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西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

家事の持つ意味

2010-12-28 | 生活描写と読書・観劇等の文化
年末に来て「大掃除」、日ごろ家事手伝いをしていない男性や子供達も少しは手伝いしているのではないか。

最近来た雑誌『図書』1月号(2011年)に小泉和子さん(生活史研究家)が「昭和のくらしと家事(下)」を書いている。(上)は、12月号だ。ここでは(下)を少し引用しつつ家事の持つ現代的意義を少し考えてみたい。

戦前は、「良妻賢母」思想が強くて、家事は主婦の「仕事」だった。暗く寒い家事空間の台所で冷たい水を触りながら炊事や洗濯にいそしんでいたけれど、それは辛い「労働」だったことも良く分かる。

戦後になっても、「慣性」で家事は主に女性の分担となり、それは女性に目の敵にされ、女性の自由を阻むものともされ、女性達は家事からの解放をひたすら願ってきた、と小泉さんは振り返る。

確かに戦前の家事は重労働で女性だけに押しつけられるのは不当だった。戦後も不当性は残っている。

しかし、と小泉さんは家事の持つ「教育力」を道元の『典座教訓』を引きながら説明している。

さらに「たしかに家事をすることで観察力が鋭くなり、注意深くなり、段取りがよくなります。知識も豊かになり、感性が磨かれ、忍耐力がつき、人に共感することができるようになる等々、あげれば限りありません。

その証拠によく家の手伝いをする子供は気がつきますし、働くことを苦にしません。人の役に立つ喜びも知ります。弟妹の面倒を見ることで幼い者への慈しみが育ちます。このことは大人でも同じです。たしかに家事は大変で面倒なことではありますが、面倒なこと、辛いことが人間トレーニングになるのは絶対確実です。「艱難汝を玉にす」です。

かってはこうしたことによって人への共感や助け合いを学び、人のつながりが育ったのです。加えて家事にはその他にもモノを作るクリエイティブな面とか、みんなで作業する楽しさといったさまざまな生産的な力があります。

それを面倒なことはしたくない、嫌いなことはしたくないといって避けてきたことで家の中から技術が消え、人を育てる機能も失われていったのだと思います。」(同上書20頁)と小泉和子さんは言います。

私は、更にこれに加えて子供にとっての教育力、創造力涵養の他に、現代と言う高齢社会で言えば、高齢者の「基礎的生活力」の根幹が、この家事力だと思います。私の言う「基礎的生活力」とは、炊事、洗濯、掃除、育児・介護、お洒落、買い物、近所付き合いの七つほどで、殆どが家事ですね。

これらの複雑な段取りに日夜取り組むことで、「認知症」予防にもなるのでは、と思っていますし、炊事に取り組むことで、食事の質に思いが及びます。そうすると農業のあり方が気になります。こういう具合に、家事が、さまざまな方面につながっていることが理解できます。

炊事を夫婦、親子で肩を並べて談笑しながらやる風景なんていいのではないでしょうか。

忘年会シーズンだなあ

2010-12-06 | 生活描写と読書・観劇等の文化
12月に入って本格的忘年会シーズン、妻の兄弟の「兄弟会」は11月26日-27日だったが、昨日12月5日は「けいはんな市民雑学大学」の運営委員会での忘年会、男女7人、男5人、女2人、50歳代2人、後の5人は60歳以上だった。だから、まあ高齢者の「理想の生活」が話題の大きなテーマだった。それぞれ違う場所で生れ育ったので、そういう話も出た。

今週末には「西山(卯三)記念文庫」の忘年会(来年「西山卯三先生生誕百年記念会」があり、それも話題の中心になるだろう)、来週は新建築家技術者集団奈良支部の忘年会(ここ10年ほど毎年参加している。建築、住宅のあり方、形の論理の議論があるだろう)、最後に奈良女子大学家政学部・生活環境学部退官・退職有志の会(私より年寄りが4人、年下60歳代2人計7人の侍である、日常生活のの楽しみのあり方議論が楽しみだ)がある。

まあ余り飲まず騒がずに余裕を持って語り合うスタイルが段々良くなっている。それが体にも頭にも良いのである。

それとこの1年の嫌なことを忘れる「忘年会」ではなく来年度を展望し抱負を語る「望年会」になりつつあるのも良い。

最近の月曜昼食は大学生協食堂

2010-11-29 | 生活描写と読書・観劇等の文化
まあ、最近は「毎日が日曜日」のようなものだが、現在、週一で月曜日に奈良教育大学で非常勤で「住居学」を教えている。午前中だ。

で、終わったら、先週から大学生協で食べている。サラダバーがあるし、ご飯もL,M,S,SSと細かく量が分かれているし、魚や煮野菜も結構ある。外の一般食堂では昼食は800円ほどなのに、ここではほぼ500円台で十分だ。

今日食べた物:豆腐(冷奴)、ライスSS、味噌汁(若布と麩)、とろろ(芋)のりかけ、納豆、スライスおくら、鯖生姜煮で7品目で535円だった。(奈良女子大生協食堂では、納豆がなくなっていたが、ここは未だあって良い。)

レシート下方には、タンパク質34.2g、カルシウム174mg、塩5.3g、641キロカロリーと記載がある。日記にでも貼りつけておこうかな。

日本の「古代」は太陽暦?神武天皇は実在したかも?

2010-11-24 | 生活描写と読書・観劇等の文化
これも雑誌『図書』(11月号、岩波)の記事からである。

長島要一さん(コペンハーゲン大学DNP特任研究教授)の「W・ブラムセンの情熱ー「和洋対暦表」と古代日本ー」である。

W・ブラムセンとは明治の初めにデンマークからやってきた青年(20歳)で海底電信ケーブルを敷設するため長崎電信局に赴任してきた。

彼は、古銭学にも関心を示し「和同開珎」の「和同」は西暦では何年に当たるのかなど、日本の暦の各月の1日が、西洋暦の何年何月何日にあたるかを容易に分かる『和洋対暦表』を上梓した。

英語版も発行されたが、その序章で、ブラムセンは、日本では年を表示する方法は四つあることを説明しているようだ。(1)天皇の治世、(2)年号、(3)干支、(4)「紀元」すなわち神武天皇即位の西暦紀元前660年を元年とする年、である。

で、明治以降、天皇一代につき年号一つと決められ、「紀元」は1873年に制度化されたが1945年に廃止された。

ブラムセンの「概説」で「特に注目すべき点は、日本人が、中国から暦のシステムを導入する以前に、「1年」をいかに数えていたかという、暦法の根本に関するブラムセンの仮説である」「『日本書紀』を読み解く過程で、彼は初代天皇神武から第16代仁徳までの平均寿命と、17代履中から32代崇峻までの平均寿命とが、それぞれ109歳と61.5歳というように、著しく異なっているのを発見し疑問に思った。」

「しかし、神話的な存在だから長命だったのだろう、などと考えなかったところが異色で、彼によれば、仁徳天皇の治世(313-399)に中国の暦法が導入されたが、それまでの日本人は、昼と夜の長さが同じになる春分と秋分を起点とし、春分から秋分、秋分から春分をそれぞれ「1年」として数えていたと言う。まさにそのために、『日本書紀』では仁徳天皇以前の歴代天皇の寿命が2倍になっていたのだと説明している。」

「単純明快すぎて、だまされたような感じさえする仮説である。」

「古代の日本では、天照大神の末裔の国にふさわしく、月ではなく太陽を、時間を計る単位にしていたにちがいない、とブラムセンは確信する。」と言う。(そういえば、ひこは日子だし、ひめは日女が元である。正に日の本の国である。)

これで計算してみると、神武天皇の治世は紀元前660年に始まるのではなく、紀元前130-93年となり、今の古代史の弥生時代中期に即位となる。

また「たとえば、崇神天皇を実在初代天皇と見なしてその在位を紀元前97年から30年とし、神武天皇から崇神天皇の間の8人の天皇を「欠史8代」とするのが通説であるが、ブラムセンの説では8人とも実在の天皇と見なされ、同様に、実在性を疑われている成務、仲哀の両天皇もよみがえる」となる。・・・

古代史のプロに再検討してもらいたいものだ。

W.ブラムセンは、コペンハーゲンの実家に立ち寄った際、「腹膜炎を起こし、短時日のうちに亡くなった。享年31歳、惜しい人物を失ったのだった。」

しかし、やはり「歴史は発掘し、考え抜いてみるものであろう。」

雑誌『図書』は、岩波の宣伝誌ではあるが、毎月来る「教養便」である。各分野から刺激を受けられる。月刊誌、100円、年千円、10年で120冊で一万円である。私は10年単位で郵送してもらっている。
(郵送料は10年の場合は書店持ち)

家事共同の形について

2010-11-22 | 生活描写と読書・観劇等の文化
私は、職場人間から地域人間になると必然的に生活の基礎として家での家事を、配偶者がいる場合には、一般に配偶者と共同でやらねばならない、と言っている。

それらの家事は、炊事、洗濯、掃除、育児・介護、お洒落、買い物、近所づきあいの七つである、と前から言っており、それらが出来ることは、基礎的生活力があるということだ。

私は、それぞれゼロ能力ではないが、まだまだだと自覚している。

それで、それらの家事は、出来れば配偶者と色々な形で共同でやれれば良い、と思う。その形をちょっと考えてみると、それぞれ独立して分担というのもありうるだろうが、少ないのではないか。

つまり上に言った七つを2人できっちり分担するという形である。炊事は妻、洗濯は私、掃除は妻、・・・という形だ。これは少ない。

それぞれを分担部分や割合は違うが共にやる、という共同が一般的と言える。その中でも一緒に同じように微妙に分担しつつやる形の他、リレー式に前半と後半のようにバトンタッチでやる形もある。例えば、洗濯するのは「妻」、干す一部と取り込む一部は「私」、整理、収納は「妻」、またゴミを集めて分別袋に入れ玄関先まで出しておくのは「妻」、次の朝、ゴミ置き場に運ぶのが「私」などである。

とにかく共同でやると、夕方のビール、酒の最初の一杯が美味いと感じる。恐らく妻もそう感じているだろう。

「フォスコ・マライーニの最後の弁明」(谷 泰さんによる)

2010-11-21 | 生活描写と読書・観劇等の文化
過去、この世を去るに際して、形式的葬儀はせず、知り合いに向けて「最後の言葉」を残した先達として、先輩の吉野正治(よしのしょうじ)さんがいる。私は過去のブログで紹介した。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/29825f69a6440424473c41fe71bd5535

今回、雑誌『図書』11月号(岩波書店)の谷 泰さん(社会人類学)表記小文によると、「イタリアにおける日本学研究の草分け、民族学者、登山家、すぐれた著述者かつ写真家として」日本でもしられていたフォスコ・マライーニが2004年6月8日に92歳で人生を閉じるに際して「自己信条の一貫性をつらぬくべく、教会の葬儀ではなく、世俗の告別式を望み、なぜ自分がそう望むかの理由を明記した弁明の文を、告別式への参会者にむけて予め書き残していた。」以下がそれである。

「親しき友人諸氏へ
このたび、宗教色抜きの葬儀の常として、いかにも味気ない葬儀場に集まっていただくことになったことを心苦しく思います。もちろんわたしの愛するフィレンツェの、崇高で歴史の香りあふれる教会、讃美歌、散香の香り、音楽、そして花にみちた場に、皆さんをお招きできたのなら、言うまでもなくすばらしいだろうと重々承知のこと。ただそれを拒んだのは、次のような自己の信条を最小限貫きたいという思いでありました。

 あなた方は尋ねることでしょう。いまお前はどこにいるんだ、いったいどういう信念のもとで、だれも避けることのできない不思議な旅に向けて地球を去ろうとしているんだと。
それに対して、わたしの人生でのある決定的な出来事から話し始めたい。
1965年から66年にかけてのこと、わたしはニューヨークの出版社ハルクート社の依頼を受け、かの三大宗教の中心である都市エルサレムについて一書(引用者注:Jerusalem:Rock of Ages,1969)を執筆することになりました。
・・・こうしてエルサレムに数カ月滞在することになっただけでなく、この滞在を機に、聖書(旧約と新約)とコーランを丹念に読むことにもなったのです。・・・

 ともあれこの経験以後のことです。わたしは神の〈啓示revelation〉という問題を真剣に考え、・・・真の意味で偏見から自由な精神の持ち主から見て、この「啓示」というものは、なにもエルサレムにおいて発せられたかの有名な三つの啓示に限られるものではないと思い始めたのです。

 それこそ視野を広げて、啓示はゾロアスターの思想にも、ヒンドウーのリシの考えにもある。いや仏教をどうして無視できるでしょう。サッダルマ・プンダリーカもまた啓示のひとつではないか。・・・それこそガルザンティ社の宗教小事典を見るだけでも、38もの宗教が指摘されています。そのそれぞれにおいて啓示という現象は認められなくてはならず、このような啓示の洪水を前に、神様、いったいどれが本当の信用に足る啓示なのでしょう、・・・ある啓示に対してこれがより優れているという保証がいったいどこにあるのでしょう、と尋ねたくなるほどなのです。

 わたしは、こういう疑問を抱きつつ、それぞれに互いに距離を保った諸文明に向けての旅を重ね、それらにじかに触れる経験を通じ、はっきりと次のように思うようになりました。

 つまり、ある特定の場所、特定の時点で、特定の人物に開示される〈局在する啓示Revelazione Puntuale)ではなく、〈常在する啓示Revelazione Perrenne〉というものがあるのだと。それは自然のなかでも、日常の人間世界のなかでも、聴こうとするものならいつでも、どこでも、神秘的な語りかけとして受け取られるものであり、じつはそういう宗教的場に、われわれはいる。なにも預言者から聴かなくとも、聴く、見る、読むだけでよい。すべては〈啓示〉として、そこに、いつも、示されているのだ、と。

 もちろんこういう考えに、あなたは、確かに美しいもの、崇高なもの、朝日に輝く樹上の雪、月光のもと岩に砕ける波頭、林の梢を吹き渡る風に触れるとき、われわれはある神々しさを感得するにしても、醜いもの、悪しきもの、恐るべきものに触れても、お前はこの〈常在する啓示〉を感得するのかと尋ねるでしょう。答えはもちろん「はい」です。

 ある意味で悪は、善や美よりもいっそう啓示としての教えを含み、はるかに神秘的なのです。神は無垢の子供の死や苦悩をどうして許容するのか。こういう疑問に対しては、神秘性が増すにつれ、苦しみはいや増し、恐れおののくというべきでしょう。

 たしかにこういう視点から見ても、イエスは、モーゼやムハンマド、仏陀や老子と同様偉大なる人物でありつづけます。しかし(巧妙かつ天才的なパオロの創作でしょうが)イエスをわたしはどうしても「神の子」とはみなせないのです。〈常在する啓示〉の中にこそ、わたしは平和と安心とを見出してきました。多くの理由から、わたしは〈局在する啓示〉よりも〈常在する啓示〉のほうがはるかに優れていると思えることをいま告白します。

 そう〈常在する啓示〉は、それこそ最初にこの世に到来した人類が不安と感謝、希望と不思議の念をもって天を見上げたそのときから、いつもそこに存在していたのです。もし〈局在する啓示〉の立場に立つなら、啓示は人類史のなかでもきわめて遅れて立ち現われたことになる。〈常在する啓示〉の立場に立って初めて、啓示宗教が現れる以前の人類、古代の、異教の、そして未開の人々にも啓示はあったことになり、不自然さは解消します。〈常在する啓示〉という観念のもとで、ネアンデルダール人も遠い過去の人々も同様に、われらの親しき同胞、親しき精神の友となるのです。

 この〈常在する啓示)のもとでは、ある啓示を信ずるがゆえに他の啓示の信者を物理的に抹殺する、といったファンダメンタリスト的崩壊現象は回避されるはずです。あの恐ろしい出来事は過去においていくども起こっており、十字軍を、アメリカ大陸征服時のあの悲劇を、ヨーロッパをはじめ各大陸でくりひろげられた宗教戦争を想起するだけで十分でしょう。・・・そう、歴史とではなく、自然と一体化する〈常在する啓示〉こそが、深く実感のこもった人類同士の精神的一体へとわれわれを導くのです。

 〈常在する啓示〉という考えの下でこそ、宗教と科学、人間と自然とのあいだの対立は克服されるはずです。科学はその啓示を探求するものとなり、隠された神との協力のもとで、宗教的営為と一体化していくでしょう。〈常在する啓示〉こそが、遠き孤島で自足しつつ謙虚に住む人から、高度なる文明中心で最高の知性の高みに達した人にいたるまで、すべての生きとし生ける人類のすべてが、ひとつになることを保証してくれるのです。

 もういちど最後に、伝統的なしきたりに従った相応しい告別の場を用意して、あなた方をお招きしなかったことの許しを乞うとともに、なぜそうしなかったかその理由をご理解いただけたことを期待しつつ、お別れの言葉に代えます。 フォスコ」


うーん、深い、広い考察、そして営為である、と感動している。現代の「宗教戦争」は、〈常在する啓示〉の立場から、きっぱりとやめるべきである。

お金のかからない生活の楽しみ方

2010-11-06 | 生活描写と読書・観劇等の文化
早朝、ラジオ深夜便で「子どもホスピスへの試み」で東大寺福祉療育病院副院長 富和清隆さんの話をウツラウツラ聞いたのだが、富和さんがイギリスに3年ほどいて小児科の研修をされていた時に、イギリス人の「金の要らない生活の楽しみ方」を学んだ、と言われたので、ハッと目が開いてしまった。

私も昔10カ月ほどいたことがあるので、「そういえばそうだな」と思った。例えば、散歩、犬の躾け・訓練、図書館通い、バード・ウオッチングなどなどだ。

まあwalking,watching,reading,thinking,talking,writingなどであって、まあ双眼鏡、ステッキや帽子、靴、本(図書館で借りる)、ノート、筆記用具などが必要だが、そんなに出費とならない。

これらを日常化し、楽しんでいるのだ。

読書にしても、好きな本は何度も読むようだ。最近、考古学者・森 浩一さんの『倭人伝を読みなおす』を読みだしたが、森さんは何度も何度も前後も含めて読みこんで新たなことに気づき発見されているようだ。

これらを複数組み合わせるのも良い。
walking and watching
reading and thinking
reading and writing
talking and thinking etc.

究極は、これら全てを順々に、順序を変えてもよいが、していくことかな、と思った。

walking,watching,reading,thinking,talking and writing!

サンデル教授著『これからの「正義」の話をしよう』を買う

2010-10-05 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日、サンデル教授著の『これからの「正義」の話をしよう』を買った。今日来た、『U7』(7大学同窓会「学士会」雑誌)を見ると、北大から九大まで7大学の生協書籍売店のベストセラー(一般書)トップは、いずれもこの本である。

大部の本なのでゆっくり読み砕いていこうと思うが、アメリカ人の政治哲学者だから止むを得ないが、三人の西洋人の哲学的考え方を下敷きにして「正義」の問題を色々論じている。

つまり功利主義のイギリスのベンサム、道徳的個人主義のドイツのカント、そして古代にかえって美徳の推進を主張するアリストテレスが「下敷き」である。

全部読んでないので何とも言えないが、東洋や日本の思想家の考え方による「正義」は、どうなのか、とフト思った。孔子や老子、さらに仏教思想や日本の国学者の考え方も検討しなければいけないのではないか、と思ったのである。

適当な参考書があれば教えてください。

疋田洋子編著『ずっと、この家で暮らす。』の紹介・寸評

2010-09-30 | 生活描写と読書・観劇等の文化
もう半年以上前にかっての同僚・疋田洋子さん(奈良女子大学名誉教授)から編著の『ずっと、この家で暮らす。』を頂いた。その時以来、ブログで紹介したいと思いつつ今日になった。で、このブログ記事の一つ前で「ニューヨークの南京虫騒動」を書いて、はっとこの本を思い出した。

というのは、この本は住宅の管理の重要性を様々な面から明らかにしており、南京虫対応でも「地域ぐるみ」も必要だが個々の住宅での管理対応も重要であるからである。

この本は、疋田洋子さんをヘッドに奈良女子大学住居学科(大学院修了含む)卒の6人の共著である。

最初に、総論として疋田さんの「管理は生きかたである」がある。
1章 スクラップ・アンド・ビルドからの卒業(疋田洋子)
2章 学びたい美しい住み方(冨士田亮子)
3章 家族や地域がはぐくむ住まい(町田玲子)
4章 人と住まいの健康と室内空気(東 実千代)
5章 高齢者も安心な生活(北口照美)
6章 意識したい住まいの管理(藤平眞紀子)
最後に、あとがきとして町田さんの「世代をこえてつむぐ」がおかれている。

これらは重要な各論を連ねながら全体として住居管理の大切さを身近な生活を振りかえる中で述べている。

二つだけ注文と言うか、言って欲しかったのは、一つには、「住居管理とは何か?」の定義と言うか全体像である。全体を読めば分かるといえばそうなのだが、あえてまとめて言って欲しかった、と思う。もう一つは、管理の面から考えられる住居のあり方である。これも具体的に色々な場面で述べられているのであるが、これもあえてまとめて言って欲しかった。

私は、16年前に「終の棲家」として現住宅を設計し住むにいたったが、昨年、白蟻騒動になって大変だった。

それでも「補修・改善」して「ずっと、この家で暮らしたい」と思っている。その補修・改善では、(1)何処でも見ることが出来る、つまり「視覚管理」が出来るようにしたい。(2)何処にでもアプローチし「触覚管理」も出来るだけ可能にするよう試みた。
そして(3)日常的・定期的清掃等で清潔性を保とうとしている。太陽光にもさらせるものはさらすようにしている。(紫外線等で問題もあるかもしれない・・・)
これらは、一つの住居管理の試みである。

色々な住まいに住んでおられる皆さんに色々な意味で一読を勧めたい。

井上ひさし著『一週間』(新潮社)を読む

2010-09-22 | 生活描写と読書・観劇等の文化
井上ひさしさんの最後の長編小説『一週間』(新潮社)を一週間もかけずに2日で読んだ。まあ、精読ではなく「筋読み」ではあるが・・・。そのうちじっくり一週間かけて読んでみたい。

物語は、戦後のシベリア抑留の旧関東軍の「一兵卒」(その経歴―山形中学出身、東京外語、京都帝大経済学部(河上 肇に傾倒)出身―から、戦前の日本における「ボルシェビキ」運動を体験、スパイMの手引きで逮捕、転向、満洲へ)が、ソ連の極東赤軍(及びソ連そのもの)を向こうに回して、たまたま手に入った「レーニンの手紙」をネタに奮闘する話である。その「始まりから(一応の)終わり」までの1週間を描いている。

当時のソ連や旧関東軍(将校団)の理不尽―国際法無視、無知―を分かりやすく具体的に描いているし、現在も問題になっているチェチェン(民族独立)のことも「レーニンの手紙」に絡めて描いている。当時のソ連の極東赤軍、日本の旧関東軍の様子も分かって面白い。極東赤軍の女性陣、旧関東軍の将校団と兵士達の違いも分かる。

この小説が描き問題にしているのは決して過去の問題ではないのだ。自衛隊では国際法をきちんと教えているのだろうか。過去、東北弁で書いた長編『吉里吉里人』で「地方独立」を描いた井上さんの精神は最後まで底流に流れていたのだな、と思った。

もし、私が父母(父は旧関東軍主計将校)に付いて行ったら、一歩「間違える」と父も抑留の運命となり、今の私はなかったかもしれない。この本の情報から推測すると、戦後、遅くも1946年(昭和21年)末までに父母と妹は満洲から帰還していると確信した。(当時、私は金沢にいたが4,5歳で正確な「帰還日」不明)

1週間(2日でも良い)お暇な方には一読をお勧めする。

なら国際映画祭NARAtive映画2本の感想

2010-08-26 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日から第1回なら国際映画祭が始まった。私の参加している「地域SNSけいはんな」のオフ会でオープニングセレモニーに行った。奈良出身で奈良に住み奈良を舞台とする映画を撮り続け、2007年のカンヌ国際映画祭でグランプリをとった河瀬直美監督の発想から始まり、昨日のスタートにこぎ着けたのだ。28日の土曜日までイベントが続く。

上映される映画は大きくは3つほどに別れるのかな。その中心は「新人監督作品コンペティション」で、今回8本がエントリー、4人の国際的審査員で審査される。どうなるか期待したい。これは、まあ国際的映画界への「新人賞」と言ってよい。長い伝統となるのを期待する。ならまちセンターで上映される。学生監督による作品ジャンルもあり、これは奈良女子大学の「ならまちセミナーハウス」で上映される。

奈良県文化会館でのオープニングセレモニーでは、河瀬直美さんがプロデューサーをした「短編(上映時間1時間)」2本が上映された。河瀬さんはもちろん、監督や俳優も来ていた。この2本は、「NARAtive」と言うらしい。これは、「奈良らしい」という意味と「Narrative(物語)」という意味を兼ね備えた「洒落語」であろう。

2本とも1時間もので、まずまずストーリーは伝えられたと思うが、今一つ「詰め切れていない」感じだった。「びおん」では、主人公の志保が木工作家の誠人に心を寄せていくプロセスが今一つ説得的ではない。母親と志保の確執の歴史が不明である。誠人が志保の母親を自動車で轢いたのかどうかはっきりしない。(多分轢いたのだろう。そうでないと最後のシーンが理解しかねる)

桃井かおりの演技に殆ど依存する「光男の栗」では、光男が末期がん患者の「桃井かおり」演ずる母親を心配し煙草を止めさせようとし、母親の好物の栗の実を食べさせようとして採取に出かけ事故で死んだ。母親は、その光男の遺したカメラの写真から「光男探し」を橿原市で始めるのだが、光男が死んだことまで分かっているのかどうか、まあ最後の栗の実を「桃井かおり」が狂喜して採るシーンは、知っていることを暗示しているが・・・。(まあ更に言えば、光男の小さい頃からの母親、父親などとの関係も前提にあると、母親と光男の「深い」関係、母親の「深い」悲しみが伝わるのに・・・)

まあ、国際映画祭なので、奈良の空間を丹念に、特に庶民の空間を町と田舎について描いているのは良いと思う。例えば、家での引き戸の玄関、田圃でのもみ殻燃やしや山の茶や柿の木風景など。もう少し時間を長くした「1時間半」もので丁寧に詰めていってほしかった。


三ヶ月に一度のデンタル・チェック

2010-07-28 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日、三ヶ月に一回のデンタル・チェックに奈良の歯科医まで行った。

で、「もう少し丁寧に歯の清掃をして下さい」と言われた。ある色素を含む液を口に含んでから何度かゆすいで、鏡を使って自分の歯並びを見ると、かすが取れていないところは、赤紫に色づいている。又、歯の根元で少し突くと血が出る個所もあるようだ。

「ここは、未だきっちりカスが取れていません、電動歯ブラシをもう少しゆっくり丁寧に動かして取って下さい」とのこと、そうか、と思った。電動ブラシで寝る前に5分くらい磨いているが、これでは駄目なのだ、と思い知った。

とにかく、歯の問題は、最終的に「痛く」なったり、「ぐらぐら」したり、「血が出」たりする自覚症状がないと、「まあ何とかなる」に気分が流れるようだ。(「病気」全てそうだろう。毎日の自覚症状のない悪行の「微分」が病気に連なり、善行の「微分」が積分健康に連なるのだ。)

今日から、5分くらいで済ませていた就寝前の「歯磨き」を10分に倍増して3ヵ月後に備えたい。

書評:『子どもが育つ生活空間をつくる』(小伊藤亜希子、室崎生子編)(かもがわ出版刊、2009年8月)

2010-06-22 | 生活描写と読書・観劇等の文化
 私の昔からの知り合いで、本書の編者の一人である室崎生子さん(元平安女学院大学・教授)から半年ほど前にこの本を頂いた。で、読んでブログで書評を書くことを約束したのだが、中々読めずに今日に至っている。今日は、その責めの一端を果たしたい。

 こういう共著本の書評は、一般に単著より少し難しい。単著であれば、全体がその著者の構想で首尾一貫しているのが普通であるし、短編の集まったものでも著者の考え方で配列されている。だから仮に全体を読んで、全体の印象を述べると共に、その一部分を強調して批評を試みても特に問題はないだろう。ところが、この本のように12人もの著者の共著となると、しかも編者が二人もいるとなると、何処にターゲットを絞るか極めて難しくなる。全体の意図を読み取って批評し、なおかつ個々の著者に過不足なく批評を加えるのは至難の技である。だから、今回は全体のザクッとした紹介と、特に全体をみて将来に向け気付いたことの一部をここでは述べておきたい。

 この本は、子どもの育つ生活空間として、大きく家(住まい)、学校(主に小学校、保育所等も含む)、地域の三つをあげているが、実際に主に調べ論じているのは、全体を視野に置きつつ「地域」での子どもの育つ生活空間であり、より充実させていく方向性も論じている。全体が三部に分かれている。

第一部は、「豊かな生活を保障する保育・子育て支援」で、「保育所に通う子どもたちの家庭生活」「学童保育所に通う子どもたちの家庭生活」と、ここでは、「学校」と「家庭」の二者の共充実を視野に論じられている。共働きの場合は当然として、専業主婦の場合も、核家族でしかも少子化の条件では、家庭だけでの子育ては不安で不安定であるのは当然で、「保育所」や「学童保育所」の役割が子どもだけでなく親にも重要となる、と論じている。また、「地域」での「ファミリーサポート・センター」事業の可能性と課題も取り上げている。ここで、ふと「職場人間」から「地域人間」になった私など「シルバー」の役割はどうなのだろうと、思った。

第二部は、「共同の子育て環境を創造する試み」で、「子育てひろば」「「育ちあい」の場としてのプレイセンター『ピカソ』」「スウェーデンのオープンプレスクール」「デンマークのデイケアマザー」といった「地域」での先進事例の紹介である。こういう場合、日本の各地で適用・応用しようとしたら何処にとっかかりを見出すのかの示唆も得たいと思った。

第三部は、「地域の空間を子どもたちの居場所に」で「千里の団地・ニュータウン」「京都の伝統的小学校区」「沖縄のプレイパーク」「沖縄のコミュニティ・サロン」の事例報告、「子どもにとって恐そうな場所と実際に恐い場所」の調査報告、最後に「子どもが遊びまわれる地域環境」の条件抽出を調査に基づき行っている。

 全体を見て、捉えかたとしていいなーと思ったのは、「子どもの発達は、即大人の発達だ」ということ、大人が子どもを保護するような姿勢ではなく共に相互に影響し発達するパートナーと捉えていること、しかし、これは十分に読者に届いただろうか、と書き方の工夫を思った。又、書き方についての若干の注文は「生活空間をつくる」のが目的なら、もう少し生活空間の写真、図面、図表に工夫しても良いのではないか、それらが大いに理解を助け深めると思う。「生活空間」として今回の「地域」中心から「家庭(住まい)」や「学校(小学校中心)」そのものにも視野を広げ、将来「子どもの地域生活空間論」に成長されんことを期待する。更に、現政府の子育て方針をあちこちで批判しているが、どこかでまとめて批判的に検討する部分もあっても良かったかもしれない。まあ現在「子育て手当」その他も問題になっているのだから。最後に、研究者、院生、学生向き注文かもしれないが、調査手法についての発達にも留意してほしいということを言いたい。特に小さい子ども(小学生でも低学年)に対しては、直接的アンケート調査や聞き取り調査はほぼ無理なのだから、子どもの目線にたった行動体験調査や観察調査の手法の発達が望まれるのだが、その工夫の一端でも紹介するコーナーがあったら良かったと思う。(2010年6月22日)

定番の朝食の工夫

2010-06-14 | 生活描写と読書・観劇等の文化
最近、1年ほど前から夫婦二人の朝食準備は私の担当となっている。昼食が蕎麦やうどんの時にも麺類茹で、汁準備などは私、夕食は妻の担当、但し皿洗い等は私である。明日の米を炊く準備も私である。

まあ、こういうことをするのは、「基礎的生活力」(炊事、洗濯、掃除、育児・介護、お洒落、買い物、近所付き合い)をつけるためでもある。

小学生の食べ物をただす試みとして昼食の給食が大切なように、私は大人の朝食は大事では、と思っている。ただ、「人間は、特に日本人はアフリカから歩いてやってきた過程、あるいはそれ以前から飢餓に耐える遺伝子が出来てきた」ということを前提に、朝食抜きの少食が良い、との説もあり、一理あると思っている。(但し育ち盛りの子どもや肉体労働では無理かな、とも思う。)

で、ご飯は少なめにしている。ご飯は玄米中心(6分4分、5分5分)、梅干1個、納豆(40gほど、生姜すり、刻み葱、大根おろし、花鰹、醤油)がメイン、味噌汁が基礎メニューで毎日変わらない。

ただ味噌汁の具が毎日変わるのである。大きく分けて「緑もの」と「白もの」がある。
「緑もの」・・・小松菜、ちんげん菜、水菜等々の緑野菜
「白もの」・・・(野菜)玉葱、大根、(豆類)豆腐
「海藻類」・・・若布、とろろ昆布
「貝類」・・・シジミ、アサリ
これらを組み合わせる。但し、緑ものには若布は入れない。
どうでしょうか。

日本史の時代区分は「関東史観」?

2010-05-26 | 生活描写と読書・観劇等の文化
我々が高校で習った日本史の時代区分は、先史時代(原始時代)、古代、中世、近世、近代、現代である。それらに含まれる「サブ時代」は大略以下の如し。
先史時代は、まあ考古学の時代である。縄文や弥生時代である。
古代は、耶馬台国、古墳時代から明日香、藤原京、奈良、平安時代。
中世は、鎌倉時代、室町時代、戦国時代、(安土桃山時代)。
近世は、江戸時代。
近代は、明治から1945年まで。
現代は、戦後、現在まで。
(最近買った『山川の高校日本史』は、学界説に近づいているようで、中世は平安時代の院政のころから、近世は織田、豊臣あたりから始めている。鎌倉、江戸を始める前に畿内を助走として「入れて」妥協を図ったか。)

これに、異を唱えるのが、建築史家の井上章一(国際日本文化研究センター教授)さんである。
『日本に古代はあったのか』である。

彼の紹介では、同じ京大学統の東洋史の宮崎市定、内藤湖南(東洋史学初代教授)の東洋史(宮崎市定さんは西洋史とも対照し)の古代は、周、秦から漢までとし、中世は3世紀に始るとした。隋唐は中世なのである。(その時、日本史は未だ「古代」)近世は、11世紀の宋からとしている。そして元、明、清である。(日本史の高校教科書では、未だ「古代」)近代は、中華民国。現代は、言っていないが現在の中華人民共和国であろう。

この宮崎市定流の分け方は、西洋史の分け方と良く似ているし時代的にもパラレル(並行的)のようだ。ローマ帝国時代まで古代、ゲルマンがローマを滅ぼしフランク王国などが出来たのが4世紀くらいか。ここから中世が始る。近世は、ルネッサンスの頃に始る。近代は、フランス革命前後に始まり帝国主義の時代まで。現代は、やはり第二次世界大戦後か。(ここいらは、私のやや勝手な面がある。)

結局、日本史の時代区分が、西洋史や東洋史(内藤湖南、宮崎市定)分類と異なっているのだ。(東大学統の東洋史では、隋等は「古代」になるようだ。日本史時代区分に引きづられているか。)

で、井上さんは、日本史では中世の始るとされる鎌倉時代(武士政権)、近世の始るとされる江戸時代、近代の始る明治時代は、すべて「関東政権」である、と言う。

まあ、軟弱な古代平安王朝政権を打ち倒したのが鎌倉(征夷大将軍)武士政権であり、王朝風に取り込まれた関白政権から安定した(征夷大将軍)武士政権を再興したのが江戸徳川政権であり、近代資本主義を開いたのが東京明治政権である、と。

つまり、「古代」のみ畿内に置き、以下何度か政権は畿内にくるが、決定的な変り目は関東であるぞ、と言っているのだ。(と井上さんは「発見」している。これらを理屈で言い立てたのは明治以降の東大学統の日本史研究者だ、と京都生まれ京都育ち京大(建築)卆京都勤めの井上さんは言う。面白い読み物だった。私もついつい「頑張れ」と言ってしまう。)

でも最近の日本史の学界では中世は平安時代の院政開始辺りに遡っているようだ。京大中世史研究グループが「勝利」したようだ。だが、高校教科書は、まだ鎌倉時代から中世を始めているのかな。(内藤湖南は、応仁の乱あたりで近世に入るとみているが・・・)

それにしても、と井上さんは嘆いている。関西生まれ育ちの国民的作家・司馬遼太郎も京大学統の『文明の生態史観』の梅棹忠夫も「鎌倉を持ち上げて」関東史観に毒されていると・・・。

さて、今日、平城遷都1300年の大和政権を国民はどう位置づけるのだろうか。
井上さんは日本にはイギリス、フランス、ドイツと同じく古代はなく中世から始るように、耶馬台国あたりから中世である、とのにわかには「そうだ」と言いにくい説を採っている。土地を分け与え働かせ管理させたことを広く「封建制」と捉えるためであるのか。奈良時代にも武士はいたし・・・。