第十九章(7)
般若心経
「智恵」という言葉が小さな意味に誤解される。
頭が良くなければ使えないイメージがある。
頭が主体のイメージがある。
だが、ホンモノの智恵に頭は関係ない。
「幸せ」に成る、あるいは近づく方法や気づき。
それが「智恵」というものだ。
暮らしに密着しない智恵など、ニセモノなのだ。
人間には人間の暮らしがあり、ケモノにはケモノの暮らしがある。
それぞれが、暮らしの中で「幸せ」を見出す。
こういう基本的な事が判らないで「智恵」を語る。
だから「経」が曲がってしまう。
優れた般若心経も偏屈な解説になってしまう。
「空」がどうとか、「無」がどうとか・・・。
そんな言葉にこだわるからツマラン人生になるのさ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)