西行は『新古今和歌集』に、その和歌が多数選ばれ、自らも『山家集』を出している歴史的有名歌人の一人である。西行の最も人口に膾炙している歌は「ねがはくは花のもとにて春しなむその如月の望月のころ」(『新訂 新古今和歌集』(岩波文庫)による)であろう。もちろん、花とは桜である。歌の意味は「出きれば桜の花のもとで春に死にたいものだ。それも如月(旧暦の二月)の満月のころがいい」といったものだ。そして、実際には建久元年(1190年)2月16日に河内・葛城山の西の麓(弘川寺)で、歌に詠んだような状況で、73歳で亡くなった。だから、この歌が日本人の死に際しての状況美意識の形成に作用してきた。そして、西行後、この歌を受けて、関連俳句を作っている人も多い。今回、それについて少し紹介し、考察してみたい。
松尾芭蕉は「西行の庵(いほり)もあらん花の庭」、与謝蕪村は「実さくらや死(しに)残りたる庵(あん)の主(ぬし)」(桜の花も散って実ざくらになってしまった。庵の主、即ち自分は未だ死なずに生きているのだなあ・・といった感慨をあらわしている)、小林一茶になると「いざさらば死(しに)ゲイコせん花の陰(かげ)」あるいは「死支度(しにじたく)致せ~と桜哉」さらに「穀(ごく)つぶし桜の下にくらしけり」と、「花」「桜」のもとで西行を意識しつつ、根底では生き続けようとの意志をあらわしている。同時に、一寸、茶化している。一茶らしいと言えよう。(続く)(絵は、西行法師)
松尾芭蕉は「西行の庵(いほり)もあらん花の庭」、与謝蕪村は「実さくらや死(しに)残りたる庵(あん)の主(ぬし)」(桜の花も散って実ざくらになってしまった。庵の主、即ち自分は未だ死なずに生きているのだなあ・・といった感慨をあらわしている)、小林一茶になると「いざさらば死(しに)ゲイコせん花の陰(かげ)」あるいは「死支度(しにじたく)致せ~と桜哉」さらに「穀(ごく)つぶし桜の下にくらしけり」と、「花」「桜」のもとで西行を意識しつつ、根底では生き続けようとの意志をあらわしている。同時に、一寸、茶化している。一茶らしいと言えよう。(続く)(絵は、西行法師)