「遊・5」
人間にとって言葉は大きな力を持つ。
だから「間」が必要だ。
力には「間・遊び」が必要なのだ。
そうでないと、ロクな事をしない・・・。
マトモしか表現してない言葉。
正しさだけを表現する言葉。
それを推し、薦める人物。
無知か謀略か詐欺かは知らないが、
ワシは信頼しないし、出来ない。
「遊び」の無い言葉。
「遊び」の無い心。
「遊び」の無い人物。
相手をしようとは思わない。
(仕事(依頼)は別だぜ。
それで病になっている場合は多い)
言葉を愉しめるし、楽しめる。
心を愉しめる。
生き方を愉しめる。
そこには「遊び」が必ずある。
そこには「間・愛」があるもんだ。
役に立たない「遊び」。
役に立たない「間」。
だから大切な「やわらぎ」が生まれる。
立派なモノばかりで「苦しみ」になるのだ。
役に立たないワシのモノ。
「やわらかな」ワシのモノ。
老化現象なんて思ってはいけない・・・。
ワシの「愛」なのだ・・・。
本妻よ愛人達よ、大切にしようぜ・・・。
(って・・・それが言いたかったのかぁ・・・)
「間」は「余裕」だ。
余裕は余った(いらない)モノじゃないぞ。
裕(豊か)が余ったモノだ。
「愛」は「余裕」なんだぜ。
そして「余裕」は誰でもどんな状況でもある。
無いと思ってしまうと、生まれないだけだ。
食べるモノさえ厳しい奴隷でも作り出せる。
「余裕」は生きとし、生けるモノ全てにある。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
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