7 月7日(金)曇
やっぱり午前様になってしまいました。昨日の話は8日土曜の朝書いています。実は昨日はフルノ電気にGPSアンテナを買いに行ったりでバタバタしながら、今度のクルージングメンバーの女性達と夜は楽しく飲ませていただきました。僕らぐらいの年齢になると若い女性達と会話ができるだけで何か年をとっていく実感を防止できるような気がするので、若い頃の恋愛感情とは違った楽しさがあります。付き合ってもらえるうちが花だからつい気前がよくなってしまいますがそれも働ける間のことかもしれません。
ところで今週は自分流哲学を持てる人になるために、自分創りのために必要と僕が思っていることを書いてきました。そしてそのための日々の行動における心構えとして誠実さの実践・どんなことがあってもやりとげると言うこと(達成感が人を成長させるし、仮にうまくいかないことも修羅場を切り抜けることによる人間としての充実が図られる。)を話してきました。あと補足的に23追加してとりあえず一区切りとします。
それでは第三番目の心構えとして、常識と言われていることを鵜呑みにしないこと。世の中には常識のうそがたくさんあります。素直な心で物事の本質を見抜く目を創る努力を自分なりにして行こうということです。常識は世の中の進展とともに日々変わって行くものです。だからそれが何のために常識となっているか本質を見ることが重要になってきます。世の中で革新と言われていることのほとんどが従来の常識を覆したものであることはみなさんも容易に想像がつくと思います。1月に本の紹介の中で「あたりまえのアダムス」と言う本の紹介をしましたが、まさにアダムスの心構えで物事を見ると言うことです。職場でよく先輩が、これこれはこう言う順番でやることに決まっている。これうちの常識だよなどと言われることが多いと思います。でも何のためにそういう順番になったのかを突き詰めてみると常識の本質が見えてきます。一番早く処理できる順番が常識だったとすると技術の進展で各工程の処理時間が変わってくるとボトルネックも変わって来ます。すると順番も変わってもあたりまえなのだけど、長く信じてやってきたことは人間はあまり考えませんから常識のうそを見抜けなくなるのが一般的です。特に自分会社じゃないからよけいそうなるのかもしれません。でもこれからの時代は多分そんな悠長には行かないと思います。だんだん長くなってしまいそうなので次に行きましょう。
第四に時間管理です。一日が24時間と言うのは世界共通の区切りで変えることはできませんが時間密度は変えられると言う事。忙しい忙しいと言っている人がよくいますが結構無駄な時間に思えることも第三者的にみれば思うことありませんか?自分は今結構暇なのであまり偉そうなことを言えませんが、時間の使い方は工夫次第だと僕は思っています。僕の趣味はヨットなのでヨットでできるだけゆっくりする時間を取りたいし、どんなに忙しくても自分の心を休める時間は削るつもりはありません。そうすると他の時間にしわ寄せが来てしまいますが、何とかやりくりできてしまいます。僕は前にもこのブログに書いたかもしれませんが「本」をかなり読みます。でも自分の時間には読書タイムと言う時間は存在しません。ただ通勤時間の10分は本を読んでいるのがほとんどですし、ひとりでコーヒーを飲んでいるときもほとんど読んでいます。この時間は一日の中では非常に短い時間ですが年間で見ると膨大な時間です。僕はここ二十年ぐらい続けているのであまり苦になりません。ただちょっと違うことは読み終わったあと必ず自分の頭の中を整理する意味で休みの日に共感したことや教えられたことをレポート用紙一枚程度にメモしてあります。だからこのブログを書く時、貞観政要に確かこんなことがあったなとうる覚えのこともパラパラと見て確認してかけるのであまり時間をかけずにブログもかけます。時間活用は「自分創り」のもっとも基本的な要件かもしれません。ただし自分のめざす目的が明確でないと設計できないかもしれません。人それぞれ趣味も違えば、めざすものも違いますがそれに会わせて時間設計を考えてみるといいんじゃないでしょうか?あまり何かを犠牲にしてやるような時間設計は長続きしません。どうしても何かを犠牲にする時は時間を区切ってやり通すことだと思います。
長く続けているとだんだん上達するのが時間活用術かもしれません。
今日は「自分創り」のための心構えの三番目と四番目の話をしました。まだ書けば書けますがだんだん似たような話になってしまいますのでここまでで一区切りとします。
今週はまとめて言ってしまえばすぐに終わるかもしれないことをながながとなってしまいました。でも結論だけで書くと誤解を生じたり理解してもらえないと思うとついつい長くなってしまいます。人に伝える文章と言うのは難しいものですね。半年ブログを書き続けながら実感として感じています。僕もまだまだ修行中の身ですから勘弁して下さい。でも死ぬまでずっと修行の身かもしれません。悟りを開いた時は死ぬ時かも知れませんので、浮世でいつまでももがき続けたいと思います。今日は昨日の分を書いて今日の話は休みでまた明日の夜書く予定です。ではまた。