から30年以前は華やかな通りでした。大きなダンスホール、冨士やメトロ、クラブ南とか、有名な料亭「大和屋」さんなどがありましたが、今はいかがわしい店ばかり増えて当時の面影はありません、なげかわしいことです。
それでもこの一帯には何千軒という飲み屋さんが軒を連ねていますし、道頓堀川の南側には昔からあるグリコの看板にカニやエビの電飾看板が軒を連ねています。