東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

追加搬入(5日目)

2024-09-01 16:02:01 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 会期5日目。残すところ残り2日。遅れ馳せながら追加の人形を運び込みました。2種類。

 ひとつは「座猫(大)」昨年の日本民藝館展で選に入れていただき、雑誌「民藝」の民藝館展特集のグラビア画像に採り上げていただいたのと同じ手です。

 昔の今戸人形には大小さまざまな座猫が作られていて、前垂れを描いたもののほか、このように草花た吉祥柄を描き込んだものもあり、当時庶民の手には届かない高価な「御殿玩具」の影響下に生まれたタイプではなかったか、という声も聞きます。

 もうひとつは「朱鍾馗」。最後の生粋の今戸人形師だった尾張屋 金澤春吉翁(明治元年〜昭和19年)のお作りになられた人形を手本に起こしたものです。全体が朱色(赤)がかった色調で、「赤物」と呼ばれる人形や玩具のひとつと言えます。昔、医療の発達していなかった時代には病は想像以上に恐ろしい存在だったはずで、瘡(疱瘡)は薬もなく呪いで対処する他ありませんでした。

 疱瘡神の仕業であり、疱瘡神は赤い色を好むと信じられていたので「赤絵」と言われる赤系統の顔料染料を主に印刷された絵(鯛、だるま、みみずく、鍾馗様などを描かれた)や赤い人形、玩具を子供に与えれば、疱瘡は赤い絵や人形玩具に引きつけられ、子供が守らられる、という切実な願いでした。

 血の色のような赤が理想だったのかもしれませんが、顔料の成分として長い間真っ赤な顔料は庶民の手に届くものではなかったので鉛由来の丹色(オレンジ色っぽい)や朱色で宛てられていました。尾張屋さんの彩色には昔の色彩の感覚が伝わっていたのだと思います。

 鍾馗様の割型が長いこと家の中で行方不明だったのが先ごろみつかり久しぶりに抜き出しました。