語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『医師はなぜ安楽死に手を貸すか』

2010年02月01日 | 医療・保健・福祉・介護
 著者は、エール大学医学部外科学教授、ガン治療専門医である。

 現代医学のおかげで人々は長生きするようになった。
 その一方では、人生の終末期に耐えがたい苦痛を味わうようになった。
 不治の病(ことにガン)のため、じわじわと苦しめられ、時として激痛さえあじわう。寝起きはままならず、排尿さえコントロールできない。
 長期間の療養のため、社会的地位はうしなわれ、人間関係は希薄になる。
 家族の精神的負担は大きく、(ことに合衆国では)医療費の負担額は膨大になる。

 のこる命が数日間あるいは数週間の場合、そのあいだに得られる喜びにくらべて、こうむる苦しみと苦痛のほうが格段に大きいと予想されることがある。こうした場合、QOL(生活の質)と尊厳を保って死を迎えたい、と願う患者がいる。
 この願いにこたえるのが、本書でいう安楽死である。

 安楽死は本人あるいは家族が行うよりも医師が行うほうが安全だ・・・・そうみる立場から、著者は、「医師の手を借りた安楽死」ができる政策を提言する。

 提言の論拠として、ガンにより亡くなった著者自身の父親をはじめとする患者たち30人の声を引き、合理的自殺に関する考察を行う。
 また、医師や国民の意見調査を援用し、医師が現実に安楽死に関わっている実態をしめす。
 さらに、1970年代に安楽死を合法化したオランダの実験について考察している。

 患者がみずから死期を定める自己決定権の保障、しかも医師による保障には、反対意見も多い。
 著者は、慎重にも、反対意見をきちんと紹介する。なかんずく「第5章 医師の懸念」「第6章 国民の懸念-悪用と危険な坂道」において、反対意見を集中的にとりあげ、併せてこれに対する著者の見方を率直につづる。

 医師が安楽死に手を貸したがらない最大の理由は、違法であることだ。
 だが、法は社会の意識とともに変化する。
 オレゴン州尊厳死法(1994年)は住民投票によって成立した。
 連邦裁判所における判例も、少しずつ容認の方向へ変わってきた。つまるところ、「患者の訴えが医師や政府を動かす」のだ。

□チャールズ・F・マッカーン(杉谷浩子訳) 『医師はなぜ安楽死に手を貸すか』(中央書院、2000)
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