西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

仏教史を考えてみる

2011-05-05 | 歴史とのつながり、歴史の面白さ
昨日、京都国立博物館へ行って「法然 生涯と美術」展を見てきたので、昨今読んだ『歴史・科学・現代』(加藤周一対談集)ちくま学芸文庫の中の湯川秀樹先生との対談(言に人ありー富永仲基に興味をもってー)を思い出して読み返してみた。

富永仲基は江戸時代の大阪の人、30歳で亡くなったが独創的学者で、東洋史学者・内藤湖南により再発見された人物だ。

で、仏教とキリスト教を一寸比較して考えてみると、キリスト教には旧約聖書、新約聖書というどういう「宗派」でも共通に基礎としている原典があるが、仏教にはそういうものがない。

そこで、仏教の発展と言うか、仏教史をどう考えるか、そこから仏教の精髄をどう捉えるか、中々難しい問題が出てくるだろう。

加藤周一さんは、対談の中で次のように言う。「・・・仏教の多くの経典の説がお互いに矛盾する、多くの違う説がある、という事実は、誰も否定することができない。その事実にたいして、どういう態度をとるかは、仏教の根本問題の一つだろうと思いますが、日本では、大きくみてその態度に三つの型があった。

その一つは、天台教学が洗練した「最勝」(さいしょう:私注)という考え方ですね。どの経典が一番すぐれているか、その標準は近代的な意味でいう原典批評ではありませんけれども、多くの違う説のなかで、どれがいちばん仏の説を正しく伝えているかを検討しようということですね。(43頁)・・・

もう一つの経典にたいする態度は、主観的な接近の仕方です。信仰の立場からいって、今ここでわが魂の救済のためには、どれが一番役に立つ経典であるか、ーこれが法然ですね。法然から親鸞に伝わった「選択」(せんたく:私注)という考え方。これは、歴史的・客観的立場を離れて、魂の救済を問題にする。

三番目の態度は、どれを選ぶかというのじゃなくて、多くの仏教経典の成立を歴史的な発展とみて、そのなかに教説の発展の内面的な論理をたどろうとする考え方、おそらく思想史的な接近の仕方といえるでしょうが、それが富永仲基のとった態度だったと思うんです。(44頁)」

この考え方が「加上」(かじょう:私注)という方法であった。