ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.11.8 年末調整の時期に考える

2010-11-08 20:07:11 | 日記
 暦の上では昨日が立冬。昨日一昨日に比べて今日はちょっと雲が多めだけれど、それでもまだ暖かい。今週は水曜日あたりから冷え込むようだ。

 さて、今年も年末調整の書類が配られた。もう1年経ったのだ、と思う。働き始めた時に、課の庶務担当だったから、諸先輩たちが「ああまたか、年々速くなるよな~」と口ぐちに言っていたのを、「へえぇ~」と聞き流してきたけれど、本当にそうだ。
 数年前まではこの仕事に関わっていたこともあり、改めてしみじみと用紙を見る。それでも私は扶養家族がいるわけでもないし、プレプリントされている事柄以外、特に何も書き足すこともないので、あっという間に住所氏名等の最低限の項目を書いて担当さんにお出しする。いずれにせよ、3月までには医療費控除の確定申告をしなければならない。

 これも当然といえば当然のことだけれど、年末調整の事務をすると嫌でも本当にその方その方のお家の状況が見えてきてしまう。重たい仕事だった。
 職場の皆さんもそれぞれが実にいろいろな事情を背負って働いている。

 新聞社のネットを見ていて、漫画家西原理恵子さんの文章になるほど、と思った。以下転載させて頂く。

   ※ ※ ※ ※ ※ ※(引用開始)

「男も女も働こう、西原理恵子が語る仕事」
(3) 自由であるために(以下全文)
 人は誰でも仕事を手放してはいけない
 人生には思いがけないことが起きます。世の中にはつぶれない会社はないし、病気にならない人間もいない。だから家庭の稼ぎ手は、大黒柱一本ではなく、夫も妻も収入を得られる二本の柱のほうがいいと思います。夫が長患いをしたら、家のローンと子どもの学費、食費をどうするのか。それを考えると、夫婦はリスクヘッジを頭に置いておきたい。そして若い女性も仕事は生涯続けるものだと覚悟して欲しいのです。
 私は同年代の40代、50代世代の女性が、人生の後半になって、納得のいく仕事にカムバックした例が少ないと聞いています。働く場所がないのは残念なことです。そして家庭が壊れていくのもたくさん見てきました。今この世代の人に向けてのアドバイスが見つかりません。酷な言い方をすれば、遅かったということ。でも、親として次の世代は変えていきましょう。女の子には徹底した自立を、そして男の子には「家庭的な女性を求めない」教育を。
 本音を言えば、養ってもらう生活は時間の自由も、精神の自由も奪われるってことです。自由と責任は有料です。仕事を持つというのは、老若男女誰にとっても、最後は毅然(きぜん)と自分の思う方向へ歩いていけることだと思う。だから、家庭を持ち、子どもを育てて働こうとする人を周囲は平等に助けるべきだと思います。働く女性は何もかも背負わされ、ものすごく忙しい。それなのにスーパーのお総菜を買うと、「食育上よろしくない」などと責めるでしょ。ふざけてはいけませんよ、そんなことで追い込まないであげてください。子供が熱を出したら、父親が会社を休める世の中に早くなることを願っています。

 自分探しの迷路の抜け方
 仕事ってリアルな目的を持ったものです。自分を食べさせ、家族を養い、貧しさからくる苦しみや怒りに縛られないで自由に生きていくためのもの。でも、その中にきちんと「できるようになっていく」楽しさや喜びが詰まっている。働くこと、働き続けることが、まるで自家発電みたいに明るく人生を照らすし、頑張るためのエンジンになる。だから、自分で稼げる仕事をまず始めることが大事なんです。
 「自分探し」という、人を惑わせる言葉がありますね。そして「やりがい」を見つけようと諭す。それって冗談じゃないと私は思います。みんなのために、地域のために、社会のためにというあやふやなモチベーションが、人間を本気で仕事に向かわせられると思いますか。大人やマスコミは、若い人をきれいな言葉でだましちゃいけないですよ。
 どうやったら理想の仕事に就けるかではなく、どうやったらそれでお金になるかを考えれば道は見えてくるハズです。(談)

同(1)どん底生活で人は荒れる(以下抜粋)
 あきらめることが当たり前になっていく
  貧乏は、人間から優しさや思いやりや希望を奪っていきますね。わずかなお金のことで日常的に大人が激しいケンカをするんです。子どもはたまったものではありません。でも、仕事がなく、お金がないと人の感情は荒れ、愚痴を言いながらどん底へ落ちていく。学校へ行って勉強しても、自分の行き着く先はこんな生活なのかという絶望感は、すごく大きかったですね。

 貧乏なんて関係ないとあなたは言える?
 私にはいつも貧乏に戻ってしまうかもしれないという危機感があるので、とにかく懸命に仕事をします。でも実は、親に安定した収入があって、今日まで何不自由なく暮らしてきた若い世代の方がこれからは危ないぞと思うのです。なぜなら、切迫感のない生活を送ってきたから、何とかなるという感覚が体の芯に染み付いているのですね。

   ※ ※ ※ ※ ※ ※ (引用終了)

 貧すれば鈍す、という。やはり、そうはなりたくない。これまで本当の意味での貧乏生活をしたことはないけれど、一人暮らしをした2年間は家賃を払うと、今月はあといくらでやっていかなくては、とお金を並べて溜息をついた、ということはある。
 西原さんの文章にもあるとおり、全く危機感のないアマちゃんの息子を見ていると心配だ。プライドだけは異常に高い。でも努力は大嫌い。思わず張り倒してやりたくなる。

 本当はええかっこしいの自分の審美眼からすれば、今、こうして病欠をとりながらも仕事にしがみついている自分は実はとてもみっともないのかもしれないけれど、そんなプライドはもはや要らない。
 自由であるために、あきらめることが当たり前にならないように、やはり私はギリギリまで働いていたい、との思いを強くする。

コメント
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