生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

生き生き箕面通信558 ・「アメリカによる巧妙な属国化戦略」

2010-06-13 07:49:46 | 日記
お早うございます。
生き生き箕面通信558(100613)をお届けします。

・「アメリカによる巧妙な属国化戦略」
 文藝春秋7月号の目玉は、「日本国民に告ぐ」と題する藤原正彦氏の「一学究徒の救国論」です。ぼくは藤原氏の太平洋戦争「肯定論」には全く反対の立場ですが、いくつかの視点は一つのヒントになります。

 ・「アメリカによる巧妙な属国化戦略」: 終戦と同時に日本を占領したアメリカが唯一無二の目標としたのは、「日本が二度と立ち上がってアメリカに歯向かうことのないようにする」であった。…そのために日本の非武装化、民主化などを行ったが、それに止まらなかった。…日本人の「原理」を壊さない限り、いつかこの民族が強力な敵国として復活することを知っていたからである。(この後に、新憲法で自国の安全を他国(つまりアメリカ)にゆだねると氏が断定した「前文」や「9条」が「属国化を決定づけた」とする言及には同意しません)

 ・「魂を空洞化した言論統制」:アメリカは終戦の何年も前から練りに練った「戦争についての罪の意識を日本人に植え付ける宣伝計画=WGIP(ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」により、新聞雑誌放送映画などに対し厳しい言論統制を行った。

 アメリカは、太平洋戦争の終戦前から、終戦後の日本改造に向けて周到な「思想戦」の計画を練っていました。それにもとづいて、マッカーサー司令部(GH)がつぎつぎに日本人のキバ抜き、魂抜きを強力に推進しました。

 その結果が、今の私たちです。私たち日本は、国まるごとアメリカのマインドコントロール下にあるのが実態です。政府の閣僚の中にも強くアメリカにシンパシーをもっている人間がいます。同じように官僚の中にも、とくに優秀な官僚ほどアメリカとの一体的な進み方を推進します。それが、普天間の辺野古への新基地建設で如実にあらわれました。

 日本人は、65年経ったいまも、まだ太平洋戦争の「総括」をおこたっています。「あの戦争は何だったのか」をうやむやにしてきたことが、アメリカの属国化から脱することができない大きな要因になっています。「60年安保」からちょうど50年。いまこそ、日米安保条約をまないたの上にのせ、アメリカとの関係を根本から検討しなおすべきだと主張し続けています。
 


生き生き箕面通信557 ・「菅直人政権は外務官僚に包囲された状態で発足した」

2010-06-12 06:37:02 | 日記
お早うございます。小惑星「いとかわ」から満身創痍で帰還する「はやぶさ」は明日、地球の大気圏で燃え尽き、カプセルだけを放出します。
生き生き箕面通信557(100612)をお届けします。

・「菅直人政権は外務官僚に包囲された状態で発足した」
 昨日6月11日の所信表明演説で菅首相は普天間基地移設問題でこう述べました。「今月23日、沖縄全戦没者追悼式が行われます。この式典に参加し、沖縄を襲った悲惨な過去に想いを致すとともに、長年の過重な負担に対する感謝の念を深めることから、沖縄問題についての仕事を始めたいと思います」と。

 菅首相は、市民派出身として心情的には「沖縄は大変悲惨な戦火を経てきたのだから、現状の基地負担をなんとか除かなければならない」と想っていることはまちがいないでしょう。

 しかし、一方で早々とオバマ大統領と電話会談で「(鳩山政権下での「辺野古」を明記した)日米合意は重い意味を持つ」と話し、すでに「辺野古」案を推進する立場を明らかにしてしまいました。これではどんなに努力しても、「普天間の危険」を「辺野古」に移すだけです。根本的な解決どころか、辺野古はアメリカの新しい世界戦略基地として、日本が初めて建設する(従来の基地は米軍が建設)ものとなります。

 外務官僚だった作家の佐藤優氏は今週号の「週間金曜日」(6月11日号)で、「菅直人政権は外務官僚に包囲された状態で発足した」という題の貴重な見方を次のように示しています。

 「六日未明、菅直人次期首相は、オバマ米大統領に電話し、五月二八日の日米合意を継承する意向を表明した。天皇による認証を得ず、正式に首相に就任していない菅氏が対外的に日本国家を代表することはできない。もちろん外務官僚もそのことを充分理解している。その上で、左翼・市民派的な世界観をもつ菅氏が、普天間問題で沖縄県外と言い出す可能性をあらかじめ封じ込めておこうとする外務官僚の集合的無意識が、天皇による認証を無視し、菅氏に外交活動を行わせたと筆者は見ている。菅政権は外務官僚に包囲された状態で発足した」

 つまり、まだ正式に発足もしていないホヤホヤのどさくさにまぎれてあっという間に「普天間の決着」をはかった外務官僚の手際のよさを指摘しているのです。「何としてもアメリカ離れは食い止める。日本にはアメリカと一蓮托生の道しかない」という外務省中枢部の思いが露わになりました。それは、官僚の勝利を霞ヶ関内外に鮮明にする「事件」でもありました。

 これからの日本外交は、アメリカのポチを勤め続けることになります。先日、イギリスでは、イラク戦開戦時のブレア元首相を引っ張り出して「テレビ査問会」が中継されました。「イラク戦争は何だったのか」を検証するもので、背景にはイギリス国民の「アメリカのプードルになるのは嫌だ」という意識があります。

 日本では「検証」は行われるのでしょうか。





生き生き箕面通信556 ・「関東軍化」した検察

2010-06-11 06:57:34 | 日記
お早うございます。
生き生き箕面通信556(100611)をお届けします。

・「関東軍化」した検察
 検察は、政府が首相交代などでごたごたしている間を見透かし、さっさと最高幹部人事を内定し、思惑通りの人事を押し通すことにほぼ成功しました。樋渡利秋・検事総長が勇退し、かねてからの狙いであった大林宏・東京高検検事長を後任に充てることを、近く閣議決定させ、発令させる段取りができました。

 小沢一郎・前幹事長の追い落としに全力を挙げた佐久間達哉・東京地検特捜部長も昇進し、いずれ検事総長という椅子も見えてきました。

 これは検察が一種の「治外法権化」したことを意味します。要するにアンタッチャブルの”特権”を内外に見せつける人事なのです。政権の座にある民主党で、検察にもの申せる人間は居なくなりました(そうするために小沢氏をつぶしたのです)。

 かつて関東軍は、盧溝橋事件などを引き起こし、政府の「不拡大方針」もものかわ勝手に戦火を拡大しました。そして軍部は、批判するものを「統帥権干犯」という一言で封じ込める状況を作り出しました。

 いま、検察は全く同じ状況を手中にしたのです。

 検事OBの郷原信郎・名城大教授は著書「検察が危ない」のなかで、「検察の捜査・処分が法的に、あるいは証拠的にいかに問題があるものであっても、検察の組織としての判断で捜査や処分が行われれば、それが契機となって、その対象とされた者に対する政治的・社会的非難が燎原の火のごとく燃え広がる。検察は、そういう意味で『放火犯』のような役割を果たしている」とまで言い切っています。

 郷原氏は、総務相の顧問なども歴任しており、発言の内容には定評があります。その人が自分の古巣のことをこれだけ断罪するのは、「正義」を真の意味で実現する検察へ立ち戻らせる使命があると考えているからです。

 ところで、佐久間・特捜部長は、かつて駐米大使館に勤務し、当時の駐米大使が大河原良雄氏、そして首相は中曽根康弘氏でした。アメリカにつながる人脈は広く深く張り巡らされ、日本をがんじがらめにしています。そして関東軍化した検察。マスメディアも、読売新聞をはじめ朝日新聞も同じ穴のムジナです。日本はどこに行くのでしょう。







生き生き箕面通信555 ・村木元局長の人生を破壊した検察の罪

2010-06-10 07:08:59 | 日記
お早うございます。長崎大学で「毒なしフグ」が開発されました。「毒なし社会」への特効薬は開発できないものでしょうか。
生き生き箕面通信555(100610)をお届けします。

・村木元局長の人生を破壊した検察の罪
 厚労相の元係長、上村勉被告は昨日6月9日、大阪地裁で開かれた初公判で元同省局長、村木厚子被告の関与について「共謀はなく、私が単独でやった」と否定し、起訴状の最も重要な部分を否認しました。これで村木さんには「無罪」が言い渡される公算がほぼ確実になりました。

 弁護側は、検察の取り調べについて「被告の弁解を全く取り上げず、事実をゆがめたストーリーのために調書を作成した」と指摘。上村被告の被疑者ノートを証拠として取り上げるよう申請しました。このノートには「冤罪はこうして始まるのか」「検察が作文している」など、取り調べの模様が記述されています。

 5月に行われた村木元局長の公判では、大阪地裁は「検事が想定する内容になるよう作成された可能性が排除できない」として、検察側が証拠請求した捜査段階での上村被告の供述調書15通をすべて却下しました。つまり、裁判所が「検察はでっち上げの調書を作成した」と認めたわけです。

 裁判官が、検察の調書を否定することは、よほどハラが据わっていなければできないことです。これまでほとんどは、検察の提出した供述調書が証拠として取り上げられるので、その段階で検察のシナリオ通り「有罪」とされます。今回のハラが据わった裁判長は横田信之さん。

 ところで、肝心の供述調書はどのようにして作られるのでしょうか。検察は被疑者に明らかな証拠に基いて取り調べを行い、被疑者がそれを認めて事実を供述し、その内容を調書とする。これが、まともな調書の作られ方のはずです。ところが、とんでもない。

 検察はこう言います。あらかじめ”見立て”と称するシナリオをつくり、それに基いて被疑者に「こうこうこういうことでしょう。ほかの人はみんなそう話しているよ。いつまでも認めないと、いつまでも出られませんよ。あなたも社会的な地位があるでしょう。家族も世間から冷たい目で見られていますよ。子どもさんは学校でいじめに遭うかもしれない。早く認めた方が、あなたのためですよ」と。

 あろうことか、弁護士も検察の味方のようなことをいいます。「検察の言い分を認めたほうが早く出られますよ。認めなければ、いつまでも拘留されますよ」と。これは、今の制度上、弁護士も早く出るためには仕方がないと思っています。どういうことかというと、検察のシナリオを認めなければ、検察は「証拠隠滅のおそれがある」という理由でひっぱり続けるからです。

 事実、完全に否認し続けた鈴木宗男氏は437日、佐藤優氏は512日も拘留されました。そして、「ムネオは悪いやつ」「佐藤はうさんくさいヤツ」という社会的なレッテルを貼られてしまいました。

 検察は「自白主義」です。だから、何が何でも自白させようと、いまでもほとんど暴力まがいの取り調べが日常茶飯事です。壁に向かって長時間立たせる、あるいは座り続けさせる、そんなことは当たり前なのです。ほとんどの検事がそうします。日本では、弁護士はそこには同席できません。いわば、日常的に冤罪が生み出される構造があるのです。

 だから、取り調べの「全面可視化」が欠かせません。民主党の小沢氏は可視化も含めた検察の改革を進めようとしましたから、検察は死に物狂いで排除しようとしました。

 検察はこれまでどれほど多くの人間を冤罪で社会的に葬ったことでしょう。村木元局長は、優秀な官僚で、”女性の星”でした。「無実の村木さんの解放を求めます」との声明を、赤松良子元文部大臣、堂本暁子元千葉県知事、浅野史郎元宮城県知事らが連名で出しています。

 しかし、すでにその人生は、検察の手によって無残なものにされました。しかも、地裁で無罪が言い渡されても、検察は「次は高裁でひっくり返す」と決めています。それに対してきちんとものがいえない新聞テレビがあります。こうして「検察天国」はこの国を支配し続けるのです。







生き生き箕面通信554 ・既成事実にしようとする「普天間処理」

2010-06-09 06:51:11 | 日記
お早うございます。「政権が変わる 辺野古は変わらない」(読売川柳)
生き生き箕面通信544(100609)をお届けします。

・既成事実にしようとする「普天間処理」
 昨日の新聞は夕刊で、菅新首相に対するオバマ米大統領の初印象をこう伝えました。「大統領は菅首相との電話協議の結果に非常に満足していた」と。ベーダー米国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長がワシントン市内での講演で語ったものです。「米国は菅内閣との連携に期待感を示し、普天間に関する日米共同声明を『日米同盟が次の段階へと進む重要な足がかり』と評価した」とも報じています。

 アメリカが恐れるのは、新政権になって「辺野古は困難だから方向転換します」という事態。ホワイトハウスの真意は「アメリカの世界戦略を展開するために進めている米軍再編成実現のためには、もう時間がない。日本の沖縄では、ともかく辺野古で推進してもらいたい」というところです。 そのためには、既成事実の積み重ねが一番。アメリカは日本人の習性をよく認識しています。既成事実を前にすると、日本人は「ここまできているなら仕方がない」と、現状を受け入れるということを知り尽くしています。既成事実になりそうなことに対しても、その先を考えて頭のなかでは”既成事実化”してしまい思考停止に陥って、そのほかの道を検討することがない国民性。

 菅さんも、「鳩山さんが決めた日米合意は重い意味を持つ」と述べました。つまり菅さんも、既成事実の前に「普天間」については思考停止を起こしているのです。しかし、鳩山さんは本来、「三つの合意を大切にする。すなわち、地元沖縄の合意、連立の合意、そしてアメリカとの合意である」と明言していましたが、結局、アメリカとの合意だけを優先させてしまいました。

 いわばドタバタです。ドタバタで決められたものでも、いったん既成事実となると「仕方がない」としてしまう。恐るべき思考停止パターンの繰り返し。日本人の悲しき習性です。

 アメリカが最も恐れていたのは、普天間でもめているうちに、「反米感情」の火の手が急速に燃え上がることでした。だから、逆にいえば、「国外」を強力に主張すれば、アメリカは譲歩せざるをえなかった。もともとアメリカ自体が、グアムへの移転を進めているのですから。

 だから、こういうときこそジャーナリズムが、「一度立ちどまって考えよう」と呼びかけるべきです。「たとえば、本当に国外に移転させることはできないのか。グアムについてアメリカと交渉しましょう」と一つの考え方を提案することは非常に大切なはずです。しかし、朝日新聞も読売新聞も、辺野古で固まっています。

 沖縄に新しい基地を造ろうとすれば、無理なことが起こるでしょう。どだい50年先に、アメリカの基地が日本にあるとは想定できません。それとも朝日も読売も、50年先もアメリカの基地に頼るつもりなのでしょうか。もしそうだとするなら、素晴らしい”国思いの新聞”ということになるのでしょう。