伊勢すずめのすずろある記

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伊勢市内の断層地形と活断層を再検討

2024年02月01日 | 随筆・雑感・回想など


宮川河床( 辻久留2丁目 )の中央構造線上の岩盤を切る断層群の露頭

 伊勢市内の活断層については、既にブログのバックナンバー( 2010年05月29日 / カテゴリー「伊勢」)に記しましたので、その記事にてご覧を頂けると思いますが、今年の元日に能登半島で、震度7( 気象庁の定める震度階級の最大震度 )の大地震が発生し、当地方一帯の市町村に甚大な被害を及ぼし、現在も中~小規模の浅発地震が余震として頻繁に続いている。
 気象庁は、毎日のニュースで、地震活動は徐々に収まって来ているが、ここ1~2週間程度は震度5強程度の地震の発生する可能性があると、繰り返し注意を呼びかけている。


津市の南が丘団地の造成中に露われた、安芸層群( 鮮新統 )の地層を切る逆断層


 果たしてそうだろうかと、日頃より他の地震学者らの発言を注視し拝聴していると、気象庁の発表する見解とには、かなりの温度差がみられる感じである。 そもそも能登半島一帯では、2~3年前から群発地震が多発しており、その震源域が徐々に浅くなって来ており、ここ1年程は複数の既知の活断層群に沿って線状に発生していた傾向を示していたにも拘わらず、志賀原発が立地しているせいか、政府の関係機関等も、日本海側〔 特に能登半島 〕の大地震の可能性については、「南海トラフ」のように繰り返し情報を発信していなかった。
 現在の地球科学では大地震の予知は出来ないとの理由や、群発地震の原因を地下の流体( 水や熱水など )の上昇と移動がその原因だとし、当地方が活断層の密集地帯である事を全く考慮せずに、立場上からも慎重になりすぎたのか、地域住民への注意を怠っていたように思われてなりません。


 地震予知は出来なくても、人体には感じない揺れの無感地震( 震度0の微動地震 )の多発は、今も減少傾向には無くずっと続いていると思われます。 能登半島から断続的に東方へと延びている佐渡西方沖の複数の活断層などが、今回の大地震では動いてなくても、例えるならば、先の大地震の地震波の影響で「震撼している」( かすかに震え揺れている )かもわりません。
 ここ2~3ヶ月の間に、連動してひずみエネルギーの解放が無ければ幸いなのですが、地域住民の方々は日頃より前兆現象( 宏観異常現象・まえぶれ )の観察に気を配り、自らが地学的な知識と防災意識を備えていなければ、他に手立ては無いのが現状です。
 「天気予報」のように当たりはずれもあるなどとの感覚で、他人任せに暮らしていては、今回の地震活動によるような生活圏の再度の被災は免れません。 自然界のこの地質現象は、「観天望気」のように予想が目には見えないのですから …。


中央構造線直南の地溝帯に形成された 「五桂池 ~ 栃ヶ池」 〔 断層地形 〕


 さて、我が伊勢市は、三重県の東紀州以南に甚大な被害を与えた終戦間際の東南海地震( 昭和19年に発生 )以来、大規模な地震災害には見舞われていないし、直下型の大地震などは全く発生していない。 江戸時代以前に遡っても、内陸の活断層の再活動による大地震も記録が見当たらない。
 しかし、市域に活断層が無い訳では無く、日本列島最大の活断層である「中央構造線」が市内のど真ん中を西南西から東北東にかけて、沖積地( 完新統 )の地下に潜在している。
 この中央構造線は、多気町丹生付近に複数個所その露頭があり、北方( 内帯側 )の領家変成帯の片麻岩や花崗岩類と、南方( 外帯側 )の三波川変成帯の千枚岩や結晶片岩類が、高角度の北傾斜の逆断層で接し、直線的な露頭界線を形成している。
 断層破砕帯も幅数10m以上に及び、副断層群を伴う「断層帯」を構成し、多気町の五桂池から栃ヶ池へかけての地溝帯を形成し、玉城町積良付近を経て宮川を横断し、やや北方に屈曲をしながら、伊勢市の市街地の地下へと続いている。 但し、玉城町以東では「潜在活断層」となっている。


中央構造線の露頭 ~ 伊勢自動車道の勢和インター( 多気郡多気町 )付近


 この中央構造線は、南北方向に並行して流下する五桂池付近の小谷群の流路の類似した地形の変形から、完新世の時代( 過去1万年程の期間 )になってから、左ズレの水平移動断層の様相を示し、地形図上での計測によると、中央構造線上の地形の屈曲した変位は、西方へ概ね80m程移動していることが判る。



 日本列島最大の活断層である「中央構造線」は、丹生から西方へは櫛田川の河谷に沿って高見峠に至り、その先は奈良県から和歌山県の紀ノ川沿いに西進し、紀伊水道をよぎり、四国の吉野川( 徳島県 )の河谷を形成し、新居浜付近を通って四国を縦断し、佐田岬半島( 愛媛県 )を経て、九州まで達している。
 この中央構造線の西端には阿蘇山があり、この阿蘇山の周辺に始まった中~小規模の浅発地震群の震源が、ここ数年来東進をし続け、どうも活動域が和歌山県にまで進ん出来たような感じがする。 さらに東進をし続ければ奈良県の山岳部を経て三重県へ、そしてついには伊勢市の市街地から伊勢湾へと移動するのではないかと、懸念される次第である。
 震源地が地下10km程度の場合、極く小規模な地震で済めばよいのだが …。 その前に第2東南海地震や第2南海地震が発生したり、中部国際空港付近の海底にある、「伊勢湾断層」( 活断層 )の再活動による直下型の大地震( 第2三河地震 )が発生すれば、もはやそれまでである。


西行谷( 伊勢市宇治館町 )に露われた 「朝熊ヶ岳断層」 の破砕帯


 かつて筆者は、学生時代の卒論を機会に、現職の頃に伊勢市の地質を調べた事がある。 その時に撮影した断層 ( 地質断層 ) や活断層の露頭の写真が出て来たので、その一部を紹介がてら掲載を致しました。


中央構造線直南の断層地形である、二見浦から続く鳥羽湾口の 「飛島島列」


 伊勢市内の活断層は、先の中央構造線の他、「朝熊ヶ岳断層」と地形のリニアメントから推定される「昼河山断層」( ひるごうやまだんそう・仮称 )があります。 前者は地形の変換点が明瞭で、山麓の風景として地形への反映が眺望されますが、その露頭は殆ど未確認です。
 後者は、伊勢市朝熊町北方の波状を呈する高度100m前後の山地を東進し、二見町の南方から池の浦湾を経て、鳥羽市の小浜半島中央の凹地( キレット状の小地溝 )までの伸長が読みとれます。
 その他、二見浦から鳥羽湾口へと続く「飛島島列」も、中央構造線に支配された直南の断層帯の沈水地形とされています。




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