”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(83)

2006年07月04日 23時18分04秒 | ビジネス
7月4日晴
今日の朝の空をごらんになりましたか?あの青さは夏の空ですよね。一瞬梅雨が明けたのかと思ってしまいました。7月7日の七夕にあんな空だときっと星がきれいでしょうね。織姫と彦星の伝説のロマンに思いを馳せるかもしれません。織姫も彦星も働き者でしたが結婚するとあまりにも仲が良すぎて二人でいるばかりであまり働かなくなってしまったそうです。そこで怒った神様は二人を1年に1度だけ会えるようにしたとか。我が家をみればあまり仲良くないすれ違いばかりだけど、もう30年もいっしょにいるのだからまぁ何事も適度が一番かもしれません。

ところで今日は昨日の続きですが、これからの時代はたとえ企業に所属するサラリーマンであっても個人事業主として生きていく心構えが必要だろうと言った話までしました。その理由はすでに賢明なみなさんのことですから十分わかっていることだとは思いますがとりあえず復習しておきましょう。20世紀にはいってT型フォードの量産から世界は工業社会になり、同じものを大量に生産するために工場で働く人も同じぐらいのレベルの人を長く働いてもらうため終身雇用・年功序列・退職金といったしくみがどこでもとられてきました。そして会社に尽くすことが結果として自分や家族にとってもその恩恵を十分受けられました。ところが今から約50年前にコンピュータが出現し、世の中は序々に情報化社会に向かいます。情報化社会では今迄大勢の人手をかけていた仕事をコンピュータがもっと早くやってしまうようになりました。こうなってくると人間の仕事は知恵を出すことが中心となります。そしてあまり多くの人はいりません。従って企業も社員を囲い込んでおく必要性も限られた人だけとなってきます。そこで我々サラリーマンも限られた人材になるための技を要求されます。自分のできることを企業が必要としている間は企業は手放さないでしょうが、不要になればコスト削減のため、新たな技を身につけて残るか手放されるかどちらかになってしまいます。一方サラリーマンも自分の技を高く買ってくれるところがあればどこにでも行けるようになりました。すなわち企業と従業員の関係は相互拘束型から相互選択型に変わってきているということです。そこで我々従業員も個人事業主として自分の持てる技で給料(=売上)をもらう立場になると考えた方がよさそうです。もっとも現在の資本主義のあり方が変われば話はちょっと変わってきますが。

そこで個人事業主としての心構えとして大切なことは自分の経営戦略(哲学)を持つと言うことが極めて大切なことになってきます。相互選択型の時代ですから自分で判断して自分の責任で決断することが必要だからです。
そこで一昔前は「自分探し」なって言葉がはやりましたが今はそんな甘いことではなく、「自分創り」の時代です。自分を創って行く上でやはり自分流の哲学を持つと言うことがまず最初に考えなくてはならないと思います。
それではどう自分を創って言ったらいいのでしょうか?この正解はありませんが方法論としての参考意見はまた別途述べることにします。その前に一言だけ言っておきたいことがあります。

世の中には変えられるものと変えられない物があります。変えられない物をいくら考えてもあまり意味がありません。でも変えられる物は一杯考えるべきです。たとえば過去と未来、過去はどんなにくやしがったり後悔しても変えることはできません。逆に未来は自分の行動や努力によって変えることができます。とかく我々は過去を見てぼやいてしまいがちですが、過去を客観的にみて「だから将来どうする」と言った思考だけ考えることが大切だと思います。また生理反応や感情は変えられませんが思考や行動は変えられます。世の中には生理的に相性が悪い事だってありますが、思考を変えることににより反面教師になると思えば苦ではなくなります。そして行動を変えることにによりいやな思いもさけられるものです。自分も昔営業をしていた時にどうも苦手なお客様もいました。でもその人に言われることをがまんできるかどうか天に試されているのだと思うことにより、我慢もできるし、よく聞いていると本当は全然思っていたのと違う人だったと言ったことがよくありました。
人を変えることはできないけれども自分を変える事は思考や行動を変えることにより容易にできるものなのです。そのことをまず頭に入れておいてください。
自分が変えられるものを変えていくことが「自分創り」には必要ですから。

ここでも誤解を与えそうなのでちょっと注釈しておくと、物事の本質まで変えろと言っているわけではなく、あくまでも自分が正しいと思う判断基準を持つために先輩や本から学び自分が違っていたと思うことだけ変えていけばいいわけで、あまり自分の判断基準は変えるべきではないと思っています。まさにその判断基準こそが自分流の哲学なのですから。
長くなってしまったので今日はここまでです。
明日は自分流哲学を創る上での一つの方法論を経験に基づいて話してみたいと思います。
それではまたあした。
コメント
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