ふろしき王子のブログ◎
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先日の大雨で、間近にある浅川は濁流と化した。
氾濫こそなかったが、もっと風雨の激しければ、
川が市街へ溢れてもおかしくない。

大量の水は上流の山から集まってくるから、この山の保水力を
高める必要がある。

高尾山が東京にありながら深々と深緑をたたえていて、どうだいと
PRしているが、写真に映れる深き緑の大部分は
放置された人工林であり、手入れされない弱った木と、
中は生きものも乏しい闇の世界で、
広葉樹の落ち葉の層がないから雨が降れば
川へと一直線で、災害の原因ともなっている。

オリンピックにかける税金の一部でも、山の再生に使えばよい。
林業の補助金というよりは、コストのかかる山奥はまず
今後手入れが必要のない極相林になるような仕込みをしておく。
人里に近い里山エリアは、広葉樹交じりで手入れしながら
新しい林業の活性化を目指して、積極的に立ち入る。

そうして山がポテンシャルを発揮すれば、川から海までげんきになる。

このままでは、汚染の残る東京湾をオリンピックの
トライアスロンで泳がざるを得ないことになる。

広葉樹により、積もる落ち葉は虫や微生物の棲み家となり
ミネラルを生み、酸性雨を中和し、川から海へミネラルを流せば
お米の栄養も増え、底に沈澱している有害化学物質も多少中和されていく。

各々の持ち場で、次世代の子どもたちのために
やれることは色色あるが、ただ人間界の子どもだけでなく、
植物やいきもの、石、建て物のきもちなど
たくさんの視点から、それらを満たす在り方をまなざすことが、
結果的に本当に子どもを守ることにつながる。

囲って守るではしょうがない。子どもたちを生かせる
最高の環境とはどうありぬべしか?と、
綺麗事の実現を目指さなければ、
体を借りて生きている意味が薄れる。

ちいさなちいさなエビの赤ちゃんの
懸命に跳ねんとするすがたに、
子どもの生命の尊厳を重ね、ここちよい水の循環する
世界を想う。 

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昨日、庭の稲刈りをした。
とはいえ微々たる量ですが、2007年くらいに
浅草の実家の屋上で始めて以来、種をつないでいるので
10年目の稲です。

ワラは刻んだのを水田にばら蒔いている。
そう、うちの田はこの3,4年は、一年中水を張りっぱなし。
その中で、ワラは微生物に分解され、液体水晶(珪素)になる。
珪素は科学的には炭素族であり、他の物質と結合しやすい。
雨や大氣中の窒素と結べば(窒素固定)、施肥せずとも
稲の育つ養分となる。
もちろん、ワラ自体の養分もあるが、そのものは
田植えまでには微生物や藻等に消費される。





大切なのは、いつでもエネルギーの循環がそこで起きていること。

そのためには、動きや回転が要る。
微生物がたくさんいながら、それを消費していく食物連鎖の
回転の渦にこそ、目に見えない生命力が満ちる。

必要なものは外から入ってくるから、本来はメダカに
既成の餌をやる必要はない。

水替えしてメダカの糞を流すのは、糞を生かした循環が
できていないから。

糞を微生物が分解し、それで繁れる水草や藻、殖えるミジンコを
メダカが食べるのが自然。

うちの庭には、3種のカエルが棲み着いているが、
どなたもでっぷりと肥えている。

餌は虫。
虫の餌は裏庭に置いている野菜くず。

この野菜も自家製であればなおよい。

落ち葉や糠や野菜くずを、森のように芳しく発酵させて、
それをほっこらと混ぜても菜園の肥料となるが、
本来は、土を掘って肥料を埋めるというかたちも自然界では無いこと。

地面の上に、落ち葉や枯れ草や生き物の死骸が積もり、
その中で微生物が分解して土と化していく。

だから、畑も地表に野菜くずを置くだけのほうが自然といえるが、
乾いたり虫に食べられたりで、肥料効果は乏しい。

虫の糞が地面の隙間に落ちて、微生物の餌となれば
野菜の養分へ転じる。

野菜くずが乾かないように、その上へ落ち葉や枯れ草を積むのも
ありとは思う。

ただし野菜くずの質によっては、ミネラル不足と
窒素過多により、腐敗発酵をおこして、野菜にふさわしい
養分にならなかったり、ガスの発生で野菜を傷めるおそれがある。

それを防ぐには、野菜くずをいったん水に浸しておいて
2,3日自然な乳酸発酵をさせ、そこで溶けてしまったり
悪臭を放つものは肥料に使わないという方法もある。

本来難しいことでもなく、その土地で住んで恵みを得ていれば
当然ぐるぐる回ることなのだが、ライフラインも食べ物も
暮らし方も多様化しているために、問題が複雑と化している。

一方で、生物の多様性は損なわれている。

私もそろそろここを引っ越して、もっと広く田んぼもしたいと
傾いていたが、まだまだ東京での在るべき出会いが
つづいているので、天より辞令のあるまでは
今いる場所で、たんたんと精一杯、日々を刻んでいきたい。

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