佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

冬の京都

2013-01-31 19:29:17 | 日々の思い

釣りのことが続きましたので少し別の話

 

JCBゴールドにこの冬の期間限定で公開される寺院の一部が書かれいたのを書き写します。

私も久しぶりに行ってみたいお寺があります。

なかなか見れないものもあります、私は仁和寺が好きで以前は何度か行きました、庭を眺めてぼんやりするのもよいものです、2月は2、3日がフイッシングショウーでダメなのでそのあとに行くつもりです。

今回公開される主な所と期間1月10日から3月18日まで間

聖護院。1月10日から15、23~26、30.31 2月1日から4日、16,17, 

3月3日は拝観中止

   大聖寺。3月1日から18日まで

   宝鏡寺 1月10日から2月28日

       3月1日から4月3日までは春の人形展を開催

   仁和寺。金堂、五重塔2月2,3,14,15,

3月3,4,は5重塔 のみの特別公開(300円)

   妙心寺。東海庵、2月1日から3日、15,16は拝観休止

 

   東寺、小子房 1月16日から公開

 

公開時間。午前10時から午後4時まで

拝観料。1カ所、600円

 

   法要や都合により拝観出来ない場合もありますので、行かれる方はさきに問い合わせて行ってください

 

 問い合わせ先・・京都観光協会・・TEL・075-752-7070まで

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フイッシングショーosaka50回目

2013-01-30 19:44:46 | 釣り界の歴史

今年もいつものように2月の第1週目の金、土、日(1,2,3日)に南港のインテックスで

開催されます。

 

1日は業者の見学会の日で一般の入場は出来ませんが2,3,日は一般見学会となっています。

今年の展示業者は約140社で主たるメーカーは6号館の

Aに、ヒロミ産業・東レ・ダイワ・中央漁具

Bに、がまかつ・UOYA・マルキュー・ハヤブサ・シマノに、ルアーのトップブランドメーカー

である、ジャッカルなどが入っています。

またいつもの3号館が4号館に変わり、いつものように人気一番のマス釣り場が設置されて開場と同時に一目散にこのマス釣りの整理券を貰うための駆けっこが始まる。

 この4号館には釣り具店による販売コーナーも設けられており多くの釣り人が買いに来ているが、マンビキも多くて私の知り合いの店が売れるけれど盗まれるのも多いとぼやいていた。

また,各種の釣り教室も開かれている、以前,私も長くこの教室にもたずさわっていましたし、大阪府釣り団体のコーナーでも募金活動をしていました。

その当時募金活動を行うために各クラブから応援にきてもらうのですがまじめにやっていたのは一部のクラブ員だけで、一部の会長は、スタッフの腕章を集めて、手伝うふりをしてクラブ員を入場させて、しばらくいたかなと思うと、見学に行ってそのまま消えてしまうとか、ただ本部にすわっているだけの会長もいたので、一生懸命やっている皆さんが当時よくぼやいていた

今はどうなんでしょうか、

この釣り教室の中でも6号館のAで行われている、友人の拓正会(松永正津会長)がやっておられる魚拓教室は、、開場一番満員御礼となるらしい、習いたい方は早いめ申し込んでくださいよ、今年も多分にぎわうことでしょう。

宇治群島また続けますが、フイッシングショーが間近なので入れました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢にまで見た宇治群島へP-3

2013-01-29 19:48:39 | 釣り界の歴史

南海の澄み切った波の下に真っ黒になるほどの巨大な口白が銀鱗をひらめかして遊泳している、その数は20匹や30匹ではない。コマセにすっかりノボセ浅場に上がってきたのだろう

「俺は夢でも見ているのではないか」と思わず頬をつねってみたが、やはり痛い。  

ふと横を見ると、置き竿の穂先がまたもや舞い込んで、殆ど垂直に近い角度で、激しく上下にシャクっている。驚いて飛んでいったが一瞬遅くハリハズレ。

 

さればと、餌を付け替えるのもモドかしく、真っ黒な魚の集団の真ん中に抛りこんだが、

どうしたものか途端にもう当たらない。下を覗くと、潮の流れが今までとは逆になってあれほどもいたヒサが一瞬のうちにフイッと姿を消している、まるで嘘のような話だが、潮が石鯛の

就餌と動向に、絶対的な作用を持つという現実をマザマザと見せつけえられる思いがした。

 

時計を見ると4時今日は4枚バラして3枚仕留めただけだが、よし、明日こそは釣って釣って釣りまくるぞ、口白よ、明日こそお前と勝負しょう。と心の中で呟いて、竿を納めて船に帰った。真紅の太陽が音もなく東シナ海の波間を染めて消えていく、身の引き締まるような荘厳な眺め、やがて夜のとばりが徐々に暗く空を覆い、星が手の届く近さで、降るようにまたたき始めた。

その頃からまたクエを試みたが、ソの夜も私の私の竿にはアタリは遂に来なかった。

林さんが2貫足らずの小さいのを1本あげたのみ。 

 

死闘、馬乗り碆

翌朝、今日の大漁を恵美須さんにお祈りして、持参の焼酎を海にたらす。そこへ、今日は私も御一緒にお供しますと言いながらやってきた船頭氏の道具を見て驚いた。

田辺のクエ竿の倍も太い青竹に道糸全部がマグロ用のワイヤである。

「ひるからアラ(クエ)をやるんですか?」

「いえヒサ(石鯛)です、貴男の合成(ナイロン)ではここのヒサは一寸無理でしょう」

「なかなかこれで3貫までは大丈夫ですヨ」

この自信満々の言葉が図らずもOAC(大阪磯釣クラブ)の名誉を傷つけるような私の

未熟さを暴露する結果になろうとは神ならぬ身の知るよしもなかった。 

潮の加減で、今日は昨日と反対側に竿を打つ、勿論馬乗り碆、昨日の復讐戦というわけだ

昨日の失敗にこりているからハエずれを避け、出来るだけ前方に竿を突き出した。足場を固め

さア来いと言う体勢で、アタリを待つ、林さんと船頭氏2人が盛んにフジツボをこませてくれる、潮は相変わらず速い、このポイントは遠投すると前のハエにかかるおそれがあるので、足元を釣ることになるが、それでも15ヒロは軽く出る。  続く

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢にまで見た宇治群島へP-2

2013-01-28 22:29:03 | 釣り界の歴史

翌2日も晴天、午前5時に磯に渡る。

さア、いよいよ夢にまで見た、宇治群島への挑戦である。

場所はどこもかしこも好ポイントだから、手当たり次第試みて、もしそこが駄目なら、すぐにハシケで移動することに決め、先ず手始めにガランという瀬に上がる。

 

下を見ると潮の流れが無闇に速い。同行の林さんがフジツボを落としてかぶせて下さったが、

潮に流されて止まらない。

ええい、ままよと、ハエの先端から第1投を打ち込む。撒き餌が利かないせいか、アタリがない、陽が高くなり時間が流れる、と、8時、初めて待望のアタリが来た。グイと合わせて巻き上げたが、手応えも軽く上がってきたのは7百匁未満の小さいやつ、続いてもう1枚これも先とおなじくらいの小さいもの、折角ここまで来てと思うとどうも余り面白くない。

 

それから続いて2回かけたが、1つは水面でバラシ、1つはワイヤ切れ、連続2回ものミスに

いよいよ以て面白くない、すると途端にアタリが遠のき、食わなくなった。

流れが速すぎてコマセが利かないせいだろうか。

それでひるからは少し沖の「馬乗り」という小さなハエに変わった、足場は少々悪いが、潮の

ぐあいで左側へ打ち込んだ。

 

1時間ほどして次第にアタリ始めたがどうも食い込みが悪い。

さればと、じやんじやんフジツボを搔き落とし、それから流れ子の餌をサザエに替えて

投げ込むと、餌が底につかないうちに、グーッと来た。どうせまた小さい奴だろうと、と軽い気持ちで竿を合わせたが、今度はどっこい竿が上がらない。

「アッ」と叫んだかどうか、途端に私の体は宙に浮いていた。

不用意といえば不用意だが、足場の悪いトンガリ岩に両脚を揃えてたっていたのだから、いきなり竿先を水中に舞い込ませるほどの激烈な衝撃には耐え切れるものではない、一瞬私は体勢のバランスを失って真っ逆さまに落て行った。

幸いにも水面近くで岩につかまり、柔道の受け身よろしく顔面を打つことは免れたものの、手はフジツボで切って血だらけ、それでも流石に竿は放さず、はね起きざま、その竿を立てて見たが、ナイロンはとっくにハエで高切れ、しばらくは声もなくそこにうずくまっていた。

 

林さんが驚いて飛んできて、私を引き上げて下さったが「ここのヒサは口白と言って、2貫

以上はザラですから充分注意してくださいヨ」とのご忠告。

口白とは何か?どんな奴か?わたしは想像つかないが、ともかく宇治群島の凄さの一面に

ふれた思いで、背筋を冷たい戦慄が走った。

するとフアイトが深いところから湧いてきて全身に溢れ、私は思わず「よオーシ」と口に

出して呟いた。

 

今度は前の失敗に懲り、始めから慎重に充分体勢を整えて竿を持つ、

コマセが利いて、喰いも立ってきたのか、直ぐにゴツンゴツンという石鯛特有の当たりが

穂先に来る。と見る間に、竿全体が胴震いしながら穂先から水中に吸い込まれて行く。

「エイッ」とばかり、後ろへひっくり返るほど強引に竿を合わせると途端に竿は満月を通り

越して逆U字型にきしむ。

想像を絶する凄い引きだ。そいつを力の限り腕の限り唯もう強引ガムシャラに巻き上げると、

なんと口がまっ白な石鯛、腹に黒い模様があって薄灰色の魚体は、まるで石鯛の王様さながらの風格がある。

大きさは1貫600クラスの、標準を少し出た程度だが、その引きは大阪近辺のそれとは

比較にもならぬ豪引である。どこにそんな力の差が生まれてくるのか、考えれば不思議千万

 

「来てごらんなさい、ヒサがたくさん見えますヨ」林さんの声に、下を覗いて、思わず

”ウワーツと唸った。

南海の澄み切った波の下に真っ黒になるほどの巨大な口白が銀鱗をひらめかして遊泳している、その数は20匹や30匹ではない。コマセにすっかりノボセ浅場に上がってきたのだろう

「俺は夢でも見ているのではないか」と思わず頬をつねってみたが、やはり痛い。  

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和34年(西暦1959年)夢にまで見た宇治群島へ

2013-01-27 17:38:36 | 釣り界の歴史

第1回の九州遠征は僅か2枚の収穫を得ただけの、無惨な失敗に終わったが、

その時聞いた宇治群島の名前はいつまでも耳にや焼きついて離れなかった。

竿釣りの宝庫として、1日85枚も釣れたという宇治群島、今度行くときはなんとしても

そこへ行ってやるゾという思いは、次第に私の心の中で熟度を増し憑かれたような執念となって凝り固まっていった。

 目を閉じると、まだ見ぬ宇治群島が、一望千里の大海原に、点々と浮かんでいるのが、

網膜の裏に見えるようだった。

4月25日、二木島の石鯛釣りにアブレ帰宅すると、手打ちH氏から速達が届いていた。

鷹島で、50枚釣れたから、ぼちぼちシーズンに入ったと思う、お越し下さい、という文面

桁外れに景気の良い情報である。

さあ、そんな情報を目にしては、もう矢も楯もたまらない。

早速長距離電話で浜里氏を呼び出し、船の準備を依頼する一方、大童に荷物を整えた。

生憎、同行の大井氏が都合悪く、佐古田氏またスケジュールあって行けないとのこと、

それでも私は行くとばかり、私一人が27日の夜行に飛び乗った。

連休をひかえた汽車の中は、立スイの余地もない超満員、私は阿久根まで殆ど一睡も

出来ないでいた。

 浜里氏の幸親丸が阿久根まで迎えに来たが、バッテリーの充電やら、氷の補給に2日も

かかり折角の好天続きを、イライラしながら無為に過ごした。ただこの間、阿久根の

市場で1貫足らずのサザエをやっとみつけ、それを宝物のように大切に抱えて船に積み込んだのがせめてもの収穫だった。

宇治に向けて出発したのは、だから5月1日、この地方では珍しいほどの晴天無風の日だった。そのせいか船足は意外に早く、5時間ほどで、目指す宇治群島の遠景が見え、正午には島に辿り着いた。

 島は夢に見たそれとそっくりだった。 紺碧の空とエメラルドの海の真っ只中に、ポッカリと

浮かんだその島は、さながら別天地に見えた。ビロー樹が生え茂り、それが南国の強い陽光に映えて、しみいるような緑の影を一そう濃くしている様は、異国情調も満点で、遥けくも、来つるものかな、の感を、いよいよ深くした。

その上磯の様相がまた、魚の宝庫の称号もさこそと肯かせるほどの素晴らしさ、全島

皆これ好ポイントに見える。

ところで何はともあれ先ず餌だ。1貫足らずのサザエでは、これからの長期戦に、何としても余りに心細い。早速伝馬を下ろして磯に渡り、まず餌の採集にとりかかった。

時給自足という戦法だ。

 

此の島には穴子(ナガレコの一種)が多いということだが、磯に上がってみると、成る程

あるワあるワ、忽ちのうちに3貫目ばかりも採集した。

それを海水でザブザブ洗って、その一つを口に入れると、実に美味い。

これならヒサも飛びつくだろうと思って、時計を見ると午後3時半。石鯛にはちょっと時間が遅いので、楽しみは明日ということにし船に戻って今度は夜釣りの準備にかかった。

夕食後、いよいよクエ釣り、磯に渡って竿を出したが、潮でも悪いのか、コトリトともアタリのないままに夜が更けた、船頭氏が小さいフカと巨大なウツボを上げただけだった。続く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする