水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「伝染・16」

2007-05-21 23:06:09 | Weblog



ワシは「氣」について考える。
い、いや、考えるわけじゃない。
ボケ~としている。
すると「そうかぁ!!」と閃く事がある。
ほとんどがそうだ。
我輩は考えぬアッシである。

「氣の伝染」について書いてきた。
い、いや・・・書くほどじゃない。
適当にキーボードを叩いただけだ。
すると、閃く事がある。
そうかぁ・・・そうなのかも・・・

「氣」は万物の元だ。
あらゆる事に当てはまる。
「伝染」はあらゆる事に当てはまるのだ。
何故、この世に多種多様な存在があるか?
そんな事は知らない。
ワシは創造主じゃないからなぁ。
だけど、多種多様が伝染し合っているのは判る。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「伝染・15」

2007-05-20 21:48:26 | Weblog



怖がると寄ってくる。
逃げれば追いかけてくる。
追えば逃げる。
無関心だと消えてしまう。
この世の(片方の)仕組みだ。

ワシはズルイ。
この世がヒネクレている事を利用している。
だから積極的に闇にも入れる。
闇(病)なんて、撫でれば小さくなる。

心と同じだ。
心はグチャグチャの幻でできている。
心が清む、とは心が小さくなることだ。
心は、この世の仕組みと同じだと思う。
ある意味、この世は幻でもあるのだ。

病を可愛がる。
可愛がるとテレて小さくなる。
病は恥ずかしがり屋なのだ。
怖がると大きく出てくる。
逃げれば、追いかけてくる。
正面から抱いてあげようぜ。


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「伝染・14」

2007-05-19 23:08:35 | Weblog



病と同じ波動帯に入る。
そして病の波形と同調(シンクロ)する。
調和とは自然形に戻る事だ。
病の波形も本来に変わる。
つまり、病は消える、という事になる。
病は治すというより、消えるのだ。
病という波形は消えて、本来の波形が残る。

病の本来(自然)の波形。
当然何らかの作用がある。
病を超えて(自然に戻り)働く作用だ。
病の御蔭でその後の人生が(幸せに)変わる。
病は超える(消える)事で有効に働く。
病状が残っても、病は消えるのだ。

病の波形と同調する。
それは交流する事でもある。
双方に影響がある。
氣功側にも病の影響がある。
病の大きさと深さで流れ込む部分がある。
平たくいえば・・・
病を引き受ける部分がある。


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「伝染・13」

2007-05-18 10:32:44 | Weblog



伝染する仕組みがある。
見える世界は「力」が作用する。
見えない世界は「波動帯」が作用する。
この氣功は「調和」が質になっている。
だから空間の近さと時間の多さで近づくのだ。

最初から「波動帯」が近い人もいる。
一瞬でも伝染する。
だが「波動帯」は一定の層だ。
一定の周波数の幅だ。
その中には逆の波形も含まれる。

だから、この氣功は病に有効となる。
一定の病の波動帯に入っていけるからだ。
そして波形を修正できるからだ。
「氣」の医療応用とは(多分)そういう仕組みだ。


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「伝染・12」

2007-05-17 22:59:20 | Weblog



「氣」が出るようになっても変わらない。
一つには「氣」の感覚が判らないようだ。
無理もないさぁ。
追求して得た能力じゃない。
未知の感覚は追いかけなければ判り難いのだ。
せっかく氣功が出来ても、活かす事ができない。

だからいいのだ。
下手に利用すると苦しい目に合う。
ワシは他人相手にしないように言ってる。
氣功が出来てもモロモロに対処できるわけじゃない。
安全で本来の使い方で充分なのだ。
それは、自分自身に使う事なのだ。

こんなの珍しいわけじゃない。
自動車が乗れる、絵が描ける、と同じだ。
でも乗れても描けてもプロにはなれない。
プロは自分の存在を懸けるからプロなのだ。
プロきどりが一番危険なのだ。
乗れる、描けるのを愉しめれば充分だ。


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「伝染・11」

2007-05-16 22:58:47 | Weblog



(この)氣が出るようになる。
ある程度関わっているクライアント達。
当たり前に伝染している。
氣功が出来るようになった、ではない。
氣功が出る身体に変わったのだ。

氣功師になりたいクライアントではない。
だから、余計な力が入ってない。
この氣功は力を抜いた時に出てくる。
出るようになっても変わらぬ生活をしている。
氣功師になりたがる人の方が伝染し難いかも。

もちろん我家の家族は全員が氣がでる。
だからワシは何かあっても「自分でしろ」という。
かなり恵まれているはずなんだけど・・・
ワシの不徳のいたすところで、ちっとも有り難がらない。


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「伝染・10」

2007-05-15 23:15:05 | Weblog



ある時、ワシとしては長い期間治療した人がいた。
転移ガンの人だった。
すると、いつも同じ部屋で新聞などを読んでいた夫に伝染した。
触っている本人ではなく、触らない配偶者に伝染した。
(ワシが近づくだけで咳き込み、手をかざすだけで痛がるので、
触れるようになるまで半年かかった珍しいクライアントだった)

伝染しても使わなければ消える。
ワシとの縁が切れれば消える。
ほとんどの伝染した人達がそうだ。
縁が繋がっている間は伝染している。
だから伝染病とは違う。
本体(磁石)と一時的同調体(鉄)なのだ。
(鉄も諸条件で磁石になれるけど・・・)

鉄が磁石になる条件。
幾つかの方法がある。
最初から磁石体質の人だっている。
普遍的なのは磁力を使い続ける事だろう。
毎日毎日使う。
どんな能力でも何とかなる。
ただし・・・「氣」が込っていれば、だが。


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「伝染・9」

2007-05-14 23:21:17 | Weblog



故御師匠様から伝染したのだ。
弟子なら誰でも他へ伝染できると思っていた。
ところが、伝染できる人は少ない。
ワシは偶々諸条件が当てはまったらしい。
その多くは御先祖様達の御蔭のようだ。

自慢じゃないがワシは根性が無い。
謙遜じゃないが努力や精進するタイプでもない。
好きな事なら興味津々で取り組んでしまう。
興味を外れれば、力が出ない。
だから自慢にならんが、社会生活は苦手だ・・・。

伝染は自動的にするので、ワシの能力じゃない。
そういうものだと思っていた。
側にいれば伝染する。
触れる時間が多ければ伝染する。
誰にでも伝染するが、同じじゃない。
即簡な人とそうでない人がいる。


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「伝染・8」

2007-05-13 19:27:50 | Weblog



故御師匠様が言ったのだ。
「氣功なんて伝染する」
だから、誰にでも伝染すると思っていた。
誰にでも伝染するといえば、する。
だが、言葉には深さがあるのだ。
どの深さまで理解しているか、が問題だ。
当時は表面しか理解してなかった。

13年後の今。
伝染病とは違うと思っている。
人から人へ、とは伝染らない。
例えるなら・・・磁石と鉄。
鉄から鉄へは伝染しない。
(少しなら・・・するようだ)

(磁石の)近くにいれば伝染する。
触っていれば伝染する。
だが氣功ができれば磁石というわけじゃない。
磁石に値する何かが無ければ伝染しない。
その何かは単に氣功の強弱じゃない。
磁石になる人は多くない。


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「伝染・7」

2007-05-12 20:51:25 | Weblog



「氣」は伝染する。
「人の氣」あるいは「人を介した氣」も伝染する。
深浅は本人の同調度による。
通常は空間の近さと時間の長さに比例する。

もちろん例外もあるさぁ。
この世は例外があって成り立つ。
何でもアリ、の世界だ。
この世の成り立ちが「氣」だからだ。
氣は森羅万象の根元だ。
そして「氣」はイイカゲン(自由奔放)だからだ。
この世は元々、イイカゲンで成り立っている。

ある法則で成り立っている、と思えば法則のまま。
法則を外れた、と思えば法則を外れる。
律義というか、イイカゲンというか・・・
理も律もある、とすれば、ある。
だが、例外もあるのだ(少数派になるけど)。
圧倒的な理と少しの例外で成り立っている。


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