生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

生き生き箕面通信542 ・「未来から軽んじられることになるだろう」

2010-05-28 06:59:25 | 日記
お早うございます。永田町の人々はいつまでアメリカのポチのままに甘んじるのでしょう。
生き生き箕面通信542(100528)をお届けします。

・「未来から軽んじられることになるだろう」
 今日、東京の永田町で展開される政治ドラマは、影の主役がアメリカです。「辺野古」を盛り込んだ日米合意文書の内容を日本政府が閣議決定し、日本政府の方針に仕立てあげられるか、アメリカは高見の見物です。

 社民党の福島党首は「沖縄に新たな基地は造らせない」と日米合意文書の内容に反対の態度を堅持しています。これに対し、マスメディアは、鳩山首相をはじめ他の政府メンバーが対処に苦慮しているという構図として報じています。いわば国内政局が右往左往しているドラマとしての伝え方です。

 よく考えてみると、そもそもは「辺野古でよい」という国内の合意が成立していないにもかかわらず、外務、防衛の両大臣がアメリカ側といわゆる2+2の会議で”見切り合意”してしまった。そうした状況がまったく不問に付されています。

 日米で合意した、あるいは合意させられた「辺野古」は、もともとアメリカが主張し続けた案でした。今年訪日したゲーツ米国防長官は、岡田外相に対し「なぜ早く辺野古で決着しないのだ」と一喝し、岡田外相が震え上がったという経緯があります。だから今回、訪米した岡田外相はゲーツ氏に「おおせの通り辺野古にしました」と、報告できたことになります。2+2の結論のあと、ゲーツ氏のことのほか上機嫌の笑顔が日本にも配信されましたが、さもあらんと、情けなくなります。

 今日は、アメリカの意向を日本政府の意向にするためのセレモニーが永田町で演じられるのですが、アメリカは後ろに隠れたまま、日本人同士にドタバタ劇を演じさせて実をとることができるのです。

 先月亡くなった井上ひさしさんは、「あの太平洋戦争は何だったのか、その意味を繰り返し問い続けた作家」と評されています。「復員した青年を主人公に、BC級戦犯の問題を書いた『闇に咲く花』という芝居に、こんなせりふがある。『起こったことを忘れてはいけない。忘れたふりは、なおいけない』」という追悼の言葉もありました。

 「東京裁判3部作」の公演では、遺言になった作者の言葉が寄せられました。「いつまでも過去を軽んじていると、やがて私たちは未来から軽んじられることになるだろう」。

 「九条の会」の呼びかけ人でもあった井上さんは、小田実、加藤周一さんに続き亡くなりました。あとに残った私たちは、これからの子どもたちにどんな日本を残さなければならないのか、改めて考えてみたいと思います。

 辺野古に決めても、できっこありません。だから、早晩、「日本で代替基地を造ることはムリ。例えばグアムで」という第2幕が上がるようにもっていきたいものです。

 





ikiiki

2010-05-28 06:58:34 | 日記
お早うございます。永田町の人々はいつまでアメリカのポチのままに甘んじるのでしょう。
生き生き箕面通信542(100528)をお届けします。

・「未来から軽んじられることになるだろう」
 今日、東京の永田町で展開される政治ドラマは、影の主役がアメリカです。「辺野古」を盛り込んだ日米合意文書の内容を日本政府が閣議決定し、日本政府の方針に仕立てあげられるか、アメリカは高見の見物です。

 社民党の福島党首は「沖縄に新たな基地は造らせない」と日米合意文書の内容に反対の態度を堅持しています。これに対し、マスメディアは、鳩山首相をはじめ他の政府メンバーが対処に苦慮しているという構図として報じています。いわば国内政局が右往左往しているドラマとしての伝え方です。

 よく考えてみると、そもそもは「辺野古でよい」という国内の合意が成立していないにもかかわらず、外務、防衛の両大臣がアメリカ側といわゆる2+2の会議で”見切り合意”してしまった。そうした状況がまったく不問に付されています。

 日米で合意した、あるいは合意させられた「辺野古」は、もともとアメリカが主張し続けた案でした。今年訪日したゲーツ米国防長官は、岡田外相に対し「なぜ早く辺野古で決着しないのだ」と一喝し、岡田外相が震え上がったという経緯があります。だから今回、訪米した岡田外相はゲーツ氏に「おおせの通り辺野古にしました」と、報告できたことになります。2+2の結論のあと、ゲーツ氏のことのほか上機嫌の笑顔が日本にも配信されましたが、さもあらんと、情けなくなります。

 今日は、アメリカの意向を日本政府の意向にするためのセレモニーが永田町で演じられるのですが、アメリカは後ろに隠れたまま、日本人同士にドタバタ劇を演じさせて実をとることができるのです。

 先月亡くなった井上ひさしさんは、「あの太平洋戦争は何だったのか、その意味を繰り返し問い続けた作家」と評されています。「復員した青年を主人公に、BC級戦犯の問題を書いた『闇に咲く花』という芝居に、こんなせりふがある。『起こったことを忘れてはいけない。忘れたふりは、なおいけない』」という追悼の言葉もありました。

 「東京裁判3部作」の公演では、遺言になった作者の言葉が寄せられました。「いつまでも過去を軽んじていると、やがて私たちは未来から軽んじられることになるだろう」。

 「九条の会」の呼びかけ人でもあった井上さんは、小田実、加藤周一さんに続き亡くなりました。あとに残った私たちは、これからの子どもたちにどんな日本を残さなければならないのか、改めて考えてみたいと思います。

 辺野古に決めても、できっこありません。だから、早晩、「日本で代替基地を造ることはムリ。例えばグアムで」という第2幕が上がるようにもっていきたいものです。