ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.11.5 当然ではあるけれど・・・

2010-11-05 20:13:31 | 日記
 本来は一昨日の水曜日が、通院日だった。
 それにしても、休薬の週って素晴らしい!だんだん体調が戻ってきている。だるさも体の痛みも殆どなくなっている。体中の細胞がまた新しく生き始めた感じだ。白血球はまだまだ低いはずだけれど、下がり調子の時の低さと、上がり調子の時の低さは体感上、ずいぶん違うように思う。

 抗がん剤を投与しているのだから、具合が悪くなって当然だ。分子標的治療薬であるハーセプチンと違って元気な細胞まで痛めつけているのだから。あのなんとも言葉で言い現わしようのないやる気のなさ、投げやりな感じ、体の隅々まで力が入らない感じ。そう、本当は殺されなくてもいい、体中の良い細胞たちが断末魔の悲鳴を上げているのだから当然のことだ。かつてに比べて随分素直に体の声を聞けるようになったなあ、と思う。

 それでもこうして薬が抜けて元気になってくるということは、つまり、また次の治療日が近づいて来ている、ということ。これから生きている限り(薬が効いている限り)エンドレスに続くということだ。2投1休のクールをこれからどれだけ長く続けるのだろう。ギブアップしてしまうことはすなわちこれからの毎日を放棄することだ、と頭では判っているけれど、やはり溜息が出る。

 それだからこそこうして四季折々を感じられる所に住み、働き、憩えることを有難く思う。負け惜しみではないけれど、大学に異動して来る前は11年間ずっと本庁勤務だったから、事業所で職業人生を終わる、ということは当時あまり考えていなかった。

 高層ビルで春夏秋冬空調の中、1年中ブラウス1枚で腕まくり。窓も開けることが出来ず朝から晩まで仕事をし、帰りは真っ暗な中、外の天気もわからないような状態でエレベーターで1階まで降りる。そこで初めて傘が必要だとわかり、もう一度エレベーターで職場に戻る。というような間抜けなことをやっていたかと思うと、なんだか不思議な感じだ。

 今は職場も我が家も2階だから、当然、窓を思いっきり開けて外の空気を十分に吸える。結婚してすぐは8階の部屋だった。下を見つつ、ここでは子育てをしたくないな、と思った。この街に引っ越して最初に住んだのは4階、そしてとうとう2階まで降りてきた。以来、職住近接で冷房や暖房の効きすぎた満員電車に乗る必要もない。朝の寒さに厚着をして電車で大汗をかいても我慢して乗り続け、汗が冷えて風邪をひくとか、朝の暑さに対抗して薄着で出かけ、冷え過ぎた電車でカーディガンを羽織ってもまだ身震いして風邪をひく、ということもないから服装に困ることはない。
 木々が色づいてきたなとか、緑が眩しくなったなとか、そうした自然に触れる感性を失わないでいることが、体中の傷ついた細胞を生き返らせることに一役買ってくれているような気がする。
 それにしても、木々の葉も花の色も見ようとしていなければいくら目に入っていても見えないし、鳥のさえずりも虫の鳴き声にも気付こうと思わなければ気付かない。こうしたことはいくらでもあるのだな、と思う。

 もう、あの高層ビル群では働けないな、と思う。
 これはドロップアウトを余儀なくされた悔しさや残念な気持ちではなく、もっと超然とした感じ、とでも言おうか。

 明日はプチ虹のサロンの方たちと久々のおしゃべりパーティ。また体中の細胞が元気になり、来週からの治療に備えることが出来るだろう。

 今朝、佐野洋子さんが亡くなったという。享年72歳。乳がんで闘病中だった。ネットで訃報を見て思わず声を上げてしまった。エッセイも絵本もみんな好きだったのに・・・。合掌。

 
コメント
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