水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
ワシは、かなり自由の方だと思っている。
だが、まだまだまだまだ、とも思っている。
「この氣」は「人の氣」より遥かに大きい。
いくらでも広げられる可能性がある。
15年かかって、やっと、そんな事が判った。
まだまだまだまだ、と判った。
意識ってのが頑固なヤツでな。
すぐ固まりたがる。
自分では柔らかいつもりでも狭い範囲内だ。
人の常識や固定概念という範囲内だ。
「氣」はそんなの関係ねぇ。
常識なんて関係ねぇ。
固定概念なんて関係ねぇ。
法則なんて関係ねぇ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
先は長い。
当たり前だ。
道が本物なら、何処までも続く。
遥か古代から遥か未来まで。
その一部を歩いているのだ。
解らない事だらけだ。
先は解らないが、今の道は解る。
今の全てではないが。
そして、道を広げる事もできる。
広がりは柔らかさだ。
意識の柔らかさで広がる。
ワシのライフワークは道の広さが関係する。
広いほど、自由に使える。
使える幅が広いほど、多く大きく仕事ができる。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
最近実姉が東京神楽坂で個展を開いた。
姉は売れない陶芸家だ。
やはりライフワークに出会ってしまったのだ。
ある意味、姉弟で社会脱落者みたいなものだ。
我家は呪われているのか・・・
来ていただいた人に画家がいた。
ワシも知っている画家だ。
十年以上前からの知り合いでもある。
その画家さんが姉に言った。
「こういう道は、妻子を犠牲にし、
踏みつけ、その上であがき、あがいて作品に変える」
人間的には温厚な人だ。
だが、こういう道に出会ったなら、ほとんど共通する。
ワシも納得する話だ。
妻子のメシ代を、自分のライフワークの為に使ってしまう・・・
不幸にはしていないと思うが、不自由にはしているなぁ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
最近実姉が東京神楽坂で個展を開いた。
姉は売れない陶芸家だ。
やはりライフワークに出会ってしまったのだ。
ある意味、姉弟で社会脱落者みたいなものだ。
我家は呪われているのか・・・
来ていただいた人に画家がいた。
ワシも知っている画家だ。
十年以上前からの知り合いでもある。
その画家さんが姉に言った。
「こういう道は、妻子を犠牲にし、
踏みつけ、その上であがき、あがいて作品に変える」
人間的には温厚な人だ。
だが、こういう道に出会ったなら、ほとんど共通する。
ワシも納得する話だ。
妻子のメシ代を、自分のライフワークの為に使ってしまう・・・
不幸にはしていないと思うが、不自由にはしているなぁ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
一生の仕事が見つかった。
すると他人は言う。
羨ましいですねぇ。
理想的ですねぇ。
いいや、厳しいですよ。
これはライフワークが見つかった人にほぼ共通だ。
一生の仕事に出会った事は嬉しい。
だが、この出会いは厳しい運命でもある。
逃げられない運命でもある。
厳しくても、苦しくても当然なのだ。
込みでライフワークなのだ。
生き甲斐はある。
生き甲斐は厳しさがスパイスなのだ。
特に社会不適合の性格だと、更に厳しい。
稼ぐという能力が劣っていると、結構辛いものがある。
それでも、出会ったなら受け入れるしかないのだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
出会ってしまったのだ。
ワシの運命と。
恋人や妻や愛人なら別れられる。
だが、運命とは別れられない。
身体が変わってしまったのだ。
この仕事をする為の身体だ。
だから、この仕事は運命となった。
天職とは身体と運命が一体している。
天職は・・・転職できない・・・
ところが、厄介な事に社会がある。
この国は不都合な事に国家としてある。
つ、つまり・・・税金やその他がかかる。
暮らしていくのに金がかかる社会なのだ。
いろいろな法律などもある。
ワシの苦手な分野だ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
自分を活かせる。
天職だと思った。
ライフワークという単語が当てはまる。
この仕事が好きだ。
好き、というのと少し違う。
辛い事が多い。
厳しい事が多い。
悲しい事も多い。
それでも、広い意味で好きだ。
辞める事も出来る。
暮らす為だけの仕事も出来る。
出来るけど・・・
多分・・・出来ない。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
ワシは恵まれている。
生れ付きの好条件があった。
それは・・・
ワシは「いいかげん」だった。
「いいかげん」は幅広い。
ワシ自身を認める事が出来れば、
幅広く認めやすくなる。
その分、柔らかく生きられる。
その分、和らぎが出来やすい。
ワシの仕事は意識の和らぎがポイントとなる。
相手は人だけじゃない。
生命、病、未来、霊。
何をとっても、わけがわからん相手だ。
認める事が出来て、そこから始められる。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
意識は理解に通じるが、理解ではない。
この世で理解できるのは僅かだと思っている。
必要なのは理解でなく、意識の方だ。
むしろ・・・
理解できない事を意識できる方が必要だと思う。
理解できなくても、信じる事はできる。
信じる事ができなくても、認める事はできる。
何となく、でもいいのだ。
他を認める、とは自分を認める事と同じだ。
自分の心だって理解など出来ない。
信じる事も出来ない場合がある。
ワシは自分の心など信じられない。
だが、完全に認めている。
いいかげんな自分を認めている。
アテにならない自分の心を含めて認めている。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
太陽はいつでも輝いている。
その光を活用するのは、各自の自由。
光を意識できなければ、恩恵は受けても扱えない。
意識が活用を左右するのだ。
光を明るさと限定して意識する。
すると活用できたとしても、明るさだけだ。
熱と意識すれば、熱の活用が可能になる。
物理的な光と意識していれば、それなり。
物理を超えた光と意識できれば、更に活用できる。
例えれば、そんな感じだ。
広さや深さ、影響範囲の意識もある。
この場合、意識とは理解に通じるようだ。
同じ太陽を感じても、各自で受け止め方は違うのだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)