語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【本】和田誠の俳句(2) ~半自伝『五・七・五交遊録』~

2013年02月24日 | 詩歌
 和田誠が、俳句とそれに関わる交遊を通して、半生を振り返ったのが『五・七・五交遊録』。
 3部に分かたれる。

 (1)初めて作った6歳の句から、「我等が親戚句会」を通してみる両親や親戚、高校生時代の替え歌やパロディ、戦争で死と背中合わせの体験をした高校教師の魅力ある人間像、美大をへて就職後「話の特集」編集に加わるいきさつ、「話の特集句会」の発足と句会がらみで交遊した芸能人や芸術家たちの個性・・・・。

 (2)交遊した一人一人に捧げる挨拶句とともに、それぞれの思い出を語る。
 例えば、変哲小沢昭一に「ハモニカを吹く人の背や春茜」を捧げ、小沢変哲の本格的でいて時に諧謔味のある句「一芸で渡る金歯や濁酒」などを紹介しつつ、悼む。
 あるいは、眠女岸田今日子に「眠る人なほ眠らせし罌粟畑」を捧げ、童話が好きで童話ふうの句「妖怪のふりして並ぶ冬木立」「狼に出遭ひし森よ菫咲く」を紹介し、脳腫瘍で逝去したこの女優を惜しむ。

 (3)映画と俳句・・・・「海賊の旗の上なり星流る」。映画「真夜中まで」のロケ地で詠んだ句(「灰色の東京全図五月雨るる」)もあれば、白井佳夫・映画評論家に宛てた句もある(「あれがかの祗園太鼓よ宵祭」)。
 歌と俳句・・・・「隊商の天幕照らす星月夜」(Night and stars above that shine so bright./The mys'try of their fading light that shines upon our caravan.)
 Ⅲ部でもっとも興味深いのは、岳父の平野威馬雄の思い出と、その平野の句だ。思い出は、平野が戦後まもないころ、進駐軍の米兵と日本女性の間に生まれた「ハーフ」の面倒をよくみたこと、最晩年に娘の平野レミ(和田の妻)に外人墓地に入りたいと漏らし、平野威馬雄没後、彼の詩集にその希望を述べた詩句を発見したレミが奔走し、「遺言」が実現したこと。
 平野威馬雄は俳人でもあり、青栄居と号した。「初凪や一点徐々に鳥となる」「短日や石をオモリの置手紙」などを和田は本書に引く。

 要するに、和田にとって、俳句は孤高の芸術ではなかった。むしろ、人と交遊する際に潤滑油になるようなサムシングだった。だから、句会で席題を示されて想像し、創造したフィクションが多いし、その人をあらわす贈答句も多い。
 潤滑油は、父との関係においても働く。

   餅切るや父が得意の目分量
   戒名を拒否せし父に夏花(げばな)摘む

 前句はありのまま。後句はフィクション。和田の俳句は、虚実とりまぜ、しかも虚において却って人物像をよく彷彿させる佳句を紡ぎだす。さながら、その独特の似顔絵のように。だから、その俳句作品は、そしてかかる俳人の交友録は、読んで楽しい。

□和田誠『五・七・五交遊録』(白水社、2011.5)

 【参考】
【本】和田誠の俳句(1) ~『白い嘘』~
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