お早うございます。長崎大学で「毒なしフグ」が開発されました。「毒なし社会」への特効薬は開発できないものでしょうか。
生き生き箕面通信555(100610)をお届けします。
・村木元局長の人生を破壊した検察の罪
厚労相の元係長、上村勉被告は昨日6月9日、大阪地裁で開かれた初公判で元同省局長、村木厚子被告の関与について「共謀はなく、私が単独でやった」と否定し、起訴状の最も重要な部分を否認しました。これで村木さんには「無罪」が言い渡される公算がほぼ確実になりました。
弁護側は、検察の取り調べについて「被告の弁解を全く取り上げず、事実をゆがめたストーリーのために調書を作成した」と指摘。上村被告の被疑者ノートを証拠として取り上げるよう申請しました。このノートには「冤罪はこうして始まるのか」「検察が作文している」など、取り調べの模様が記述されています。
5月に行われた村木元局長の公判では、大阪地裁は「検事が想定する内容になるよう作成された可能性が排除できない」として、検察側が証拠請求した捜査段階での上村被告の供述調書15通をすべて却下しました。つまり、裁判所が「検察はでっち上げの調書を作成した」と認めたわけです。
裁判官が、検察の調書を否定することは、よほどハラが据わっていなければできないことです。これまでほとんどは、検察の提出した供述調書が証拠として取り上げられるので、その段階で検察のシナリオ通り「有罪」とされます。今回のハラが据わった裁判長は横田信之さん。
ところで、肝心の供述調書はどのようにして作られるのでしょうか。検察は被疑者に明らかな証拠に基いて取り調べを行い、被疑者がそれを認めて事実を供述し、その内容を調書とする。これが、まともな調書の作られ方のはずです。ところが、とんでもない。
検察はこう言います。あらかじめ”見立て”と称するシナリオをつくり、それに基いて被疑者に「こうこうこういうことでしょう。ほかの人はみんなそう話しているよ。いつまでも認めないと、いつまでも出られませんよ。あなたも社会的な地位があるでしょう。家族も世間から冷たい目で見られていますよ。子どもさんは学校でいじめに遭うかもしれない。早く認めた方が、あなたのためですよ」と。
あろうことか、弁護士も検察の味方のようなことをいいます。「検察の言い分を認めたほうが早く出られますよ。認めなければ、いつまでも拘留されますよ」と。これは、今の制度上、弁護士も早く出るためには仕方がないと思っています。どういうことかというと、検察のシナリオを認めなければ、検察は「証拠隠滅のおそれがある」という理由でひっぱり続けるからです。
事実、完全に否認し続けた鈴木宗男氏は437日、佐藤優氏は512日も拘留されました。そして、「ムネオは悪いやつ」「佐藤はうさんくさいヤツ」という社会的なレッテルを貼られてしまいました。
検察は「自白主義」です。だから、何が何でも自白させようと、いまでもほとんど暴力まがいの取り調べが日常茶飯事です。壁に向かって長時間立たせる、あるいは座り続けさせる、そんなことは当たり前なのです。ほとんどの検事がそうします。日本では、弁護士はそこには同席できません。いわば、日常的に冤罪が生み出される構造があるのです。
だから、取り調べの「全面可視化」が欠かせません。民主党の小沢氏は可視化も含めた検察の改革を進めようとしましたから、検察は死に物狂いで排除しようとしました。
検察はこれまでどれほど多くの人間を冤罪で社会的に葬ったことでしょう。村木元局長は、優秀な官僚で、”女性の星”でした。「無実の村木さんの解放を求めます」との声明を、赤松良子元文部大臣、堂本暁子元千葉県知事、浅野史郎元宮城県知事らが連名で出しています。
しかし、すでにその人生は、検察の手によって無残なものにされました。しかも、地裁で無罪が言い渡されても、検察は「次は高裁でひっくり返す」と決めています。それに対してきちんとものがいえない新聞テレビがあります。こうして「検察天国」はこの国を支配し続けるのです。
生き生き箕面通信555(100610)をお届けします。
・村木元局長の人生を破壊した検察の罪
厚労相の元係長、上村勉被告は昨日6月9日、大阪地裁で開かれた初公判で元同省局長、村木厚子被告の関与について「共謀はなく、私が単独でやった」と否定し、起訴状の最も重要な部分を否認しました。これで村木さんには「無罪」が言い渡される公算がほぼ確実になりました。
弁護側は、検察の取り調べについて「被告の弁解を全く取り上げず、事実をゆがめたストーリーのために調書を作成した」と指摘。上村被告の被疑者ノートを証拠として取り上げるよう申請しました。このノートには「冤罪はこうして始まるのか」「検察が作文している」など、取り調べの模様が記述されています。
5月に行われた村木元局長の公判では、大阪地裁は「検事が想定する内容になるよう作成された可能性が排除できない」として、検察側が証拠請求した捜査段階での上村被告の供述調書15通をすべて却下しました。つまり、裁判所が「検察はでっち上げの調書を作成した」と認めたわけです。
裁判官が、検察の調書を否定することは、よほどハラが据わっていなければできないことです。これまでほとんどは、検察の提出した供述調書が証拠として取り上げられるので、その段階で検察のシナリオ通り「有罪」とされます。今回のハラが据わった裁判長は横田信之さん。
ところで、肝心の供述調書はどのようにして作られるのでしょうか。検察は被疑者に明らかな証拠に基いて取り調べを行い、被疑者がそれを認めて事実を供述し、その内容を調書とする。これが、まともな調書の作られ方のはずです。ところが、とんでもない。
検察はこう言います。あらかじめ”見立て”と称するシナリオをつくり、それに基いて被疑者に「こうこうこういうことでしょう。ほかの人はみんなそう話しているよ。いつまでも認めないと、いつまでも出られませんよ。あなたも社会的な地位があるでしょう。家族も世間から冷たい目で見られていますよ。子どもさんは学校でいじめに遭うかもしれない。早く認めた方が、あなたのためですよ」と。
あろうことか、弁護士も検察の味方のようなことをいいます。「検察の言い分を認めたほうが早く出られますよ。認めなければ、いつまでも拘留されますよ」と。これは、今の制度上、弁護士も早く出るためには仕方がないと思っています。どういうことかというと、検察のシナリオを認めなければ、検察は「証拠隠滅のおそれがある」という理由でひっぱり続けるからです。
事実、完全に否認し続けた鈴木宗男氏は437日、佐藤優氏は512日も拘留されました。そして、「ムネオは悪いやつ」「佐藤はうさんくさいヤツ」という社会的なレッテルを貼られてしまいました。
検察は「自白主義」です。だから、何が何でも自白させようと、いまでもほとんど暴力まがいの取り調べが日常茶飯事です。壁に向かって長時間立たせる、あるいは座り続けさせる、そんなことは当たり前なのです。ほとんどの検事がそうします。日本では、弁護士はそこには同席できません。いわば、日常的に冤罪が生み出される構造があるのです。
だから、取り調べの「全面可視化」が欠かせません。民主党の小沢氏は可視化も含めた検察の改革を進めようとしましたから、検察は死に物狂いで排除しようとしました。
検察はこれまでどれほど多くの人間を冤罪で社会的に葬ったことでしょう。村木元局長は、優秀な官僚で、”女性の星”でした。「無実の村木さんの解放を求めます」との声明を、赤松良子元文部大臣、堂本暁子元千葉県知事、浅野史郎元宮城県知事らが連名で出しています。
しかし、すでにその人生は、検察の手によって無残なものにされました。しかも、地裁で無罪が言い渡されても、検察は「次は高裁でひっくり返す」と決めています。それに対してきちんとものがいえない新聞テレビがあります。こうして「検察天国」はこの国を支配し続けるのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます