こんにちは。
生き生き箕面通信2299(150410)をお届けします。
・なによりも「個人の尊厳」が大事ですよね
日本では、フランスは「個人主義の国」とみなされています。それはあくまでも「個人の尊厳」を大事にする個人主義です。フランス革命とそれに続く多くの血を流した結果、勝ち取った「宝」です。
フランス革命時に作られた国歌「ラ・マルセイエーズ」は、驚くほど戦闘的な歌詞で7番まで続きます。とくに最後の7番は「子どもの詩」で、やはり戦いへの決意を盛り込んでいます。
ちなみに1番を日本語訳でみると
「行こう 祖国の子らよ 栄光の日が来た
われらに向かって暴君の 血まみれの旗が掲げられた
血まみれの旗が掲げられた
聞こえるか 戦場の残忍な敵兵の咆哮を 奴らは我らの元に来て
我らの子と妻の喉を掻き切る
武器を取れ市民らよ 隊列を組め
進め 進め 汚れた血が我らの畑の畝を満たすまで」
7番の「子どもの詩」は最後のフレーズが
「僕らは気高い誇りを胸に
先人の仇を討つか 後を追って死ぬのみ」
この国歌「ラ・マルセイエーズ」を歌うたびに、革命以来の伝統が自然と記憶によみがえる仕組みです。どこかの国の「君(天皇)が世は 千代に八千代に(栄えあらまし)」という国家とは方向が真反対です。
日本の民主主義や言論の自由、個人の尊厳は、すべてマッカーサーさまから与えられたものです。いわば棚からぼた餅式に手にすることになった”賜(たまわ)り物”です。
しかも日本には、聖徳太子以来の「和を以って尊しとなす」という以和貴の思想が根付いています。
サラリーマン社会でも、「上司に対して異を唱える」ことは自己規制しがちです。明治維新で日本の近代化のために、福沢諭吉が「独立自尊」を説きましたが、一部の人を除いてその真意は定着したとは言い難い。戦時中には、「上官の命令は絶対。お前たちは天皇陛下の兵隊である。上官の命令は陛下の命令と心得、絶対服従である」と、叩き込まれました。
そうした流れの中で、「全体の空気を読む」のが習いとなり、「もの言えば、くちびる寒し秋の風」がすっかり身についてしまった。
それは「公共の福祉」が幅をきかせる素地となり、「公共の福祉」というだんびらさえ振りかざせば、全ては制限ないし禁止できるところまできています。
自民党の憲法改定案には、至るところの「公共の福祉に反しない限り」という文言が盛り込まれ、「言論の自由」や「表現の自由」をはじめ、個人の尊厳に関わる大事な人権がいかようにもコントロールできる仕組みにしています。
その反面、個人の自由を「何でもできる自由」とする放縦の自由に履き違える風潮もあります。しかし、人類が培ってきた自由は、「よりよき共生のための自由」のはずです。自らが自らの「尊厳」に値する人間であるために、よりよき共生の社会を作り上げる。だから、全体主義や集団主義は排する決まりにしたはずです。
その点で比べると、フランスは日本よりずっと先の地点まで到達しているように見えます。日本ではむしろ、安倍晋三という男によって「後戻り」させられつつあるのではないでしょうか。しかし、「個人の尊厳」を今一度、「宝物」として大切に思いをいたし、いずれ近く「倍返し」したいものです。