”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(126)

2007年08月15日 22時42分53秒 | ビジネス

8月15日(水)晴
相変わらず暑い日が続きます。明日から休みに入ります。明日はヨットと魚釣り、あさってから一泊二日のゴルフと3日連続太陽の下で遊びまくります。でも家内は僕の年齢を考えたら、やりすぎだと一応心配してくれています。実は僕も心配してます。まさかこんなに暑い日ばかりとは思っていなかったので。とりあえずマイペースで夏休みを頑張ります。
と言うことで前回のビジネス編の続きの「中庸」の解釈をしていきます。

孔子の説く「道」は人間が生まれながらにして持っている偏りのない心で行うことにより達することができるのであるが、人間の持つ喜怒哀楽や欲望によりなかなか実現しがたいものです。
この「中庸」の道に達するためには三つの徳が必要であることを前回書きました。いわゆる三達徳のことです。「智」「仁」「勇」のことでした。
今日はそのあとからです。

道は天性に従うものであるからして、常に人から遠いところにあるものではない。己の真心を尽くし(これを忠と言う)思いやり深く行う(これを恕と言う)により道から離れることはない。
君子の道は四つある。第一に我が子にかくあってほしいと思う心を持って我が父に仕えなさい。第二は我が臣にかくあってほしいと望む心を持って我が君に仕えなさい。第三は我が弟にかくあってほしいと思う心で我が兄に仕えなさい。第四に我が朋友にかくあってほしいと望む心を持って自分から先に実行しなさい。
君子たる者、日常なすべき徳を実行し、言うべきことを謹みて言う努力をしていれば、言い過ぎることもなく、自分の行いは平素の言動にかない、篤実でないわけがないのである。
君子の道はその位を本来の持前として、それに適した行為をし、天命の至るを待ちそれ以外は求めないことである。上位にある時は下の者を凌ぎ辱めることがないようにし、下位にある時は上にすがって出世を求めることもなく、ただ我が身を正しくして他人に求めることがなければ自然と人を恨むことはないものである。
道の効用は広いものである。たとえば舜の徳は聖人であり、尊さは天子でありその富は四海に及び子孫は長くその禄位を得ている。すなわち「大徳あるものは必ずその位置を得、必ず禄利を得、必ず名誉を得、必ず寿命を得るものである。」
周の文王や武王も先祖を敬い、礼節を重んじたので永くそ位置を得たのである。
天下古今を問わずよるべき「道」は五、この達道を行うゆえんのもの三、そしてこれを行うゆえんの根本となるのは一つ「誠」である。
すなわち「智」「仁」「勇」の三達徳を持って「道」に達するために行うことは五つある。一つ君臣、二つ父子、三つ夫婦、四つ昆弟、五つ朋友の交わり。これを五達道と言う。
三達徳を持って五達道を行うのは種々の手段があるがその根本はただ一つである。もし誠がなければ徳も真の徳とは言えず、従って道を行うことはできない。

今日は此処までです。やっと「中庸」の核心である「誠」がでてきました。すべてが誠の心を持って徳を施すことが儒教の出発点です。そして智・仁・勇を兼ね備えて五つの道すなわち君臣、父子、夫婦、昆弟、朋友の交わりを行うことが君子としてあるべき姿だと言っているのだと思います。あとは九経について解釈すればほぼ中庸の言わんとしていることは完了です。
次回はヨット・ゴルフ三昧のあとまとめを含めて最後にしたいと思います。
それにしてもうすっぺらな本なのに重たい本でした。意味を理解しようと何回も下書きして書いてますがまだまだ自分は未熟者であることを思い知らされてます。
未熟な解釈を読んでいただきありがとうございます。
これからもさらに修己していきます。
今から休みモードに入ります。

 

 


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