水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「こう・21」

2009-09-20 22:38:04 | Weblog



交の項(こうのこう)

心は解け合う事が可能かもしれない。
遥か遠く、魂も一つに解け合うかもしれない。
だが、肉体は一つになれない。
この世の存在理由の一つだ。
個が個として体験する「場」だからだ。

どんなに愛し合っている二人でも無理なのだ。
まぁ、大抵は時間が経てば身をもって知る・・・
母体の中の胎児も解け合っているわけじゃない。
個が個として生きるから、貴重な世界なのだ。

解け合えない。
一つになれない。
だが、交わる事はできる。
それが、縁というヤツだ。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・20」

2009-09-19 20:39:18 | Weblog



交の項(こうのこう)

この世に生まれる。
特徴は一つの肉体。
その肉体の限度までが、この世での生命。
最初から最後まで、一つの個なのだ。

その個が生涯を過ごす。
その個の生涯が道になる。
どんな生命体にも独自の道ができる。
振り返ると道がある。
先(未来)にも道はあるが、見えない。

道は独自だが、幾つもの他の道と交わる。
方向が同じ道もあるだろう。
だが、一つの道にはなれない。
接する事もあるだろう。
だが、溶け合う事はできない。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・19」

2009-09-18 21:40:10 | Weblog



交の項(こうのこう)

この世は物質(肉体)界だ。
仏教的には色界という。
見える、触れる、聞こえる世界だ。
だが、多重世界でもある。

見えないモノ。
触れられないモノ。
聞こえないモノ。
それらも、重なっているのだ。

交わる、とは、二つ(以上)の世界に触れる。
見える(触、聞、香なども)世界だけじゃない。
見えない世界だけじゃない。
見える世界を通じて、見えない世界にも関係する。
つまり、心や魂や霊や過去や未来にも影響する事だ。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・18」

2009-09-17 23:12:49 | Weblog



交の項(こうのこう)

交わる。
同種が深く接触する事。
ただの接触は交わりにならない。
ちなみに、異種だと混になる。
ワシは混乱も乱交も混交も好きだけどなぁ。

生きていると、何かに接触する。
何かに縁がある。
モノや機会や人や人以外の生物。
だが、縁は深浅がある。

袖触れ合うだけの縁もある。
肌触れ合う縁もある。
もっとアレコレ触れ合う縁もある。
そして、心に触れる縁もある。
魂に触れる縁もある。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・17」

2009-09-16 23:27:22 | Weblog



康の項(こうのこう)

虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)。
虚しさ、空しさの本質をあらわす菩薩だ。
大宇宙、無限の広さをあらわす言葉だ。
むなしいとは、本来そういう意味なのだ。

康に意味する、むなしさ。
幸の一面や一性質を表している。
物質(肉体)界においては、諸行無常でもいい。
万物流転でもいい。
肉体生命は限りある。
だから、むなしい、という意識が大切だ。

むなしい、は慈悲に通じる。
自他共に、あらゆるモノに、むなしさがある。
感じる心は、慈悲となる。
慈悲は幸に通じている。
康は、五方に通じる大きな道なのだ。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・16」

2009-09-15 23:03:51 | Weblog



康の項(こうのこう)

むなしさ、が何故康(幸)なのか。
一般的な理解では、マイナス的なイメージだ。
だが、仏教用語としてなら理解できる。
空しい、虚しいは、大きな道なのだ。

通常の、むなしいという感情。
それも空や虚の一部だ。
大きすぎるモノ。
理解の範囲を超えるモノ。
それを空しい、虚しいと表現した。

幸の一部分。
幸の一面。
むなしさはツマラナイのではない。
大きすぎるのだ。
むなしさ、は最初から生命に付いている。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・15」

2009-09-14 23:10:39 | Weblog



康の項(こうのこう)

全ての生命に最初から康(幸)がある。
生命の内に仕込まれている。
それが五方に通じる大きな道。
グレちゃん(創造主)は優しい。

だが、ただ優しいだけじゃない。
同時に仕組まれているモノがある。
それが、もう一つの康の意味。
むなしい、ってヤツだ。

幸の性質の一つか。
幸のある面なのか。
それとも、表裏の関係なのか。
わからないが「むなしさ」も最初から付いている。

         
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「こう・14」

2009-09-13 23:09:32 | Weblog



康の項(こうのこう)

五方に通じる大きな道。
この表現はいい。
幸せの性質や機能を上手く表している。
五方を生きるのは、全ての生き物達だ。

生き物だけじゃない。
全ての存在が五方を生きている。
生きているのは、生き物だけじゃないのさ。
まぁ、この説明はメンドウだからしないけど。

そして、全ての存在に康(幸)はある。
最初からある。
青い鳥は、最初から家に住んでいるのだ。
不幸もあるかもしれないが、無幸はないのだ。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・13」

2009-09-12 23:36:40 | Weblog



康の項(こうのこう)

全ての空間って、いわれてもなぁ・・・
広すぎて想像がつかない・・・
康は見えない世界を表現している。
やすらか、とか、たのしいなどだ。
ならば、物理的な空間ではないな。

物理的な意味でなければ、精神的意味になる。
五方(全て)に通じる大きな道だ。
ならば道は、生き方とか方向だ。
全てに共通する生き方。
全てに内蔵されている方向。

それこそが、幸せってヤツだろう。
どの道からでも通じている。
目指している、という表現もできる。
何処にいても、幸せに通じている。
この世の創造主は、超優しいなぁ。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・12」

2009-09-11 13:56:44 | Weblog



康の項(こうのこう)

五方に通じる大きな道。
何やら、深~い意味がありそう。
五方とは、四方プラス一方だ。
方は方向、方角を指す空間。

地球上では東西南北が四方。
宇宙的や精神的なら、上下左右。
上下も左右も自分の位置からだ。
元々上下も左右もないから、自分を中心とする。

その中心が残りの一方とする。
東西中南北。
上中下中左中右。
つまり五方とは、全ての空間を意味する。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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