第二章(6)
観自在菩薩行深 般若波羅蜜多時
「観自在」は自分を観直す事じゃない。
自分を深く見つめる事でもない。
「自」が「在る」事を認めるだけでいい。
「在」が底にあるからといって、底までいかなくていい。
深く潜らなくてもいいのだ。
「行深」を「深く行をする」と訳すから間違う。
深く行こうとすると「力」が入る。
「更に力をぬいてごらん」と訳すのだぜ。
「冥想」は力を抜くこと。
だから、誰でもできるのだ。
「観自在(菩薩)行深」は誰でも出来る。
観音様という超スーパーウルトラマンが行ったのではない。
「観音様とはアンタ(観自在)の事だよ」
「アンタ(観自在)は普通に出来るんだよ」
ゲンちゃん(玄奘)は本文の最初にそう教えてくれている。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)