佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

カマス

2022-11-30 19:30:41 | 釣り

四国の吉岡兄さんよりとれとれのカマスが届いた。

いつも季節の釣り物を釣っては送ってくれる、仲の良い兄的な存在の人

もう長い付き合いです、

彼の別荘的な家として20数年前に徳島の海陽町に鉄骨の2階建ての家を設計しました、今は彼が大阪を離れて一人で住んでいます。

この家を作るときに彼の今は亡き奥さんといろいろと意見を戦わせながら設計をしました、そして最後の最後まで、階段の上り口が決まらずにいました。

今は良き思い出です、その当時彼はいっさい口をはさまなく奥さんの好きなように建ててやってやと言われていましたので、とことん意見を交わして図面も完成しました。

彼の住んでる近所にはない頑丈な家ですので台風時などは避難に近所から来られという。

毎年いかせてもらってますがここの所はコロナの影響で行ってませんが、落ち着いたら行きたいと思っています。

今回は、カマスを送ってくれました、この魚は細いのですが、大変力が強くよく引くので面白い釣りです。

魚は釣るが好きですがあまり食べないほうですが、このカマスは食べやすいのでよく食べます。

 

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2022-11-29 19:59:41 | 趣味

好きな車の一つでもあるメルセデスベンツ

ベンツのSの時代よく走りました、亡き女房どののおいてくれた白いベンツ、黒と違って白色は目の錯覚で少し大きく見える、和歌山道でおかまを掘られて全損に成ってしまったが、よく走ってくれました、

長い距離走っても疲れないのがいい、魚釣りにはどうしても長い距離走るので疲れのぐわいがずいぶんとちがうが、最近の車は以前と比べたらずいぶんと大きくなった。今日は先日頂いた本でベンツのCクラスの紹介

 

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美味しいもの

2022-11-28 20:10:41 | 日々の思い

食いしん坊の僕にいつも美味しものを届けてくれる、同じマンションに住む、小田氏から又、鯖寿しが届いた。

今度も前にこの欄にも書きました鯖寿しですが、作り主は違う、

「鯖街道 亰は遠くても十八里、亰の風土と町衆が育てた亰、鯖寿し」

前は長浜の魚助の鯖寿し、今度は鯖街道と言われるところにある花折の鯖寿し

鯖の身の厚さと載せられたコブ、のマーチングそれにシヤリ、うまい!と声が出ました。有難う小田さん、またお願いとは用いいません、1本が3~4人前で万札で少しおつりが出るぐらいのものですから。

でもうまかった。彼が鯖寿しに凝っていてあちこちの名物と言われる鯖寿しを買って食べているが本当に美味しいと彼が思うものをプレゼントしてくれた、お礼に富子が彼が腰を痛めているというので、お返しに温熱とマッサージをしに行ってくれた、するとまたお礼に今度は京都、嵐山の嵯峨野の竹路庵の「わらびもち」を頂いた。

今日はいい日だなー、

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長き釣り友の歴史14

2022-11-27 19:04:36 | 釣り

Episode3 遠征2

もう一つは同じ沖ノ島の三ノ瀬のトンギリという恐ろしい磯での釣りである。当日は荒れ日和で仲間は三ノ瀬本島に上がり釣りをしたが船頭は私にはトンギリに上がれという。文字通り三角のテントのような小さな磯で凄い風と波である。斜めに心細く立っているチャラン棒だけが頼りである。そのチャラン棒を持つと大きくぐらっと回るのである。しかしその棒を離したら荒波の中、しがみついたがグラグラしてとてもじゃないが釣りの準備などできない。

オーイと船を呼んだが船は遠ざかる。これはもうほとんど生きるか死ぬかのような状況に置かれている自分を感じた。

長い時間をかけて磯の裏側にへばりつき、兎に角肝を据えることとした。その磯の裏側に一か所だけ撒き餌バッカンを置くことができる場所があった。飛沫を受けながら長い長い時間をかけてやっと仕掛けを作った。タモの準備なんてとてもできない状態である。

撒き餌はコントロールもできず勝手に足元にこぼれていく。もうどうでもいいとその足元にウキを落とそうとしたら勝手にウキがとんでもなく遠くに吹っ飛んでいく。これはダメだ回収しようとしたその時なんだか手ごたえがある。やけくそでリールを巻いたらグレが食いついていた。やっと引き寄せても身動きはできない。仕方なくナイフで絞めてバッカンの中に入れる。やっと2回目の投入したがやはりまた到底撒き餌の効いてなさそうなとんでもないところにウキがすっ飛んで行った。ところがそこでもまた同じようにグレが喰いついてくるのである。そんなことが約10回くらい続いた。そしてやっと待ちに待った渡船が見回りに来た。竿はどうしたか忘れたが殆ど身一つで船に文字通り転がり込んだ。デッキの上を転がってやっと座ったら船頭が操舵室から顔をだし「ちと釣ったか」といった。とにかく道具は磯においていったん宿に帰るといった。宿で約2時間寝込んだ。現金なもので2時間後、よしもう一度挑戦してやるという気になった。そしてトンギリに着いてみるとまるで様子が変わっていた。潮が引き波と風が収まり沈んでいた磯が出ていてまるで風景が変わっていた。そして全く釣れなくなっていた。しかしあの恐ろしい経験は今も忘れられない。その日、クラブの仲間は全く釣れていなかった。

 

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懐かしい過去の設計

2022-11-26 19:39:31 | 日々の思い

この度席を置くことになった、株式会社盛龍での仕事の中で天王寺に近い所に土地、約360坪があり、その土地のにある建物の解体(鉄骨造4階建て)をしてしばらくは駐車場として運用その後、ビジネスホテルか高層マンションの計画を予定していますが、そのために大阪市に進入口の申請をするために、行ったところが何と22年前に設計に携わっった所の津守下水処理場の中に、窓口がありました。

なんとなく建物に記憶もありました。懐かしくなり出直した時に図面を持って出かけました、間違いなくそれでした。今回は申請で来ていますのでゆっくりと写真も摂ることが出来ました

日本で最大の処理場ではないかと思っています、大きさは約90m×100mで地下30mからあります、この時のびっくりしたのは,底版の厚みが約3,0~3,5mありました。

そして地上に立ち上がるまで約7年ほどかかったと思ってます。そして地上の高さは3階建てなのですが20mからあり、一般的には7階建ての高さになります。

下水処理場の設計に関しては土木建築部分での仕事の手伝いですが、㈱日本上下水道設計や、日建設計㈱(この津守の処理場)の設計のお手伝いをしまして全国で240件ぐらいやらしてもらった。

でも水処理での大きさと違い建屋としてはこれが最大でした。

最近は古い建物がどんどんこわされて建て替えられていく中で残っていたこの建物、うれしかったなー。1999年8月の日付けが図面に入っていました。

 

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