生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

生き生き箕面通信517 ・「とことん辺境で行こう」。それが召命なんです

2010-05-02 07:25:04 | 日記
お早うございます。今朝の読売は、野中広務・元自民党幹事長の証言として「官房長官時代に首相に月1000万円、国体委員長などのほか、評論家や野党議員にも官房機密費を配った」と報じています。民主党政権では、官房機密費の内訳を明らかにするルールを決め、公表するべきだと思います。
生き生き箕面通信517(100502)をお届けします。

・「とことん辺境で行こう」。それが召命なんです
 日本は地政学的にみると、世界の中心(それはどこかにある)から離れた辺境の地にある、という意識。これは邪馬台国の卑弥呼以来、1800年の間に日本人の深層心理に刷り込まれた意識だそうです。

 紀元239年に邪馬台国の女王卑弥呼は中国の魏帝に朝貢して「親魏倭王」の称号を授けられた、と史書「三国志」に記されています。

 日本は、邪馬台国の時代、ヤマトと称した時代から、精神的な支えを含め見るべきものはほとんど全て中国大陸あるいは朝鮮半島を通じて輸入してきました。文化・コミュニケーションの基本となる文字(漢字)をはじめ、宗教は仏教を輸入して聖徳太子によって当時の”国教”と定められました。国の統治機構の根幹となる律令制度なども、輸入したものであることは、義務教育の間に学んだ基礎知識です。

 大事なものはすべて外国からの”借り物”できました。だから、「日本人とは何ものぞや」という「日本人論」が常に繰り返し論じられてきました。日本人というたまねぎを、その皮をむいていくと「日本人の原型」という核は何も見つからないのです。「日本人の日本人たるゆえんはこれだ」と言い切れるものがない。

 したがって、いつも「きょろきょろ」と何かを探し、他国との比較でしか自分を規定できない状態を続けている。「日本人は辺境人であり、その感覚から抜け出せない以上、とことん辺境人で行こう」と「日本辺境論」を書いた内田樹さんは主張しています。

 「日本人が歴史に登場し、今まで生き延びてきている以上、そこには何か固有の召命(しょうめい)があると考えることは可能です。日本を『普通の国』にしようと空しく努力するより(どうせムリなんですから)、こんな変わった国の人間にしかできないことがあるとしたら、それは何かを考える方がいい。その方が私たちだって楽しいし、諸国民にとっても有意義でしょう」とも述べています。

 小沢幹事長は、「国連に日本が率先して警察軍を送り、世界の秩序作りに貢献しよう」と、大きな絵を掲げています。