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語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【本】アカデミー賞 ~オスカーをめぐるエピソード~

2013年02月27日 | ノンフィクション
 (1)今季のアカデミー主演男優賞は、『リンカーン』のダニエル・マイケル・ブレイク・デイ=ルイスが受賞した。朝日紙によれば、<同賞受賞は3度目で、史上最多となる>【注】。
 しかし、これは主演男優賞について言えることだ。
 主演女優賞を4回受賞した女優がいる。『勝利の朝』『招かれざる客』『冬のライオン』『黄昏』で受賞したキャサリーン・ヘップバーンだ。
 このうち、『招かれざる客』以下の3本は60歳を過ぎてからの受賞だ。
 キャサリーンの凄いところは、受賞回数だけではない。
 生涯を通じて、なんと12回もノミネートされているが、一度も授賞式に出席していない。「大勢の人間の集まるところに行くのは嫌だから」だ。そもそもハリウッド・ライフが嫌いで、生活の本拠はニューヨークやコネティカット州だった。スカートを一切はかず、毛皮や宝石にも興味がなかった。パーティに出なかったし、インタビューもほとんど受けなかった。
 その彼女がただ一度、長年の友人であるプロデューサー、ローレンス・ワインガーテンが半世紀にわたる映画界への功績によって1973年度のアーヴィング・タールバーグ賞が授与される際、プレゼンターとして出席した。自分の受賞のときではなく、他人の受賞のときに姿をあらわしたのは、彼女らしい。初めて授賞式に姿を見せたケイトに対し、会場を埋め尽くしたスターたちは総立ちのスンタンディング・オヴェイションで敬意を表した、という。そして、「よかったわ。『今ごろのこのこやってきて!』と言われなくて」と短くスピーチし、タールバーグ賞を旧友に渡してプレゼンターの役割を終えると、さっと裏口から姿を消し、リムジンに乗り込んだ。会場での“滞在時間”は15分だった。

 (2)川本三郎『アカデミー賞』には、こうしたエピソードが満載されている。
 映画好きには、こたえられない本だ。

 (3)米国映画界のエピソードを通じて浮かび上がってくるのは、米国の大衆社会だ。
 一方では、作品の質や演技の質ではなく、映画会社のお偉方の意向で受賞対象がカネの権力がある。
 あるいは、病気による同情票がオスカーの行方を左右する付和雷同性さもある。<例>主演女優賞を受賞したエリザベステーラー、『バタフィールド8』。
 他方、大衆の健全さも示される。「オスカー・ハンター」による金にあかせた宣伝になびかず、事前運動をほとんど行わなかったウォーレン・ビューティ(『レッズ』)を監督賞に選んだ良識がある。
 あるいは、マッカーシーによりパージされたドルトン・トランボが、筆名で『黒い牡牛』や『ローマの休日』で脚本賞を獲得した。誰が書いたかはカッコにくくったうえで、作品そのもので評価する良きアメリカがそこにある。

 (4)「名スピーチ」と題される末尾の章がおもしろい。
 『キャット・バルー』(1965年)の殺し屋と飲んだくれのガンマンの二役で主演男優賞を受賞したリー・マーヴィンは、「この賞の半分はあいつ(馬)のものだ」と語った。
 『カッコーの巣の上で』(1975年)の冷酷な、憎々しいばかりの看護師役で主演女優賞を受賞したルイーズ・フレッチャーは、「受賞できたのはみなさんが私のことを憎んで下さったからです。憎まれるのって大好き」と言った。ルイーズは、このとき「両親に感謝する」というスピーチをアラバマ州の自宅でテレビを見ている聴覚障害者の両親に手話を交えて行い、会場の喝采を受けた。
 『愛は静けさの中に』(1986年)で主演女優賞を受賞したマーリー・マトリンも聴覚障害者で、手話で受賞スピーチした。

 【注】記事「アカデミー作品賞に「アルゴ」 監督賞にはアン・リー」(2013年2月25日付け朝日新聞)

□川本三郎『アカデミー賞 ~オスカーをめぐる26のエピソード~』(中公新書、1990。後に『アカデミー賞 ~オスカーをめぐるエピソード~』、中公文庫、2004.2)
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