二年目の和田です。
私は現在新人トレーナーなる役職に就いている。
それぞれの地元から出てきた18、19歳の大学一年生たち。
ボート部のことも大して知らないくせに、新歓で騙されたのかビビッときたのか(部活選びなんてどこでも一緒。そんなもんだ。)理由は何でもいいが、北海道大学漕艇部に今年入部した総勢24名。
そんな彼らは今、3ヶ月前に出会ったばかりの同期のみんなと、毎朝一生懸命に茨戸で漕ぎ、汗を流し、転覆している。
「トレーナー」として共に時間を過ごし、成長させていただいている私は、いつからか彼らがその手で成果を出すことを誰よりも願うようになった。
そんな中、新しく学ぶことがあった。
茨戸に関わるのは何も若者だけではないらしい。
理由は簡単で、ローイングというスポーツは年齢に関係しないからだ
先日、第47回朝日茨戸レガッタ反省会に参加させていただいた。
私はその大会で実況と懇親会の司会の両方を務めた。
大会運営に関わった方々のための反省会という名の打ち上げ。
札幌ボート協会会長をはじめ、理事長、ならびに大会実行委員長などそうそうたるメンバーが顔を合わせた。
平均年齢が50を超えるぐらいの面々の中、嬉しいことに私も混ぜていただけた。
会は大いに盛り上がり、余裕のある大人達の飲み方に痺れる私。
色々と貴重なお話が聞けたので、いくつか紹介しようと思う。
小樽商科大学漕艇部 谷津監督が大会のごとに選手たちに言っている言葉あるといってこう語った。
「漕ぐだけ」の身分でいることがどれほど幸せなのか、を分かって欲しいということだ。
私もこの短いボート人生の中では、漕ぐだけの人間であった期間の方がまだまだ長い。
大会本部にいることが無かった去年まで、裏で沢山の大人達がこの大会のために一年も前から動いていることなど私は知らなかった。
医学部ボート部や商大ボート部のマネージャーの方々が大会当日これだけ仕事をされているのだという事も知らなかった。
知る機会がなかった、と言えばそうかもしれないが、どちらかというと私は「知ろう」としていな
かったのだろう。
大会一つを取ってもいろいろな想いで成り立っているのだ。
だが、それは「恩」とか「借り」とかいうものではなく「愛」の類じゃないだろうか。
「漕ぐだけの身分」に引け目を感じる、なんていうのはお門違い。
「全力で謳歌してほしい、ただ、それが当たり前ではないということは忘れてはいけない。」
そういう意味で言ってらっしゃったのだと思う。
では、裏で大会を支える人の想いというのはどういうものなのだろうか。
札幌ボート協会理事長の亀山さんに「なんでいつも茨戸にいるんですか?」という、兼ねてから疑問だったことを尋ねてみた。
札幌ボート協会においての仕事なんて、ボランティアのようなものだと思うし、お金が稼げるわけでもないはずだ。
ならばなぜ、北大ボート部OBとはいえ、あんなにも茨戸と関わり、貢献していただけているのだろうか。
返ってきた答えは「現札幌ボート協会会長の中川さんや前任の会長の方のことを見てきたから」というシンプルでアツいものだった。
これは亀山さんと直接お話させてもらった私の特権であるので詳しくは話さないが、簡単に言えば茨戸に対する想いが受け継がれていっている、ということだ。
誤解して欲しくないのは、「沢山貢献しているから偉い」という事ではないという所だ。
あくまで、従事している仕事は「自分のやりたいこと」であり、自分の尊敬する人間の姿を見て、「手伝いたい」とか「そうなりたい」と思うなら止めようがないだろうーーーーという、ただそれだけのことなのだ。
大人になってもそんな形で茨戸と、ボートというスポーツと関わることができるのか。
そんな気付きがあった、なんとも貴重な反省会。。。。いや、飲み会だった。
紹介したのは少しだけだが、反省会や実行委員長の出家さんに連れてもらった二次会などで、他にも貴重なお話をたくさん聞けたのは言うまでもない。
明日も新人は一日中練習だ。
私もみっちり付き合う。
今、彼らは一体どのような思いでこの日々を乗り越えているのだろうか。
どんな想いをこれから受け継いでいくのだろうか。
そして二年目とはいえ仮にも先輩として、私は彼らに受け継がれていいような何かを持っているのだろうか。
また、彼らに「借り」としてのものではない、愛を注げているだろうか。
今の現役から、札幌ボート協会に関わる人間とか出るんだろうか。
なんてことを考える。
追記
ちなみに先週の木曜日、私の新トレの毛利淳英さんの誕生日でした。憧れの大先輩です。
遅ればせながら、お誕生日おめでとうございます!!!!!
私は現在新人トレーナーなる役職に就いている。
それぞれの地元から出てきた18、19歳の大学一年生たち。
ボート部のことも大して知らないくせに、新歓で騙されたのかビビッときたのか(部活選びなんてどこでも一緒。そんなもんだ。)理由は何でもいいが、北海道大学漕艇部に今年入部した総勢24名。
そんな彼らは今、3ヶ月前に出会ったばかりの同期のみんなと、毎朝一生懸命に茨戸で漕ぎ、汗を流し、転覆している。
「トレーナー」として共に時間を過ごし、成長させていただいている私は、いつからか彼らがその手で成果を出すことを誰よりも願うようになった。
そんな中、新しく学ぶことがあった。
茨戸に関わるのは何も若者だけではないらしい。
理由は簡単で、ローイングというスポーツは年齢に関係しないからだ
先日、第47回朝日茨戸レガッタ反省会に参加させていただいた。
私はその大会で実況と懇親会の司会の両方を務めた。
大会運営に関わった方々のための反省会という名の打ち上げ。
札幌ボート協会会長をはじめ、理事長、ならびに大会実行委員長などそうそうたるメンバーが顔を合わせた。
平均年齢が50を超えるぐらいの面々の中、嬉しいことに私も混ぜていただけた。
会は大いに盛り上がり、余裕のある大人達の飲み方に痺れる私。
色々と貴重なお話が聞けたので、いくつか紹介しようと思う。
小樽商科大学漕艇部 谷津監督が大会のごとに選手たちに言っている言葉あるといってこう語った。
「漕ぐだけ」の身分でいることがどれほど幸せなのか、を分かって欲しいということだ。
私もこの短いボート人生の中では、漕ぐだけの人間であった期間の方がまだまだ長い。
大会本部にいることが無かった去年まで、裏で沢山の大人達がこの大会のために一年も前から動いていることなど私は知らなかった。
医学部ボート部や商大ボート部のマネージャーの方々が大会当日これだけ仕事をされているのだという事も知らなかった。
知る機会がなかった、と言えばそうかもしれないが、どちらかというと私は「知ろう」としていな
かったのだろう。
大会一つを取ってもいろいろな想いで成り立っているのだ。
だが、それは「恩」とか「借り」とかいうものではなく「愛」の類じゃないだろうか。
「漕ぐだけの身分」に引け目を感じる、なんていうのはお門違い。
「全力で謳歌してほしい、ただ、それが当たり前ではないということは忘れてはいけない。」
そういう意味で言ってらっしゃったのだと思う。
では、裏で大会を支える人の想いというのはどういうものなのだろうか。
札幌ボート協会理事長の亀山さんに「なんでいつも茨戸にいるんですか?」という、兼ねてから疑問だったことを尋ねてみた。
札幌ボート協会においての仕事なんて、ボランティアのようなものだと思うし、お金が稼げるわけでもないはずだ。
ならばなぜ、北大ボート部OBとはいえ、あんなにも茨戸と関わり、貢献していただけているのだろうか。
返ってきた答えは「現札幌ボート協会会長の中川さんや前任の会長の方のことを見てきたから」というシンプルでアツいものだった。
これは亀山さんと直接お話させてもらった私の特権であるので詳しくは話さないが、簡単に言えば茨戸に対する想いが受け継がれていっている、ということだ。
誤解して欲しくないのは、「沢山貢献しているから偉い」という事ではないという所だ。
あくまで、従事している仕事は「自分のやりたいこと」であり、自分の尊敬する人間の姿を見て、「手伝いたい」とか「そうなりたい」と思うなら止めようがないだろうーーーーという、ただそれだけのことなのだ。
大人になってもそんな形で茨戸と、ボートというスポーツと関わることができるのか。
そんな気付きがあった、なんとも貴重な反省会。。。。いや、飲み会だった。
紹介したのは少しだけだが、反省会や実行委員長の出家さんに連れてもらった二次会などで、他にも貴重なお話をたくさん聞けたのは言うまでもない。
明日も新人は一日中練習だ。
私もみっちり付き合う。
今、彼らは一体どのような思いでこの日々を乗り越えているのだろうか。
どんな想いをこれから受け継いでいくのだろうか。
そして二年目とはいえ仮にも先輩として、私は彼らに受け継がれていいような何かを持っているのだろうか。
また、彼らに「借り」としてのものではない、愛を注げているだろうか。
今の現役から、札幌ボート協会に関わる人間とか出るんだろうか。
なんてことを考える。
追記
ちなみに先週の木曜日、私の新トレの毛利淳英さんの誕生日でした。憧れの大先輩です。
遅ればせながら、お誕生日おめでとうございます!!!!!