生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

生き生き箕面通信538 ・道元禅師も嘆く?永平寺の観光寺化

2010-05-24 07:03:20 | 日記
お早うございます。一泊で福井へ行き、帰りに永平寺へ寄りました。そういうわけで昨日は「箕面通信」が送信できませんでした。
生き生き箕面通信538(100524)をお届けします。

・道元禅師も嘆く?永平寺の観光寺化
 横殴りの強い雨のなか、30年ぶりくらいに永平寺を訪れました。700年を経たうっそうと茂る杉木立の参道は、おのずから粛厳としたたたずまいで訪れるものを迎えてくれます。

 しかし、かつて堂内全体に充ちていた厳しい修行の雰囲気はどこへやら、観光客をコンベアベルトに乗せて数でこなす観光寺に変わっていました。

 まず、最初は若い修行僧が「お参り参拝の説明」をするのですが、ベンチがいくつか置いてあり、「修行僧は写真に撮らないで下さい。フラッシュはご遠慮願います」というもの。かつては、全員が正座して、しかるべき僧侶の説法を聞くことができましたが、いまはそんなことをしていたら、観光客をこなせないということなのでしょう。

 なにより驚いたのは、色々な草花の絵で埋まった天井画の大広間に、きらびやかな袈裟に身を包んだ僧のカラー写真が2メートル四方の大きな額に入れて麗々しく飾っていたことです。それもだるま大僧正の墨で描いた肖像画に並べるようにして飾ってありました。だるまさんの白黒のいわば「禅の世界」に対して、片や「ふんだんな虚飾をほどこした世俗の世界」丸出しで、それが平気でならべられていることに強いショックを受けました。

 カラー写真の主は、現在の福山猊下だそうです。

 道元禅師は、日常の所作ふるまいがすべて修行と教えられたはずですので、このきんきらきんの姿を飾ってあることもひとつの修行のあり方を示すものかもしれません。ただ、ぼくには極めて違和感を覚えるもので、奇異にうつりました。 

 そうしてみると、窓ガラスを磨いている「修行の姿」も、どこか「観光のパフォーマンス」とも取れ、なんだかすべてが嘘っぽく受け取られてさむざむしたのは残念でした。

 檀家のない禅寺では、収入を得ないとやっていけないし、改修には多額の資金を要するのも事実だと思いますが、そのために観光寺に成り下がるのは、道元さんにはどうなのでしょう。

 ともあれ、ささやかな寄進はさせていただきましたが……