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語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【医療】インドから拡がる多剤耐性菌 ~医療ツーリズムがもたらす危険~

2013年02月15日 | 社会
 (1)ニューデリーからその衛星都市グルガオンまで、高速道路を使えば10分で着く。そこにあるメダンタ病院は、海外からの患者で溢れる。
 メダンタ病院は、17haもの複合施設で、世界的に有名な外科医たちを配し、病床数は1,000床、手術室は45室も備える。顧客は、中東、アジア、アフリカ、南北アメリカなどからやってくる。
 心臓の外科手術は、5,000ドル以下で行われる。米国の5分の1以下の料金だ。格安の理由は、安い人件費だけではない。欧米の医療における「無駄」を省いているからだ。薬の処方から専門医の教育まで、保健衛生分野は管理が限定されていたり、そもそも存在しなかっりする。

 (2)米国では医療費が高騰し、欧州の一部の国では治療を受けるまでの待ち時間が延び続けた。美容外科の需要も、うなぎ登りだ。ために、西欧の患者たちも、迅速かつ廉価な治療も求めて新興国へ赴くようになった。かかる医療ツーリズムの売上げは、世界全体で450億ユーロにものぼると試算されている。

 (3)インド国民の多くが基本的な医療給付すら受けられない中、外国人に高度医療を提供することに対して、いくつかの疑念の声があがっている。
 インドが医療費に費やす予算は、国民総生産のわずか1%ほど。世界的に見て、最も低水準の国だ。その結果、適切なワクチン接種を受け等得る子どもは全体の半数にも満たない。治療可能な結核、避けられるはずの下痢などで落命する国民は、年間100万人にも及ぶ。医療費は人々の死活問題となっていて、毎年4,000万人ほどの人々を貧困に落としめている。

 (4)ところで、メダンタ病院などで医療を受ける患者は、最新技術の恩恵に与る。だが、同時に、術後の感染症を防ぐため、最も適した抗生物質をも投与される、すると、上下水道はそうした営為の残滓で溢れかえり、病原菌の変異が促されてしまう。抗生物質への耐性を持つようになるのだ。
 2011年、ニューデリー市内の病院において、新種の耐性菌が発見された。現行の抗生物質はどれも効かず、最後の手段として静脈注射で投与するものすら効果がなかった。その「スーパー細菌」は、発見された場所の名をとってニューデリー・メタロベータラクタマーゼ(NDM-1)と呼ばれる耐性遺伝子を持っている。きわめて不完全ながらも効き目のあるのはわずか2つの抗生物質だけで、開発中の薬も事実上存在しない。医学会は、すっかりパニックに陥った。
 鳥インフルエンザ、テング熱、チクングニヤ熱・・・・伝染病は、人間と同じ手段で旅をする。
 多剤耐性菌は、今や世界的な問題となっている。
 2008年、NDM-1産生菌の初の感染が判明した。直前にインドで治療を受けたスウェーデン人の患者が発症した。
 2009年、英国の医療当局は、インドやパキスタンで入院中の複数の患者がNDM-1産生菌に感染している、と警戒を呼びかけた。
 2010年、米国で3件の感染例が報告された。やはりインドで治療を受けた患者たちだった。
 以来、NDM-1産生菌は35ヵ国で報告されている。インドへの旅行者であるケースが多い。また、インド亞大陸に滞在したことがない個人を保菌者とし、より広範囲に拡がり始めたことも知られている。

 (5)きわめて急激な感染拡大のおそれがあるのは、当のインドにおいてだ。NDM-1の遺伝子を持つ菌の多くは、衛生設備のない環境で繁殖し、宿主から宿主へと、汚れた水や食物を通じて移っていく。
 インドの浄化設備の多くは貧弱だ。
 2011年4月、首都の飲料水や水たまりで採取したサンプルから、NDM-1産生菌が検出された。菌は、すでに貯水池や土壌を汚染している。1億人から2億人のインド国民がすでに保菌者になっている、という推定もある。熱帯性気候も、その繁殖を促す要因だ。気温の上昇と洪水により、雨期には感染の危険がいっそう高まる。
 貧困層の医療の改善や院内衛生の充実、より適切な抗生物質の使用などを通じて、脅威を抑えることは可能だ。
 だが、数年に及ぶ急激な経済成長で受け付けられた国民的な自尊心がそれを阻害している。政治指導者や関係当局は、この保健衛生問題を否認し、「インドの医療ツーリズムを脆弱化させようとする陰謀」に加担している、と研究者たちを非難している。

 (6)現時点において、NDM-1産生菌への対応に大きな進歩は期待できない。少なくとも、世界の富裕層がメダンタその他の病院の革製ソファに押し寄せる限りは。

□ソニア・シャー(嶋崎正樹・訳)「医療ツーリズムと病原菌」(「世界」2013年3月号)
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