水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷説般若心経・228」

2008-03-21 10:50:55 | Weblog



  第十八章(9)
  羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提僧婆訶

呪に訳は必要無い。
呪の訳に意味は無い。
意味不明じゃないが、意味の価値が無い。
意味など付けても、意味が無い。

ワシは意味の無い事に意味を付けるのを趣味にしている。
趣味だから、気まぐれだ。
意味の無い訳だから、好きなように訳せる。
キチンとした意味の訳でさえ、独善で訳している・・・。

だからデタラメな訳だぜ。
呪に意味は無いんだぜ。
ただ唱えればいいんだぜ。
と、充分知った上で趣味を書く。 
    
                    
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説般若心経・227」

2008-03-20 22:47:28 | Weblog



  第十八章(8)
  羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提僧婆訶

立派な魂なら経など必要ない。
不出来な人達に経は必要なのだ。
とはいえ「立派になりなさい」は無理と無智の言葉だ。
宗教組織が啓蒙する言葉は最初から無理がある。

不出来でも可能な言葉。
不出来でも安心できる内容。
不出来だから使える呪。
そういうモノがホンモノというのだ。
建前の立派言葉は使いモノにならない。
立派言葉はミエと同じ飾り言葉だ。

おう、どうでもいいぜ。
お前ぇ等でも、大丈夫だ。
力を抜くだけだ。
立派になるなよ。
イイカゲンがいいぜ。

 
    
                    
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説般若心経・226」

2008-03-19 20:10:16 | Weblog



  第十八章(7)
  羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提僧婆訶

この地球上の生物は個々では争い戦う。
だが種を賭けての争いはしない。
生命の中に基本として禁忌されている。
人類を除いて・・・。

人類は特殊なのだ。
その特殊を偉いと勘違いして「万物の長」などという。
自分で自分を長だの王だの言う。
かなり・・・恥ずかしい発言だ。
長や王というのは、他を思いやれる魂の主だぜ。
人類には無理な注文だ。

そんな低俗な魂でも大丈夫。
それが般若の智恵と呪だ。
正に人類向き・・・。
ブッちゃんって、すごいと思う。

    
                    
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「迷説般若心経・225」

2008-03-18 19:30:47 | Weblog



  第十八章(6)
  羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提僧婆訶

普段、迷惑な生物の人類。
だからこそ、地球上での生き方の道がある。
それは、自他の調和と幸福と繁栄だろう。
それが出来ないなら、消えるのが理。

人類は飛びぬけて能力がある。
種を超えて作用する能力がある。
自(人類)のみで使えば他を犯(侵)す。
それは、廻って自をも滅す。

この地球上で生きるモノ達の基本ルール。
それは、他(種)を侵(犯)さない。
個々の争いは個々に任されている。
だが、集団での争いは厳禁なのだ。
そんな基本ルールも守れない人類。
だから、般若の智恵と呪は大きな道となる。

   
                    
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「迷説般若心経・224」

2008-03-17 20:54:53 | Weblog



  第十八章(5)
  羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提僧婆訶

音声器官が発達している人類が呪を唱える。
言えるから偉いわけじゃない。
役割の違いだ。
人類は他の生物達の迷惑行為をしている。
どっちかというと、偉くない方に近い・・・。

自他を幸せにする呪を唱える。
普段迷惑な存在の人類でも役に立てる。
この地球の上で生かされている存在だ。
たまには役に立たなくては申し訳ないだろう。
金儲けをしても、人類だけの貢献をしても、
他の生物からの賞賛は無いぜ。

全てに貢献できる行為。
その一つに般若の呪がある。
ガティー ガティー パーラガティー
パーラサンガティー ボゥディスヴァーハ

  
                    
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「迷説般若心経・223」

2008-03-16 22:24:27 | Weblog



  第十八章(4)
  羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提僧婆訶

言葉は状態を変化させる力がある。
状態には見える状態と見えない状態がある。
例えば、見える状態は物質(肉体)など。
見えない状態は心や生命などだ。

そうすると、音声器官の発達している人間が有利になる。
タヌキやカエルは上手く発声できない。
そうなのだ。
人間はこの点に関して有利に創られている。

だからといって、特別に愛されているわけじゃない。
それは、平等だ。
微生物の種類によって、特別に愛する事はない。
人間もケモノも妖怪も微生物も同じだ。
グレちゃん(創造主)は区別しても差別はないぜ。
多種多様なモノ達がいると、面白いじゃないかぁ。

                    
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「迷説般若心経・222」

2008-03-15 19:49:52 | Weblog



  第十八章(3)
  羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提僧婆訶

幾十年も読経を続けている僧侶達がいる。
同じく心経は神道でも唱えられている。
だが、ブッダ(開かれた人)に成れた人はいない。
いたとしても、ほとんどいない。

最後の呪の声音が共鳴しないのだろう。
サンスクリット読みなら、もしかしたら・・・
それでも、全く効果が無いわけじゃない。
人生を大きく変えた人達も大勢いるのだ。
心経は呪が共鳴しなくても、大きな力を秘めている。

苦しみを無くしたい。
苦しみを軽減したい。
人生を愉しく歩いていただきたい。
ブッちゃん(仏陀)の思いは活きている。
ゲンちゃん(玄奘)の思いは活かされている。

                    
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「迷説般若心経・221」

2008-03-14 18:50:00 | Weblog



  第十八章(2)
  羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提僧婆訶

一応日本語では
「ぎゃてぃ ぎゃてぃ はらぎゃてぃ はらそうぎゃてぃ ぼじそわか」
と読まれている。
だが、真言は声音だ。
元はサンスクリット語だが、それさえ当て音声だろう。

一応サンスクリット語では
「gate gate para-gate para-samgate bodhi svaha」
一応、近い読みでは
「ガティー ガティー パーラガティー
パーラサンガティー ボォディ スヴァーハ」

呪の意味と役割を理解すれば、
日本語読みよりもサンスクリット読みになる。
ここだけは「ガティー ガティー・・・」と読む方がいい。
日本では圧倒的に「ぎゃてぃ ぎゃてぃ・・・」と読んでいる。
それでは心経の呪が活きて来ないだろうなぁ・・・。

                   
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「迷説般若心経・220」

2008-03-13 21:10:27 | Weblog



  第十八章(1)
  羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

心経の最後の部分だ。
これが心経の呪(真言・マントラ)だ。
漢字に意味は無い。
音を無理やり当てはめただけだ。
呪は字に書けないのだ。

呪は字には書けないが、音で現せる。
形でも現せる。
形は図形でも造形でも印形でも現せる。
一応、心でも現せる。
心は一定しないから、超難しいけど。

一番簡単なのは声音だ。
一応、そう思われている。
実は・・・そう簡単でもない。
正確な音なんて、簡単に出来るわけがない。
つまり・・・
一番、簡単に「チャレンジできるのが」声音なのだ。

                  
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「迷説般若心経・219」

2008-03-12 19:56:10 | Weblog



  第十七章(12)
  真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

「今までアレコレ話してきたけど、忘れてもいいぜ。
空とか無とかの説明なんか、知りたいヤツだけでいい。
覚えるのは呪の部分だけだ。
短けぇから覚えられるはずだ。

実際に役に立つ経は少ねぇんだ。
ほとんどが理屈だからよ。
理屈は屁みたいなもんだ。
マトモに受ければ臭ぇ・・・。

だけど、この般若心経は役に立つぜ。
最後の呪の部分だけだけどな。
これからそれを教えるよ。
期待してもいいぜ

                 
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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