水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
ワシは「氣」について考える。
い、いや、考えるわけじゃない。
ボケ~としている。
すると「そうかぁ!!」と閃く事がある。
ほとんどがそうだ。
我輩は考えぬアッシである。
「氣の伝染」について書いてきた。
い、いや・・・書くほどじゃない。
適当にキーボードを叩いただけだ。
すると、閃く事がある。
そうかぁ・・・そうなのかも・・・
「氣」は万物の元だ。
あらゆる事に当てはまる。
「伝染」はあらゆる事に当てはまるのだ。
何故、この世に多種多様な存在があるか?
そんな事は知らない。
ワシは創造主じゃないからなぁ。
だけど、多種多様が伝染し合っているのは判る。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
怖がると寄ってくる。
逃げれば追いかけてくる。
追えば逃げる。
無関心だと消えてしまう。
この世の(片方の)仕組みだ。
ワシはズルイ。
この世がヒネクレている事を利用している。
だから積極的に闇にも入れる。
闇(病)なんて、撫でれば小さくなる。
心と同じだ。
心はグチャグチャの幻でできている。
心が清む、とは心が小さくなることだ。
心は、この世の仕組みと同じだと思う。
ある意味、この世は幻でもあるのだ。
病を可愛がる。
可愛がるとテレて小さくなる。
病は恥ずかしがり屋なのだ。
怖がると大きく出てくる。
逃げれば、追いかけてくる。
正面から抱いてあげようぜ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
病と同じ波動帯に入る。
そして病の波形と同調(シンクロ)する。
調和とは自然形に戻る事だ。
病の波形も本来に変わる。
つまり、病は消える、という事になる。
病は治すというより、消えるのだ。
病という波形は消えて、本来の波形が残る。
病の本来(自然)の波形。
当然何らかの作用がある。
病を超えて(自然に戻り)働く作用だ。
病の御蔭でその後の人生が(幸せに)変わる。
病は超える(消える)事で有効に働く。
病状が残っても、病は消えるのだ。
病の波形と同調する。
それは交流する事でもある。
双方に影響がある。
氣功側にも病の影響がある。
病の大きさと深さで流れ込む部分がある。
平たくいえば・・・
病を引き受ける部分がある。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
伝染する仕組みがある。
見える世界は「力」が作用する。
見えない世界は「波動帯」が作用する。
この氣功は「調和」が質になっている。
だから空間の近さと時間の多さで近づくのだ。
最初から「波動帯」が近い人もいる。
一瞬でも伝染する。
だが「波動帯」は一定の層だ。
一定の周波数の幅だ。
その中には逆の波形も含まれる。
だから、この氣功は病に有効となる。
一定の病の波動帯に入っていけるからだ。
そして波形を修正できるからだ。
「氣」の医療応用とは(多分)そういう仕組みだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
「氣」が出るようになっても変わらない。
一つには「氣」の感覚が判らないようだ。
無理もないさぁ。
追求して得た能力じゃない。
未知の感覚は追いかけなければ判り難いのだ。
せっかく氣功が出来ても、活かす事ができない。
だからいいのだ。
下手に利用すると苦しい目に合う。
ワシは他人相手にしないように言ってる。
氣功が出来てもモロモロに対処できるわけじゃない。
安全で本来の使い方で充分なのだ。
それは、自分自身に使う事なのだ。
こんなの珍しいわけじゃない。
自動車が乗れる、絵が描ける、と同じだ。
でも乗れても描けてもプロにはなれない。
プロは自分の存在を懸けるからプロなのだ。
プロきどりが一番危険なのだ。
乗れる、描けるのを愉しめれば充分だ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
(この)氣が出るようになる。
ある程度関わっているクライアント達。
当たり前に伝染している。
氣功が出来るようになった、ではない。
氣功が出る身体に変わったのだ。
氣功師になりたいクライアントではない。
だから、余計な力が入ってない。
この氣功は力を抜いた時に出てくる。
出るようになっても変わらぬ生活をしている。
氣功師になりたがる人の方が伝染し難いかも。
もちろん我家の家族は全員が氣がでる。
だからワシは何かあっても「自分でしろ」という。
かなり恵まれているはずなんだけど・・・
ワシの不徳のいたすところで、ちっとも有り難がらない。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
ある時、ワシとしては長い期間治療した人がいた。
転移ガンの人だった。
すると、いつも同じ部屋で新聞などを読んでいた夫に伝染した。
触っている本人ではなく、触らない配偶者に伝染した。
(ワシが近づくだけで咳き込み、手をかざすだけで痛がるので、
触れるようになるまで半年かかった珍しいクライアントだった)
伝染しても使わなければ消える。
ワシとの縁が切れれば消える。
ほとんどの伝染した人達がそうだ。
縁が繋がっている間は伝染している。
だから伝染病とは違う。
本体(磁石)と一時的同調体(鉄)なのだ。
(鉄も諸条件で磁石になれるけど・・・)
鉄が磁石になる条件。
幾つかの方法がある。
最初から磁石体質の人だっている。
普遍的なのは磁力を使い続ける事だろう。
毎日毎日使う。
どんな能力でも何とかなる。
ただし・・・「氣」が込っていれば、だが。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
故御師匠様から伝染したのだ。
弟子なら誰でも他へ伝染できると思っていた。
ところが、伝染できる人は少ない。
ワシは偶々諸条件が当てはまったらしい。
その多くは御先祖様達の御蔭のようだ。
自慢じゃないがワシは根性が無い。
謙遜じゃないが努力や精進するタイプでもない。
好きな事なら興味津々で取り組んでしまう。
興味を外れれば、力が出ない。
だから自慢にならんが、社会生活は苦手だ・・・。
伝染は自動的にするので、ワシの能力じゃない。
そういうものだと思っていた。
側にいれば伝染する。
触れる時間が多ければ伝染する。
誰にでも伝染するが、同じじゃない。
即簡な人とそうでない人がいる。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
故御師匠様が言ったのだ。
「氣功なんて伝染する」
だから、誰にでも伝染すると思っていた。
誰にでも伝染するといえば、する。
だが、言葉には深さがあるのだ。
どの深さまで理解しているか、が問題だ。
当時は表面しか理解してなかった。
13年後の今。
伝染病とは違うと思っている。
人から人へ、とは伝染らない。
例えるなら・・・磁石と鉄。
鉄から鉄へは伝染しない。
(少しなら・・・するようだ)
(磁石の)近くにいれば伝染する。
触っていれば伝染する。
だが氣功ができれば磁石というわけじゃない。
磁石に値する何かが無ければ伝染しない。
その何かは単に氣功の強弱じゃない。
磁石になる人は多くない。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
「氣」は伝染する。
「人の氣」あるいは「人を介した氣」も伝染する。
深浅は本人の同調度による。
通常は空間の近さと時間の長さに比例する。
もちろん例外もあるさぁ。
この世は例外があって成り立つ。
何でもアリ、の世界だ。
この世の成り立ちが「氣」だからだ。
氣は森羅万象の根元だ。
そして「氣」はイイカゲン(自由奔放)だからだ。
この世は元々、イイカゲンで成り立っている。
ある法則で成り立っている、と思えば法則のまま。
法則を外れた、と思えば法則を外れる。
律義というか、イイカゲンというか・・・
理も律もある、とすれば、ある。
だが、例外もあるのだ(少数派になるけど)。
圧倒的な理と少しの例外で成り立っている。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)