東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

浄瑠璃寺と「引窓」の里「八幡」

2015-09-14 13:59:02 | 日々

奈良国立博物館の特別展が目的の今回の遠出。強行軍で一泊二日。時間が限られている中、ついでに観て帰りたいと思っていた蟹満寺の白鳳仏は昨日訪ねることが叶いました。明けて東京へ戻る前に訪ねたいと思っていたのが京都府木津川市の「浄瑠璃寺」そして、芝居の舞台となった土地に寄ってから帰りたいという思いでした。

まず浄瑠璃寺。昨日の蟹満寺と同じく木津川市内なのですが、交通のアクセスで2か所の梯子は難しそうだと判断し2日目、奈良を離れる前に往復することにしました。浄瑠璃寺へは奈良市内から直通路線バスが一日数往復あり、荷物を駅に置いて、朝一番のバスで浄瑠璃寺へ、そして約一時間後の浄瑠璃寺発奈良行きのバスで駅に戻ることとなりました。

 

京都府といっても奈良市とぎりぎり国境(山城と大和)を越えた静かな山里といった風情のところで、バスでの移動中サイクリングで移動している人をよく目にしました。平安時代の浄土庭園、池を挟んで東側に三重塔(秘仏の薬師如来像を安置)西側に9体の阿弥陀像を安置する本堂を配置する山中の小じんまりとしたお寺ですが、平安時代にはこうした配置や建造物が流行ったそうですが現在まとまった形で残っているのはここだけなのだそうです。宇治の平等院の鳳凰堂も西方浄土という配置で作られたものですが、東方も備えて残っているのはここだけなんだそうです。庭園にはいろんな野の花が咲き乱れていてギボウシとか萩、ミズヒキ、キキョウ、などがひっそりと咲いていました。日曜日だというのに人気もまばらでひっそりとしていました。

奈良市内に戻り近鉄特急で近鉄京都線「丹波橋」乗り換えで京阪電鉄「八幡市」へ。奈良から丹波橋までに特急券を買ったのですが奈良から大阪難波行きの特急で大和西大寺で乗り換え京都行きの特急へドアからドアへの乗り換え。まるでドイツのICE(インターシティーエクスプレス)の乗り換えのようでホームを挟んでドアからドアへというのがかっこいいですね。

はじめ、芝居ゆかりの土地としてお染久松「新版歌祭文・野崎村の場」で有名な「野崎観音」(大阪府大東市)を考えていたのですが、帰りは京都から新幹線と考えていたのでJR片町線の「野崎」から京都へ戻る乗り換えがうまくいくかわからないのと芝居に出てくるように川と堤を舟と籠で行き来したような景色が現在も近くにあるのかどうか全く下調べしていなかったのでいきなり行くのも不安、、、。それならばどこかで耳に入れていた情報で舞台に出てくる屋敷跡と石碑があるという「双蝶々曲輪日記・八幡の里引窓の場」の舞台となった京都府八幡市へ寄ってみたいと思ったのでした。八幡市はこちらのブログへもたびたびコメントを寄せてくださるウリ坊さんのご出身地で、日本三大八幡宮のひとつ「石清水八幡宮」のお膝元の町であること、木津川、宇治川、桂川の3つの河川が合流して淀川となるところであるということを聞いていたのでそれもこの眼で観てみたいという好奇心がありました。

京阪電車で二本の河川を鉄橋ではじめて渡り、八幡市の駅のホームに降り立って、景色が素敵なので感動しました。石清水八幡宮の鎮座する男山と淀川を挟んで向こうの聳える天王山とが迫り合っているようです。ちなみに天王山のふもとこそが「仮名手本忠臣蔵・五段目・山崎街道」の山崎で、猪が「テンテレツク」の鳴りもので登場し、早野勘平が登場するところ、続く六段目・勘平腹切も近くなのでしょう。

 

駅前の観光案内所で早速「南与兵衛の屋敷跡は?」と尋ねたのですが「何ですか???」と言われ不安になったのですが「あの浄瑠璃に出てくる引窓の屋敷跡と石碑があるという、、、」と訊くと「ああ、、でも跡ですから何も残ってませんよ」と言いながら一緒に歩いて案内してくださいました。何と駅の改札口から1分とかからないところでした。

「あれ?石碑がなくなっている」「え?」とびっくりしていると「ああ、あそこにあった」と引きぬかれて民家の脇に置いてある石碑を教えてくれました。みつかってよかった。

ついでに有名なセリフ「狐川を左に取り、右へ渡って山越しに、サ右に渡って・・・山越にィ・・・あぁいゃ、めったにそうは参りますまい。」の狐川って川はどこですか?と聞いたのですが、「そういう名前の川はないですよ。」という答え。(家に帰ってから改めて調べてみると八幡市内に「狐川」というところは確かにあるようです。3つの河川の合流地点の近くのようです。)それと舞台の通称にもなっている「引窓」のあるような古い家がこの辺りにはないか、、ということについても聞いてみたのですが、「わからない」とのことでした。お礼を言って、ひとりで駅から八幡宮の鳥居付近、すぐそばの川に沿って歩いていると太鼓橋がありその袂に「放生」と書かれた高札が立っていて思わず有名なセリフ「南無三宝、夜が明けた。身どもの役目は夜の内ばかり、一夜明くれば放生会。生けるを放つ所の法、恩に着ずとも勝手にお行きゃれ。」っていうのはこれから来ているんだ、と改めてびっくりしました。

橋を渡り、昔ながらの家並みを眺めながら歩いているとお婆さんがいたので「引窓」のある古い家がないか尋ねたのですが、怪訝そうな顔をされたので「昔の芝居に出てくるんで探しているんです。」と言ったら「ああ、杉良太郎さんですか?」と言われました。????「飛行神社」というハイカラな感じのお社がありその近くにある民家こそが芝居に出て来るような作りなのではないかと思いました。屋根の一部に出っ張っている小さな屋根があり、その下に内部から紐をスライドさせて開閉する窓になっているのだと思います。この引窓が芝居の流れの鍵となるのです。

 

その後、駅前のご飯屋さんで昼食をとり、重い荷物をコインロッカーに預け、ケーブルカーで男山山頂へ(片道¥200は安い!)山頂駅から八幡様目指して参道を登り、極彩色の本殿へ。

ご社殿に対して手前の敷石が直角ではなく右斜めになっています。これは意図的なもので、お参りを済ませたあとで神様に対してお尻を向けて帰るのは恐れ多いということからまっすぐお尻を向けずに帰るようにという意味があるんだそうです。

文化財維持として¥1000お納めすれば昇殿も拝観できると知り、申し込んで拝観させてもらいました。何とご神職の方が一対一でつきっきりで案内してくださったんです。これはもう贅沢。いろいろミーハーに質問させてもらいました。話では9月15日がこちらのお祭りで山上のご本殿から3柱の神様が神輿に乗り山下へ移られる。そして16日には再びご本殿目指して山下から神輿でお戻りになるそうで、境内で一斉に支度をされているところだとのこと。そして先に太鼓橋の袂で観た「放生」こそは、この神事の中で行われるのだとのこと。鳥類や魚類を橋のところで放つのだそうです。「南無三宝、夜が明けた。身どもの役目は夜の内ばかり、一夜明くれば放生会。生けるを放つ所の法、恩に着ずとも勝手にお行きゃれ。」のセリフはちょうど今のタイミングなわけです。ラッキー!!!

偶然とはいえ、いい時にいい土地を訪ねることができたわけです。山頂から3つの河川の合流点を眺めました。

画像右手遠くに見えるのは比叡山。左右に横切る水色の高速道路。高速道路が左端で切れる下に桂川の水面が見えます。そして一本手前に見えるのが宇治川、木津川は一番手前を流れるので木々の茂みに隠れていますが右端に赤く見えるのが京阪電車の木津川鉄橋です。先ほどのセリフに出てくる狐川は左端桂川と宇治川の間で水色の高速道路の左側一帯のようです。つまりセリフでは「狐川を左にして(桂川を渡って)山を越えて河内の国に逃げろ」と言っているようです。

はじめて訪ねた八幡の里ですが景色といいのんびりとした雰囲気でよかったです。

今回の奈良行きは目的地の「奈良国立博物館」の他は「蟹満寺」と夕暮れの「奈良町散歩」、2日目の「浄瑠璃寺」と「双蝶々曲輪日記・八幡の里引窓の場」の舞台八幡市。

博物館以外はどこもあまり人ごみのないのんびりとした場所でよかったです。もっと慾を出して周るということもできたかもしれませんが、じっくり土地に触れることができたように思います。

普段ご縁のない私鉄の電車に乗ることができたのもうれしいですね。近鉄や京阪の電車かっこいいですね。京阪の電車の色、昔と変わったように思いますが、何かに似た色だな、、とずっと考えていたのですが、「三井住友銀行」の色に似ているという結論に達しました。

 

最後に京都駅に戻り、新幹線に乗る前に20年くらい前に池袋の西武デパートの「京都うまいもの会」みたいな催事で偶然食べたまっ黒なスープのラーメンが駅の近くにあるということを思い出し、寄ってみたのですが、ここだけは行列で大変でした。東京ではまずこうした行列に立つことはしないのですが、頑張って並んで食べて帰途につきました。見た目まっ黒でどぎつい感じに見えますが、脂っぽくなく、塩気もそんなにきつくなくさっぱりしています。食事制限中の身ですが、これは特別の機会ということで、、、。

「双蝶々曲輪日記・八幡の里引窓の場」については簡単なあらすじの紹介サイトがありますのでご覧ください。→