語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『現代フィリピンを知るための60章』

2010年12月16日 | 社会
 フィリピンは、日本に近くて遠い国である。距離は近いが、入ってくる情報は合衆国やヨーロッパにくらべて格段に乏しいからである。
 さいわい、本書が刊行された。「地球の歩き方」ふうの旅行案内や単なる体験談とは一線を画する。59のテーマに各分野の専門家が肉迫する。高所からする啓蒙的解説もあるが、総じてこの国に生きる民と同じ視座に立って移りゆく社会相を追っている。
 59の各章は独立しているが、相互に有機的関連をもち、全体は5つのテーマに大別される。すなわち歴史、社会と文化、政治、経済、国際関係である。通読すれば、現代フィリピンの全貌が浮き彫りにされるしくみである。最終章の第60章は、参考文献の紹介である。
 フィリピンという鏡によって日本を見つめなおした一例が第11章で紹介されている。ユング学者の河合隼雄は、欧米との比較から日本は母性原理にもとづく社会である、とかつて喝破した。しかし、フィリピン滞在後、フィリピンこそ母性社会であり、日本の社会は母性と父性の「中間構造」である、と理論を修正したのである。
 かくて、読者は、本書を通じてフィリピンと日本の双方について認識を新たにすることができるだろう。
 苦言を一つ。本書は現代フィリピン入門として格好なのだが、惜しむらくはこの手の本に必須の索引を欠いている。年表もない。フィリピン全図はあるが、あまりにもおおまかすぎて、本文に出てくる土地を確かめようとしても、載っていない場合が多い。改版の際には工夫してもらいたい。

□大野拓司、寺田勇文編著『現代フィリピンを知るための60章』(明石書店、2001)
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【大岡昇平ノート】丸谷才一の、女人救済といふ日本文学の伝統

2010年12月15日 | ●大岡昇平
 丸谷才一は、『星のあひびき』所収の「わたしと小説」で次のようにいう。
 「近代日本文学は、小説中心であるとよく言われる。代表的な文学者を三人あげるなら、夏目漱石、谷崎潤一郎および大岡昇平だ」

 同じく『星のあひびき』所収の「女人救済といふ日本文学の伝統」で、「戦後日本最高の作家は、やはり大岡昇平なのではないか」と書き出す。以下、その要旨。初出は、2009年3月8日付け毎日新聞である。

   *

 「群像」誌は、二度にわたって戦後の秀作についてアンケートをとった。どちらも一位は『野火』だった。
 丸谷才一/三浦雅士/鹿島茂『文学全集を立ちあげる』の巻立てでは、漱石3巻、谷崎3巻、鴎外3巻、大岡2巻となった。戦後作家で2巻は、大岡だけだ。「この作家の高い評価はほぼ確立したやうに見受けられる」

 このたび、何回目かに読み返し、またしてもその偉容に打たれた。
 (1)かつてクリスチャンであった結核病みの若い知識人である敗残兵、という設定が必要にして十分である。余分な線が邪魔をしていないし、要るものだけはしっかり揃っている。これが長めの中編小説ないし短めの長編小説に幸いした。
 (2)敗兵による人肉食いという題材が強烈である。それは、信仰の薄い日本の知識人にふたたび神を意識させる力をよく備えている。巧みな話術によって筋が展開される。なかんずく緩急自在な時間の処理がすばらしい。
 (3)文体がこの主題に適切である。しかも美しい。明治訳聖書の系統を引く欧文脈の文章は、主人公の人となりにもキリスト教的な雰囲気にもふさわしい。この文体美は、わが文芸批評がなおざりにしがちな要素なので、強調しておきたい。

 末尾、キリスト教的信仰への復帰が狂人によってなされる。このせいで、意味が曖昧になる。難があるとすれば、この点だ。
 しかし、これもわが近代の知識人の精神風俗を写すのに向いていた、と見ることができるだろう。
 
 とにかく、丸谷は今回もまた深い感銘を受けた。
 第一次大戦は、ハシェク『勇敢なる兵士シュベイク』のほかさしたる戦争小説を生まなかった。他方、第二次大戦はノーマン・メイラー『裸者と死者』、J・G・バラード『太陽の帝国』、そして『野火』を生んだのである。

 大岡の長編小説からもう一つ選ぶとすれば、『花影』だ。丸谷のいわゆる新花柳小説に属する。
 哀れ深い名編だが、発表当時の反響には納得できないものがかなりあった。女主人公の描き方が冷酷だ、作者が自分を甘やかしている、誰それに迷惑をかける、云々。『花影』をモデル小説と見なし、そんなことをしきりに言ったのである。文学の専門家およびその周辺にいる人々のかかる反応は、素人っぽくて滑稽だった。
 『花影』は、女の流転の姿を描いた名編である。女主人公への愛情にみちている。読んでいて、まことに切ないが、読後に一種のカタルシスが訪れる。これは多分、日本伝来の女人往生の物語なのだろう。
 『野火』におけるキリスト教への関心といい、『花影』の女人救済といい、大岡には意外に宗教的なものへの思慕があるのかもしれない。

 大岡が短編小説の名手であったことを言い落としてはならない。大正文学と鴎外訳『諸国物語』で育った人だから、この領域に通じている。音楽に親しむことで、形式美の感覚がさらに磨かれた。
 まず指を屈するのは、「黒髪」だ。これも流転の女の半生を叙したものだ。配するに京都の地誌をもってし、水のイメージをあしらって様式美に富む。艶麗にして哀愁にみちている。
 「逆杉」も忘れがたい。尾崎紅葉『金色夜叉』の跡を追って塩原に旅した小説家が、密通者と覚しき男女を見かける話だ。文学論、小説論をまじえながらの叙事は楽しく、紅葉の文語体と張り合う大岡の口語体はしなやかで強い。清新にして見事である。文体の見本帖でもある異色作だ。
 もうひとつ、『ハムレット日記』。批評家的才能と作家的才能の組合せとしても、政治への関心の表現としてもおもしろい。志賀直哉、小林秀雄、太宰治など、『ハムレット』に材をとった文学者は多いが、彼らのなかでもっとも知的なのは大岡である。オフィーリアに対する哀憐の思いのもっとも深いのも彼であった。

【参考】丸谷才一「女人救済といふ日本文学の伝統 -大岡昇平『野火』『『花影』』『ハムレット日記』『黒髪』『逆杉』-」(『星のあひびき』、集英社、2010、所収)
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【読書余滴】ヒトの行動の思いがけない理由 ~行動分析学入門(1)~

2010年12月13日 | 心理


【事例1】
(1)行動分析学を講義する著者の授業を履修している女子学生Xは、高校生の弟IP、両親の4人家族である。この一家は、冬はこたつで朝食をとる。IPは、いつもこたつに左手をつっこんで、右手だけで食事する。見苦しいので、親は当然注意する。注意されると、IPは両手で食事し始めるのだが、しばらくするとまた左手をこたつに入れ、片手だけで食べるようになる。親は、また注意する。また左手をこたつから出す。そのうちにまた片手になる。その繰り返しである。これが毎日続く。
(2)IPはなぜ右手だけで食事するのか。親の出した結論は、「行儀が悪い」から、「だらしがない」から、というものであった。
(3)Xは、結論を出す前に、朝食時のIPを毎日観察した。そして、気づいた。この一家の各自が座る位置は、決まっている。IPの座席は、ドアにもっとも近い位置である。ドアの向こうには寒い廊下がある。ドアはIPの左側にある。どの家庭でもそうだが、朝食時はあわただしい。頻繁にドアが開閉される。そのつど、冷たい空気が廊下から部屋に流入する。冷たい空気は、IPの体にまともに当たる。それも左半身から。
(4)Xは、温度計で、家族各自の座席の室温を測定してみた。他の3人の座席と異なり、IPのそれだけ2度低かった。
(5)Xは、IPが寒いから、殊に左半身が寒いから左手をこたつに入れるのではないか、と推定した。
(6)Xは、家族に何も明かさずに、観察した。IPが食事中に両手で食べている時間が合計して何分間あったかを測定した。併せて、1回の食事時間も測定した。4日間観察を続けたところ、、食事時間の20%しか両手で食べていなかった。
(7)寒いから左手をこたつに入れるのであれば、寒くなければ両手で食事するはずだ。そこで、Xは、ストーブをIPの左側、つまりドアとIPとの間に移動させてみた。そして、両手で食事する時間を測定した。すると、常時両手で食事するのであった。
(8)Xは、ストーブをIPの左側から撤去し、元の位置に戻してみた。すると、IPはまた片手で食べ始めた。
(9)Xは、再びストーブをIPの左側に移動させてみた。IPは、再び両手で食事した。

 (1)は、ヒトの行動の問題点である。
 (2)は、「概念的説明」または「心的な説明」であり、行動分析学の学祖B.F.スキナーの忌避するものである。
 (3)および(4)は、一定の観点からする目的をもった観察である。
 (5)は、行動の原因の推定であり、仮説を設定する段階である。
 (6)は、仮説に基づく観察の段階である((6)までは「ベースライン」)。
 (7)は、新しい条件を設けて実験する段階である(「介入」)。
 (8)は、実験の第二段階である。両手で食べるという行動が室温以外に起因する条件(例えば、たまたまその日にIPの彼女が「行儀が悪い」と非難した)を排除する作業である。
 (9)は、実験の第三段階である。ここに至って、対象となった行動(両手で食べる)と行動の原因(室温)との蓋然性がそれ以前よりも高まった。行動の改善という所期の目的が達成可能になった。

【参考】杉山尚子『行動分析学入門 -ヒトの行動の思いがけない理由-』(集英社新書、2005)

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【読書余滴】野口悠紀雄の、中国抜きのTPPは輸出産業にも問題 ~「超」整理日記No.541~

2010年12月12日 | ●野口悠紀雄
(1)TPPは輸出産業にとって本当に望ましいか
 TPP(環太平洋経済連携協定)問題は農業保護と貿易自由化のかねあいである、と一般には考えられている。
 農業問題は重要だが、ここではさて措き、TPPによる関税引き下げは輸出産業にとってほんとうに望ましいのか。
 貿易自由化の観点に立つと、関税同盟は必ずしも正当化できるものではない(ヴァイナーなどの経済学者による1950年代の議論の結論)。

(2)FTAの問題点
 TPPは、FTA(自由貿易協定)の拡大版だ。そこで、ここではFTAの問題点をみる。
 FTAが締結されると、協定国との貿易はFTAがない場合に比べて増大する。しかし、二国間協定であるために、協定国以外の国との貿易が阻害される可能性がある。
 例・・・・日本がタイとFTAを結ぶが、中国とは結ばない、と仮定する。すると、タイに進出した日本の現地工場は、日本から部品を関税なしで輸入できる。生産コストの引き下げができる。よって、日本とタイとの貿易は増えるだろう。しかし、中国の現地工場は、こうした利益を享受できない。したがって、本来は中国への部品の輸出を増やすべきなのだが、これは実現しない。
 つまり、タイとのFTAがない場合に比べて、中国との貿易が減少する。これが問題なのだ。中国との貿易を増やすのが望ましい、と言っているのではない。中国の現地生産のほうがタイの現地生産より効率的に行える可能性があるにもかかわらず、中国とタイの関税の相対的関係が歪んでしまうために、最適な生産配分が達成できなくなる可能性があるのだ。この攪乱効果は、「貿易転換効果」と呼ばれる。

(3)今提案されているTPPの問題点
 TPPは多国間協定なのだが、やはりFTAと同様な問題が生じる。
 今提案されているTPPでは中国が入っていないため、(2)の例と同じ問題が生じる。つまり、中国との貿易は阻害されるだろう。
 中国は、今や日本にとって最大の貿易国であり、中国抜きの経済活動は考えられない。中国を排除した協定が日本にとっていかなる意味をもつか、慎重に考えるべき問題だ。
 この問題を避けるには、中国も協定に入れる必要がある。しかし、仮にそれが実現しても、協定に入っていない国は残っているので、やはり問題が生じる。

(4)セカンド・ベストは状況を悪化させることも
 結局のところ、全世界がWTO(世界貿易機関)を通じて関税引き下げを行わなければ問題は、解決されない。
 WTOを通じた関税引き下げはファースト・ベストで、FTAはセカンド・ベストだが、セカンド・ベストでも状況は現状より改善される・・・・とFTA推進論者は主張する。
 しかし、関税同盟の議論は、セカンド・ベストは必ずしも改善にならず、かえって事態を悪化させることもある、と指摘しているのだ。

(5)協定非参加国の立場からすると迷惑
 (1)~(4)は、協定参加国の立場からする経済的な側面の議論である。
 協定非参加国の立場からすれば、関税同盟が迷惑なことは明らかだ。例えば、韓国が米国とFTAを結ぶと、米国との貿易において日本は韓国に比べて不利な立場に置かれる。
 今回のTPPについても、中国の排除は中国からすると大きな問題だ。世界第二の経済大国を排除する同盟関係作りは、政治的にみても得策ではない。
 交渉の経緯も、いささか奇妙だ。もともとシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランド間の協定として2006年に発足したものだ。そこに米国が突然入ってきた。結果として、中国を排除する経済圏が太平洋圏につくられることになる。今回のTPPに参加する可能性のある国の経済規模からして、事実上は日米間のFTAだ。

(6)農産物の関税撤廃
 TPPに対して懐疑的な(1)~(5)の議論は、国内農業保護の立場からするものではない。
 農産物の関税撤廃に、野口は大賛成だ。農産物輸入に係る高い関税は、国際的にみて高い食糧価格をもたらした。日本のエンゲル係数は、先進国のなかでは異常に高い。家計の犠牲において、日本の農業が成立しているのである。
 しかも、こうした手厚い保護によっても日本の農業の生産性は上昇していない。むしろ生産性向上のインセンティブが失われ、農業生産性は低下した。
 TPPが農業の自由化を進めるためのショックになるのであれば、この点に限ってはTPPに積極的な意義を認めうる。

【参考】野口悠紀雄「中国抜きのTPPは輸出産業にも問題 ~「超」整理日記No.541~」(「週刊ダイヤモンド」2010年12月18日号所収)

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【読書余滴】井筒俊彦の、芭蕉・リルケ・マラルメの「本質」論的分析 ~東洋哲学の共時的構造化~

2010年12月11日 | 批評・思想


 イスラム哲学の術語に、「本質」は二つある。マーヒーヤとフウィーヤである。
 前者は普遍的(一般的)本質であり、自己同一性を規定する。後者は個別的(特殊的)本質であり、一切の言語化と概念化を峻拒する。両者は共に存在者の「本質」である。あらゆる事物には、この二つの次元の異なる「本質」が認められる。

 「『松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ』と門弟に教えた芭蕉は、『本質』論の見地からすれば、事物の普遍的『本質』、マーヒーヤ、の実在を信じる人であった。だが、この普遍的『本質』を普遍的実在のままではなく、個物の個別的実在性として直感すべきことを彼は説いた。言いかえれば、マーヒーヤのフウィーヤへの転換を問題とした。マーヒーヤが突如としてフウィーヤに転成する瞬間がある。この『本質』の次元転換の微妙な瞬間が間髪を容れず指摘言語に結晶する。俳句とは、芭蕉にとって、実存的緊迫に充ちたこの瞬間のポエジーであった」

 一々の存在者をして、そのものたらしめているマーヒーヤを、芭蕉は連歌的伝統の術語を使って「本情」と呼んだ。千変万化してやまぬ天地自然の宇宙的存在流動の奥に、万代不易な実在を彼は悟った。
 本情とは、個々の存在者に内在する永遠不易の普遍的「本質」だ。内在するといっても、花は花という『古今』的「本質」のように、事物の感覚的表層に露わに見える普遍者ではない。事物の存在深層に隠れた「本質」である。
 「物と我と二つになりて」・・・・つまり、主体客体が二極分裂し、その主体が自己に対立するものとして客観的に外から眺めることのできるような存在次元を仮に存在表層と呼ぶ。この存在表層を越えた、認識論的二極分裂以前の根源的存在次元が、芭蕉の見た存在深層である。 
 このように、本来的に存在深層にひそむ「本情」は、登園、表層意識では絶対に捉えられない。つまり、普通の形での「・・・・の意識」の「・・・・」にはにはなりえない。「・・・・の意識」とは、二極分裂的自我意識だからである。モノの「本情」に直接触れるためには、「・・・・の意識」そのものの内的機構に、ある根本的な変質が起こらなければならない。この変質を、芭蕉は一見すこぶる簡単な言葉で表現する。「私意をはなれる」と。私意を離れて、つまり二極分裂的でない主体としてモノを見るのだ。
 このような方向に自己を絶えず美的に修練していくことが、すなわち芭蕉のいわゆる「をのれが心をせめて、物の実(まこと)しる事」(『許六離別ノ詞』)だった。芭蕉のいわゆる「風雅の誠」である。

 しかし、かかる美的修練を積んで存在深層を垣間見ることのできるようになった人にも、あらゆるモノの「本情」が常住不断に露わになっている、とは芭蕉は考えなかった。経験的世界に生きる/生きなければならぬ存在者として、人は普段は「・・・・の意識」で事物に接している。ただ、「内をつねに勤めて物に応」じる特別の修練を経た人、すなわち「風雅に情(こころ)ある人」、の実体験として、モノを前にして突然「・・・・の意識」が消える瞬間があるのだ。そういう瞬間にモノの「本情」がチラッと光る。「物の見えたる光」だ。一瞬のひらめく存在開示だ。
 人がモノに出会う。異常な緊張としてのこの出会いの瞬間、人とモノとの間に一つの実存的磁場が現成する。その場(フィールド)の中心に人の「・・・・の意識」は消え、モノの「本情」が自己を開示する。
 この実存的出来事を、芭蕉は「物に入りて、その微の顕れ」る、という。「物に入る」と、人の側においては、モノが「・・・・の意識」の対象ではなくなる。二極分裂的意識主体が消去する。「その微が顕れる」と、モノの側では、それの「微」、すなわち普通は存在の深部に奥深く隠れひそんで目に見えぬ「本情」が自らを顕す。この時、そこに自己を開示するものは「本情」だ。すなわち普遍的「本質」だ。
 この永遠不変の「本質」が、芭蕉的実存体験においては、突然、瞬間的に、生々しい感覚性に変成して現れる。普遍者が、瞬間的に自己を感覚化するのだ。そして、この感覚的なものが、その時、その場におけるそのモノの個体的リアリティなのである。人とモノとの、ただ一回かぎりの、緊迫した実存的邂逅の場(フィールド)のなかで、マーヒーヤがフウィーヤに変貌する。だが、すべては一瞬の出来事にすぎない。だから、「物の見えたる光、いまだ心に消えざる中(うち)にいひとむべし」。「その境に入って、物のさめざるうちに取りて姿を究」めなければならない。 

 以上、もっぱら服部土芳『赤冊子』に依拠して、芭蕉の詩論と思われるものを「本質」論的に分析してみた。
 存在の真相を徹底的に掴もうという情熱に憑かれた詩人たちの思想から、哲学的「本質」論が学ぶべきことは、当然、多い。
 芭蕉は、不変不動のマーヒーヤの形而上的実在性を認める。ただ、マーヒーヤをそのまま存在の深層次元に探ろうとするかわりに、それが感性的表層に生起してフウィーヤに変成する、まさにその瞬間にそれを捉えようとする。存在の真相をマーヒーヤ、フウィーヤの力動的な転換点に直観しようとする。

 これに対して、同じく存在の真相を探る詩人でも、個別存在者のフウィーヤだけに意識の焦点を合わせ、ひたすらその方向に存在の真相を追求していく人もいる。リルケのように。この型の詩人にとっては、マーヒーヤは始めから概念的虚構であって、なんら実在性をもたない。
 リルケの「即物的直視」は、ただ事物の個体的リアリティを、その究極的個体性において直視するにとどまる。

 芭蕉とリルケは、「即物直視」を事とする詩人の二つの型だ。
 これとは別に、同じく存在の意識体験的な真相開明に執拗な情熱を抱きながらも、一切の「即物的直視」を排除し、マーヒーヤをそのイデア的純粋性においてのみ直視しようとする詩人もいる。そのきわめて顕著な例はマラルメだ。
 マラルメのようなイデア追求型の詩人の普遍的直感は、哲学の領域では、普遍的「本質」の実在論に直結するのである。

   *

 以上、参考文献の主としてpp.57-61に拠る。

【参考】井筒俊彦『意識と本質』(岩波文庫、1991)

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書評:『60億人の地球家族』

2010年12月10日 | 社会
 世界各国の子どもたち37ケースが5つのテーマの下に紹介される。テーマは、貧困、戦争、家族、挑戦、夢である。
 第1章「貧困」では、航空機の車輪格納庫に密航をくわだてて凍死した14歳と15歳の少年二人(ギアナ)から、町工場で11時間働いて家計を助ける12歳の少年(イラン)まで。
 第2章「戦争」では、スマトラ島北端のアチェ特別州でゲリラ活動に挺身する14歳の少女(インドネシア)から、1999年10月、世界で60億人目に生まれた赤ちゃんオグニェン(セルビア)まで。
 第3章「家族」では・・・・いや、列挙するときりがない。世界人口の3分の1は子どもなのだから。たまたまこの本に登場することになった少年少女は、浜の真砂の一粒にすぎない。とはいえ、彼または彼女は特殊な例ではない。その置かれている立場を同じくする子どもも、浜の真砂ほどいる。
 たとえば先に引いたギアナの少年の一人ヤギンに即して言えば、食事をとらない日もある極貧生活は、ギアナの子どもたち、さらに国境を越えた他の国にも見出すことができる。
 インドの首都デリーで働く40万人の子どももそうだ。その多くは虐待や貧困などの理由で路上生活を送るにいたった。くず拾いで一日40ルピー(約96円)を稼ぎ、餓えをしのぐ。
 幸い、デリーでは支援組織がある。1991年に設立された子ども労働組合がそれで、組合員のうちには貯金して通信教育を受けようとする子どももいる。
 ギアナの少年ヤギンにも向学心があった。中学校の成績は良好、密航も欧州で学ぶのが目的だったらしい。フランスには、ヤギンの生別した母が暮らしていた。この悲惨な事件に救いがあるとすれば、自分が置かれた社会的条件を乗り越えようとした意志である。
 子どものもつ可能性は、恵まれた社会的条件の中では、大きく開花する。たとえば迷惑メール排除の会社を起こしたキャメロット・ジョンソン、15歳。あるいは人気ソフトを制作して1億円相当の資産を得たリシ・バート、16歳。いずれも米国の話である。
 所与の社会的条件に流されず、可能性へ挑戦する姿勢は、多かれ少なかれ本書の登場人物すべてに共通する。重く暗い現実を多数報告するにもかかわらず、本書がふしぎと明るい読後感を残すのは、そのせいだろう。
 日本でも採用が検討されてよい制度や事業もいくつか紹介されている。たとえば、被告人も陪審員も十代の「少年法廷」(米国)。全米に650か所あり、十代の犯罪者は同世代の者から厳しく評価されるせいか、少年法廷で裁かれた者の再犯率は家庭裁判所のそれにくらべて格段に低い、というデータがある。
 美談調が少々気になるけれども、教育や福祉にたずさわる大人はもとより、中学生や高校生が一読してよい一冊である。

□共同通信社編『60億人の地球家族』(共同通信社、2001)
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【読書余滴】女が23年間悩みとおしたこと

2010年12月09日 | ノンフィクション
 大阪市生野区今里ちかくに住む63歳の女性が、刺身包丁で自分の腹を切って死んだ。
 北海道は室蘭生まれのこの女性、ものごころのつかないうちに父親と生別、母親ひとりに育てられた。
 涙とともにパン、の青春時代をすごした後、大阪に流れきて、阿倍野の旅館の仲居となった。
 ここで、仕事でたびたび宿泊した工員と知り合った。工員は当時21歳。くだんの女性は、当時すでに不惑に達していたが、ことのいきががり上、22歳ということにしてしまったらしい。
 十有余年のながい交際をへて、男性が36歳、女性が自称37歳のときに結婚。女性は実年齢よりもずっと若くみえ、結婚生活は平和につづいた。
 その平和を破ったのは、亡くなる3か月前のちょっとしたアクシデントだった。
 女性が棚のものをとろうとして椅子にあがったところ、足もとがよろけ、転倒してしまったのだ。寄る年波が、まず足にあらわれたのである。
 この小さな事件は、女性に相当のショックを与えた。以来、自分の実年齢を気にしはじめたらしい。
 鬼籍に入る4日前、勤め先の工場から帰宅した夫に、女性は神妙に切りだした。
 「大事なお話があります」
 じつは、18歳もサバを読んでいて、結婚したときは55歳、いまは63歳になっている・・・・。
 44歳になっていた夫は、
 「長年連れ添うて、いまさら齢のことはええやないか」
 そう慰めたが、女性はそのまま家出。自決する前日にひょっこり帰宅し、何事もなかったかのように奥四畳半の自分の布団にはいった。そして、夫が寝入ったのを確かめたあと、台所から包丁を持ち出したのである。

   *

 疑問を抱く読者もいるはずだ。入籍したなら、旦那は女性の戸籍をみる機会があったはずだし、当然、実年齢も知ったはずだ。仮にこのとき旦那が女性任せっぱなしだったとしても、旦那が加入する公的年金保険、公的医療保険の被扶養者として女性を加えるために、住民票の写しを添付することはなかったのだろうか。
 旦那はわけのわかった人らしいから万事承知のうえだった、ということはありそうな話だし、旦那が知っていることを知らなかったのは細君だけだった、ということもあり得る。
 細かいことはさておき、現代版『今昔物語(本朝篇世俗)』とでも呼ぶべき『デキゴトロジー』は、世の人の不思議な営みをどっさり発掘してくれた。『デキゴトロジー』は今いずこ?
 
【参考】週間朝日風俗リサーチ特別局『デキゴトロジー vol.1 -ホントだからまいっちゃうの巻-』(新潮社、1983)
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【読書余滴】倉本聰の、富良野から都会の歪んだ生活が見える ~北の国から~

2010年12月08日 | ノンフィクション
 『一個人主義』は、月刊「一個人」2001年11月号から2008年3月号まで掲載の「一個人インタビュー」を加筆、再編集したもの。章立ておよび登場人物36人は次のとおりだ。
 「第1章 人生後半は楽しく遊んだ人の勝ち」・・・・浅田次郎、嵐山光三郎、大前研一、北方謙三、弘兼憲史。
 「第2章 “下り坂”の人生を豊かに充実させる哲学」・・・・家田荘子、倉本聰、ジェームス三木、城山三郎、瀬戸内寂聴、高橋克彦、夢枕貘、横尾忠則、渡辺淳一。
 「第3章 スローに生きる、自分だけの価値観を持つ」・・・・鎌田實、C・W・ニコル、立松和平、玉村豊男、筑紫哲也、西村京太郎。
 「第4章 仕事は人生を輝かせる最高の舞台」・・・・井沢元彦、猪瀬直樹、田原総一朗、津本陽、横山秀夫。
 「第5章 趣味、生きがい・・・・。50歳からの夢の描き方」・・・・秋山仁、石田衣良、内田康夫、加島祥造、加藤廣、香山リカ、野坂昭如、畑正憲、桝添要一、宮本輝、渡辺昇一。

 たとえば、倉本聰は次のように語る。
 2001年7月、『北の国から』の出演者5人に「ふらの名誉住民」が贈られた。黒坂五郎(田中邦衛)、純(吉岡秀隆)、蛍(中島朋子)、宮前幸子(竹下景子)、中畑和夫(地井武男)の役名に対して、富良野市から住民票が交付された。
 僕(倉本聰、以下同じ)の中では『北の国から』は終わらない。今後とも何らかの形で書き続けていきたい。

 『北の国から』がシリーズ化されて20年も続くとは、当初は予想もしなかった。
 最初の脚本(1980年)は、普通のホームドラマのつもりで書き始めた。全24話を撮影しているうちに、純は10センチ、蛍は14センチ、身長が伸びた。その成長ぶりを見ているうちに、この子たちの生活をこれからも追ってみたい、という思いがどんどん強くなっていった。役者の純と蛍が成人し、30歳になるまで追い続けてきた。
 一番の苦労は、純や蛍の反抗期だった。成長に伴う精神状態の変化は、作品において非常に大切な要素だ、と僕は考えていた。二人のことをずいぶん観察し、二人の様子をその母親から聞き取って脚本を書いた。聞いた話をそのまま使うわけにはいかないから、自分の思い出を盛りこんだ。純の成長過程には、僕の体験がずいぶん入っている。

 『北の国から』には、僕の富良野体験がベースになっている。たとえば、『98 時代』における北村草太(岩城滉一)の事故死は、僕の身近で実際に起きた。
 僕が脚本を書こうとしたきっかけは、文学座の文芸部員加藤道夫の影響だ。ジロドゥやアヌイのきれいな作品に惹かれて、学生時代から脚本を書いた。
 大学の頃、俳優座のスタジオ劇団「仲間」に入って、演劇のことばかり考えていた。授業には一度しか出たことがない。アリストテレス美学の講義で、「美は利害関係があってはならない」と聞かされた。これだけで大学に入った意味はあった、もう授業には出なくてもいい・・・・。試験では、親友の中島貞夫(東映の映画監督)の隣に座り、カンニングした。おかげで、美学科なのにドイツ語のABCも言えないで卒業した。

 なぜ北海道に来たのか。
 ニッポン放送を辞めてフリーの脚本家になった。
 NHKの大河ドラマ『勝海舟』(74年)の脚本を執筆中、局と喧嘩した。当時のNHKの体質が腹に据えかねた発言が雑誌に載った。批判は間違っていなかったが、結局謝罪したから僕の負けだ。その足で羽田に向かい、気づいたら札幌にいた。大河ドラマの原稿料300万円は叩き返した。手元には7万円。飲兵衛だから、増えるのはバーのボトルだけ。脚本家としての人生は終わった・・・・。そう考えたとき、フジテレビから仕事が入った。怨念をこめ、怒りにまかせてテレビの内幕を描いた。そのドラマ『6羽のかもめ』が放送批評懇談会の第27回ギャラクシー賞大賞を得た。
 僕に脚本を書かせているパッションは、“怒り”だ。『北の国から』にしても、根底にあるのは江戸に対する怒り、そして現代社会に対する怒りだ。
 『北の国から』を書いたのは、富良野に移住してから3年目だ。富良野の自然の中で生活しているうちに、そして“旅人の目”がだんだん“住民の目”に変わっていにつれ、都会の歪んだ生活が見えてきた。

 書くこと、つまり情報の発信には、受信が大切だ。50歳を過ぎてから乗馬やカヌーを始めた。ケガばかりしているが、好奇心と体験から得られる第一次情報がなくなれば、物事を自分で解釈できなくなる。そして、誰かが利害関係で発信した第二次、第三次情報を何の疑いも抱かずに鵜呑みにしてしまう。それを都会人は「便利な情報社会」と呼ぶのかもしれないけれど。

【参考】倉本聰「富良野に移り住んで、都会の歪んだ生活が見えてきた」(『一個人主義』、KKベストセラーズ、2008、所収)
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【読書余滴】家田荘子の、女性の一人遍路 ~ノンフィクション・ライターと宗教との関係~

2010年12月07日 | ノンフィクション
 家田荘子は、愛知県出身。女優としてTVや映画などに出演後、作家に転業した。『私を抱いて そしてキスして ~エイズ患者と過ごした1年の壮絶記録』」(文藝春秋)で第22回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。平成19年、高野山で伝法灌頂を受け、尼僧となる。
 以下、真言宗の行を家田が語る(要旨)。

 50代、60代で四国88ヶ所を一人で歩く男性は多い(オッサン遍路)。同じ遍路宿に泊まることも多い。皆友だちになっていって、宴会を始める。
 女性の一人遍路は少ない。
 観光バス遍路のおばちゃんの一部は、自分しか見えていない。納経の列に割りこむし、金剛杖はお大師なのに平気で蹴っとばす。
 オッサン遍路は思いやりがある。スタート地点の徳島県にいるときは普通の顔をしているが、皆さわやかな顔になっていく。自分をみつめなおすことができるからだろう。

 私(家田荘子、以下同じ)が在家出家したのは、1999年11月16日のことだ。それ以前から山行や水行をしていた。最初は弘法大師ゆかりの東寺で得度したくて訪ねたが、そこでは女性は得度できない。紹介してもらったのが、今の師匠、池口恵観博燈大阿闍梨だ。
 88ヶ所では、何度もしんどい思いをしている。私がやっているのは、「つなぎ遍路」で、二泊三日で途中まで歩いて、電車かバスで戻る。次にその地点から歩いてつなぐ。1日35~40数キロ歩く。最初、靴が合わなくて足の爪を剥がした。親指の爪が元どおりになるまで、ちょうど1年かかった。

 今、高野山の大学院密教学科に在籍している。卒論に遍路実習を選択している。
 大学院に入ったきっかけは、「なぜ人を殺してはいけないのか」の答を見つけたかったからだ。子どもに教えられる答を。「大日如来様からいただいた体だから、殺してはいけない」だけでは、今の子どもはわかってくれない。
 卒論のテーマに歩き遍路を選んだのは、就業者に遍路をしてもらいたいからだ。

 行とは、修行のことで、山行、水行、護摩行などさまざまな種類がある。行の一番の目的は自分を見つめることだ。
 私はじっとしているのが嫌いなのでめったにやらないが、禅宗の座禅、真言宗の阿字観(瞑想)も行だ。ふだんの状況とは異なる場所に自分を追いやることで、自分自身と対話する機会をつくる。

 山行には、頂上に着いたときの喜びがある。大自然の緑によって体が洗浄される。あちこちにお願いごとをしてはいけない。お願いごとをすると、必ず御礼に再訪する必要がある。「あちらこちらの神社でお願いごとをする人もいますが、神様の世界は縦社会なので、お願いごとは自分のご本尊様にして下さい。そうすればご本尊様が計らってくださる。ご先祖がどこの神社や終え羅に通っていたかを遡っていけば、自分のご本尊様に辿りつきます」
 神社仏閣が大好きでよく行く。その際には必ず挨拶をする。なぜ自分がここに越させていただいたか、を神仏様に説明すればよい。

 山行を途中でやめると願い事がかなわない、という人がいる。私は違う解釈をする。山に行こう、と思った瞬間から行は始まっている。その気持ちがすばらしい。途中で怪我で挫折しても、そのとき与えられた行だと思って受けとめればよい。
 山行は、白装束でなくとも、最初は白系の服を着ているだけでもよい。無理をしないこと。大峯系のように地下足袋を指定されているのでなければ、登山靴が安全だ。
 ただし、数珠は一つ必要だ。自分で働いて得た金で買った数珠がよい。数珠はふだん悪いものをいろいろ吸ってくれる。それを落とすためには山に連れていき、同行かけたほうがよい。行で数珠がきれいになる。

 水行は、瀧や海に入る修行だ。海で行する場合は、命がけになる。気を抜いたら波に飲まれて溺死する。水行の間は、眼を閉じておくこと。波が来ても頭からかぶるのだ。あまりにすごい波が来たときは、目を閉じたまま一歩後ろに下がる。耳をすませて、波の音で判断するのだ。
 水行は、自分の中の恐怖心とjの闘いでもある。無理はしない。最近は、自分のレベルに合った行を積み重ねるようにしている。
 真冬の吹雪の中では、水行で手が凍傷になることがある。けっして易しい行ではない。
 冬の滝行の場合、水のあたる体の部分が痛くなる。どんなに寒くても軽く凍傷になっても、水行で風邪をひいたことはない。毎回、冬の滝に入る前に、今なら止めることができる、と考えるが、あえて入っていく。続けることが行なのだ。

 中高年になると、釈迦の言葉、生・病・老・死が身にしみてくる。これからの人生を考える。自分のことをよく知りたい。人のために生きたい。充実した毎日を送りたい。そうした願いに行は応えてくれる。しんどい行をすると、人の痛みがわかってくる。何かを続けるという喜びがあるので、生きることに意欲が湧いてくる。死に対する恐怖心が薄れる。

 山行では長い時間をかけて登るから、自分と対話する機会も増える。山を甘くみないで、ありがたく登らせてもらう、という気持ちが大事だ。霊山に登ると、ぴりぴりとした空気を感じることができる。気持ちが引き締まってくる。あの山を登らせていただいた、という結果が生きることの自信につながる。
 もともと人間は自然の中にいた。自然の中で心が洗われる。きっと発見もある。山から下りてきた瞬間、すぐにまた登りたくなる。そのためには何時までも健康でいよう、という気持ちになれる。

 護摩行は、ほんとうに熱い。顔や手が焼けてウミの出る火傷を負う日もある。正座を続けるので、足の痛みが半端ではない。でも、その苦しみの中から生まれるものが、きっとあるはずだ。
 師匠は何時もいう、「世の中すべての人の苦しみは理解できないが、行によって、一部の人々の苦しみを共有させてもらうことはできる」と。この言葉が励みになっている。

 日常生活の中で一生懸命仕事を続けることも行だ。朝起きて家の中の一番いい場所で、「今日も朝を無事迎えられました。ありがとうございます」と心からの感謝を毎日続けることも、立派な行だ。続けることは難しい。近所の神社の掃除、参道のごみ拾いも立派な行だ。掃除をすれば自分の体も心もきれいになっていく。
 行は、日常生活のいろいろな場所に転がっている。
 小さな行でも続けていけば、自信や意欲に繋がる。そこから生きる喜びが生まれる。

 ブログに書く、という「行」を毎日続けても・・・・(とは、家田は書いてないが)。
 ちなみに、家田荘子の「2泊3日つなぎ歩き遍路ショート日記」は、こちらだ。

【参考】家田荘子「老い、病、死を乗り越えるために行を行う」(『一個人主義』、KKベストセラーズ、2008、所収)
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書評:『「死への準備」日記』

2010年12月06日 | ノンフィクション
 千葉敦子は、1940年上海生まれのジャーナリストである。
 1981年に乳ガンが発病した。再発をきっかけに、1983年末にニューヨークへ転居。朝日新聞などに寄稿するかたわら、世界の女性の動きを日本に伝える月刊誌を刊行した。1987年7月9日逝去。
 本書は、三度目の発病から死の直前までの8か月間、みずからを日々観察したレポートである。

 声の喪失体験からはじまる。
 友人のシャーリーはいう。「あなたみたいに、いうべきものを持っている人が声を失うなんてね。何もいうべきもの持たない人たちが、いくらでも声が出るというのに」
 「こういう励まし方もあるのだ」・・・・と著者はいうが、励まされる一方ではない。さっそく発声訓練の計画をたてるところに、著者の本領が発揮される。
 すでに自分の病について調べられるだけしらべ、お金に糸目をつけず、治療法について複数の医師に相談する。
 セカンド・オピニオンは、1980年代の日本ではめったに行われなかった。ここにも著者の進取の気象がみてとれる。
 闘病のために蛋白5割増し、カロリー2割増しの食事をつくる。さいわい、料理は好きだ。「自分の好みの料理を用意することが、病人の自立心を維持するために極めて大切だ」
 介護にたよらずに自立した生活をつづける。それは多くの友人たちに支えられた「制限つきの自立」だ、と自覚しつつ。

 せまりくる死。
 しかし、宗教に救いをもとめたりはせず、これまでと同様に、現実の日々のなかでどう生きるかに関心をはらう。それは、仕事であり(本の刊行)、友人たちとの談笑であり(おせちパーティ)、絵画や映画であり(クレー展や「ダウン・バイ・ロー」)、バレエの鑑賞である。
 「私の病気は非常に深刻で、涙にくれている場合ではないのだ」
 レアリストと自称するだけのことはある。反骨精神すら顔をのぞかせる。

 病気で苦しい目にあっているが、それは身体の問題であって、精神にまで及ばないし、身体まで及ぶべきものではない、と著者は考える。
 こうしたデカルト的二元論は、誰しも考えてみることはできる。だが、現にこうむる肉体的苦痛の中で実践することは容易ではない。
 ところが、著者は、イラン・コントラ事件に夢中になっては、「知的興奮が肉体的な苦しさを一時ではあれ忘れさせることは確実だ」

 米国の友人たちのいわゆる分析的、弾力的な精神、粘りづよい闘病は、わが国のガン患者の多くとは、かなりちがう。
 ちがう、どころではない。著者から見ると、日本人はちょっとおかしい。
 学生時代の友人が電話をしてくる。彼は何度も訪米しているのに米国人の友人はいない。5年先のことは「サラリーマンだもの」わからない。何をしたいか「考えてもむだだからな」。今週心躍ることは「うーん、別にないね」
 ガン末期の自分のほうがずっと充実した日々を過ごしている、と千葉敦子はいう。

 本書は、死を目前にした生のあり方のひとつを示すだけではなく、日常のくりかえしになずみがちな私たちに反省をしいる。

□千葉敦子『死への準備日記』(文春文庫、1991)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、過去最低の就職内定率の原因と対策 ~「超」整理日記No.540~

2010年12月05日 | ●野口悠紀雄
(1)過去最低の就職内定率
 2011年3月大学卒業者の就職内定率は、10月1日時点で、57.6%である。1996年以降、最低の数値である。
 過去の実績をみると、4月時点の就職率は10月時点のそれより30ポイント高くなる。この傾向が続くならば、来年4月の就職率は9割程度になるだろう。大学新卒者の失業率は10%前後になるだろう。
 これはきわめて深刻な事態である。次の諸点を考慮すれば放置できない大問題である。
 
(2)日本経済の構造的変化
 第一に、短期的・循環的な現象ではない。
 円高を背景にして、製造業の海外への脱出が急増している。日本企業は、今後企業の中心となるべき人材を日本人に限定しなくなった。これを象徴的に表すのが、パナソニックが新規採用の8割を外国人としたことだ。設備投資においては、海外投資の伸びが国内投資の伸びをはるかに上まわっている。雇用について同じことが起こっても不思議ではない。
 新卒者内定率が過去最低の水準に落ちこんだ背景には、日本経済のこうした構造変化がある。
 新卒者の就職難は、今後長期にわたって継続するだろう。対症療法で解決できるものではない。これを変えるには、経済の構造を変える必要がある。

(3)労働市場
 第二に、雇用政策との関係だ。
 政府は、新成長戦略の中で、介護分野での雇用を増加させる、としている。
 しかし、日本の労働市場はいくつかの市場に分断されている。大学新卒者の就職市場と介護分野の労働市場とは、別の市場だ。
 仮に介護分野の労働需要が増えたとしても、大学新卒者の就職状況は改善しないだろう。

(4)解決策
 第三に、大学新卒時での就職の失敗は、その人の一生を左右する。
 これまで続いてきた日本の雇用慣行では、中途採用があまり一般的でない。「再挑戦」の機会が十分に存在しない。
 内定率がこのように低いと、若者は希望を失い、日本を覆う閉塞感が著しく高まる。深刻な悪循環が発生する危険がある。
 新しい産業が成長し、そこで労働需要が増える必要がある。新しい産業は高度なサービス産業が中心にならざるをえない。

(5)新しい産業
 米国の場合、実際にこのような変化が起きた。95年から09年の間に、製造業の雇用者数が543万人減少する半面、金融、ビジネスサービス、教育・健康部門の雇用者が1,057万人増加した。90年代以降の世界経済の大変化に対応して、産業構造が大きく変わった。
 日本では、こうした変化が実現しなかった。02年以降、円安・外需依存景気回復によって構造問題が隠蔽されたからだ。経済危機の勃発で問題が顕在化されたが、エコポイントなどによって再び隠蔽された。低い内定率は、今突然生じた問題ではなく、20年前から潜在的に継続していた問題なのだ。
 日本企業が抱える過剰労働力は、全労働力人口の1割に近い528~607万人である(「平成21年度経済財政白書」)。日本経済が現在の産業構造を続けるかぎり、完全雇用は実現しない。
 新しいサービス産業に必要な人材を育成する専門教育が遅れている。そもそも日本の高等教育体制は、社会がほんとうに求める人材を育てていない。理系学生の内定率が大きく低下した理由は、ここにある。

(6)グローバル時代の就業
 本来、学生の就職先は日本企業に限定しなくてよい。海外に活動の場を求めてもよいはずだ。これが空論に聞こえる理由は二つ。
 第一に、外国企業で働く能力を持たない日本人が増えている。外国語能力の低下が大きな原因だ。
 第二に、日本の若者が海外で働こうと望まなくなったことだ。一人っ子なので親元を離れたくないのだ。都会よりは地元がよい。ましてや海外では働きたくない、というわけだ。これまでの赴任先だった先進国とは違って、新興国での生活は大変だから、海外勤務の希望はさらに減っている。問題の深因はここにもある。

【参考】野口悠紀雄「過去最低の内定率は経済構造変化の反映 ~「超」整理日記No.540~」(「週刊ダイヤモンド」2010年12月11日号所収)
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【読書余滴】丸谷才一の、人事と大事 ~「認識を示す」という言いまわし・考~

2010年12月04日 | ●丸谷才一
 「週刊ベースボール」のコラム「おれが許さん」で豊田泰光いわく・・・・、日本のスポーツ新聞は昔から「人事新聞」と言われてきたが、これは日本ジャーナリズムの体質で、大新聞だって建前は「政争よりは日本をどうするかが大事」なんて格好をつけているくせに、実際は、「政治化の右往左往を面白おかしく扱って、ほとんど政界芸能新聞といった感じ」だ。
 
 これを注して丸谷才一いわく、「まさしくその通りで、程度の低いすつたもんだを低級に報道して騒ぎ立てるのが大新聞の政治面である。『文藝春秋』の『田中角栄の人脈と金脈』以来その傾向がひどくなつて、軒なみ政界芸能雑誌化してきた。ただしあの大スクープほどの花やかな成果はあげずに。つまり前まへからの人事偏重がいつそうはなはだしくなり、しかも品格が下がつたやうな気がする」。

 で、人事の反対語は何か。ちょっと困るのだが、「人事」なんかよりもっとずっと大事なこと、貴重なこと、本質的なこと、必要なことを「大事」と名づけ、日本のジャーナリズムは今後、大事も扱ってくれ、と要望することにしよう・・・・。
 わがジャーナリズムは大事を余り上手に扱っていないのだが、上手に大事を論じる人もたまにいる。かつての林達夫はその最たるもので、大問題をじつにおもしろく読ませた。ものの見方が鋭く、語り口がしゃれていた。この型の近ごろの評論家として、長谷部恭男に注目している。

 彼の『憲法のimagination』(羽鳥書店)には、たとえば「認識を示す」という一文がある。
 朝のニュースで、○○党の幹事長が××の財源を確保するためには消費税率を2%上げる必要があるとの認識を示した、云々。長谷部はいう、「認識は評価とは違うし、実際の行動とも違う。言ったことの中身が評価や実践と紛らわしくて取り違えられそうなときには、認識であることをはっきりさせるべきだ、というのが『認識を示す』という言い回しが用いられるときの前提である」。
 つまり、価値判断は含まれていませんよ、というのがこの言いまわしの含意だ。
 しかし、まったく含まれていないのか。
 長谷部はいう、「意味論上の意味を超えた語用論上の意味が、『認識』ということばに込められている。/結局のところ、あたかも価値判断を全く含んでいないかのように装いつつ、実は特定の価値判断を前提として人々の行動を一定の方向に誘導するためにこそ、『認識』は示されていることになる」。

 丸谷才一は、「微笑し、哄笑し、爆笑しながら大いに教へられ、なるほどと納得」するのであった。「一体に政治化の言葉づかひをこんなふうに丁寧に正確に分析し、しかもおもしろがらせてくれた人は今までなかつた」
 家庭の事情(【読書余滴】では割愛)と天下国家の取り合わもじつに楽しい。ユーモアの才に富む憲法学者なんて、晦日の月とか遊女の誠とかに似た矛盾概念のような感じがして、びっくりする・・・・。
 そして、丸谷はさっそく応用するのだ。「言葉は人間生活の基本だが、その言葉を手がかりにしてわれわれの文明をあざやかに論じる評論家を一人、新しく得たらしいといふ認識を示したい」

【参考】丸谷才一「人事と大事 ~無地のネクタイ8~」(岩波書店「図書」2010年12月号所収)
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【読書余滴】対話の愉しみ:森澄雄・丸谷才一  ~ユーモア~

2010年12月03日 | 詩歌
丸谷 さっきの牛蛙の句(引用者注:「飛騨の夜を大きくしたる牛蛙  森澄雄」)はユーモアがあって大好きな句なんだけれども、森さんの句で大事なのはユーモアという要素だと思うんです。
 ユーモアのある句で、現代俳句で面白いと思えるのは、楸邨さんと森さんの句なんですよ。ほかにユーモアをねらってる俳人もいるけれども、ぼくにはあまりピンとこないことが多いんですね。

森 まあ、楸邨先生の句は、なんとなくおかしい、そして奥行きがある。そしてどちらかと言えば、ある運命的な暗さを持っているところに、楸邨俳句のユーモアの深さがあるんです。ぼくのは少し明るいユーモアかもわかりませんけれどね。

丸谷 ええ、森さんのは日本画的絵画美と、ユーモアがうまく合っている感じ。
 楸邨さんのユーモアは、大和絵風様式美ではないものですね。

森 なるほど。

丸谷 もともと蕪村の句では滑稽な面が一番大事なところだった。ところがその滑稽の面を取らずに、抒情のほうを大事にしたのが子規なんです。それをさらに朔太郎が助長した・・・・というのが尾形仂さんの説ですね。尾形さんは朔太郎のことは挙げてなかったかな?

森 さあ、どうでしたか・・・・。

丸谷 それで、子規の友達の漱石の句なんだけれども、
   無人島の天子とならば涼しかろ
なんていうのをはじめとして、なかなかユーモアがあるんですね。
 いったいに現代俳句は、虚子からはじまって俳句の専門家においては、ユーモアってものは軽んじられている。あるいは無視されている。ところが漱石のこの句をはじめとして、たとえば露伴の、
   木枯や碑をよめば皆えらい人
なんてのは(笑)、ぼく好きです、これ。

森 ああ、なるほど(笑)。

丸谷 面白いでしょう。
 こういう調子で、文人俳句というのはユーモアが非常に多いんですね。
 どういうわけでこんな対立が生じるのかと思って考えてみると、実に簡単なことで、文人俳句の場合には、ほかに専門の表現形式を持っている。そこのところで大事なことは言えるから、俳句のほうは遊び、言わば余技で作れる。そうするとユーモアが出てくる。まあ、こんな仕組みになると思うんですよ。

森 そうですね。

丸谷 ところが一方、俳句の本質は、蕪村が江戸時代に表現した滑稽の中にある。
 そこで大事なのは、現代俳人が余技ではなく俳句を作って、しかも滑稽を忘れないためにはどうしたらいいか、ということになる。
 そこのところでうまくいっているのが森さんの句作だと思うんですよ。

 (中略)

丸谷 じゃあ、森さんの軽みの句。
   猫も手に頤のせてをり秋の暮
   老師いま昼寝の大事土用東風

森 はい、何でもないけど、それ、気に入ってるんです(笑)。

丸谷 それから、
   蛤や少し雀のこゑを出す
 これなんか俳諧の付句ですよ。

森 そうです(笑)。雀大水に入って蛤となる。七十二候の季題をそのまま俳句にしたようなものですけどね。

 (中略)

丸谷 そうそう、ユーモアの句で森さんの、
   迂闊にも亀鳴くころをいつも病む
 これはいい句ですね。迂闊にも、というところがいかにも面白い。

森 そして、「亀鳴く」というところもね。科学的に言えば亀は鳴かないんだけれども、言わば虚の上に虚を重ねて、しかも「迂闊にも」なんだから、もうしようがないんですな(笑)。

丸谷 禅問答に近いですね。それで思い出しましたけれども、
   寒鯉を雲のごとくに食はず飼ふ
 これもまったく虚の句なんですね。実用性の否定と言ってしまうとまたバカバカしくなるけれども。

森 その句を桂信子さんに、どうして「食はず飼ふ」というのかわからんと叱られたんですよ。

丸谷 まあ、たいていの人は食わずに飼っているわけですけどね。しかし食うという手もあるんだな、ということを片方に置いて、その上でのユーモアの句ですね。

森 そうなんです。でも女の人にはなかなか説明のしようがないの(笑)。食うという人間の所業を離れていわば仙人のようになって「食はず飼ふ」と言ってるんだけど、そこがわかってもらえない。

丸谷 食うことは前提になっていないで、それは冗談として言ってるわけでしょう。

森 そうそう。

丸谷 しかしそれは女の人だからわかるとかわからないとかいうことじゃないでしょう。やはり個性でしょうね。
 桂信子さんて、なかなかいい俳句を作る方じゃありませんか。

森 そうです、いい作家です。でもぼくのこの句はやはり写実的じゃないから、わかり難いのかもしれない。

【参考】森澄雄/丸谷才一「現代俳句と違うもの」(森澄雄『俳句と遊行』、富士見書房、1987、所収)
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【読書余滴】座談の愉しみ:飯田龍太・森澄雄・金子兜太  ~表現のよろこび~

2010年12月02日 | 詩歌
森 ぼくはいつもはあまり写生を言わないんだけども、子規記念館の全国俳句大会で寄せられた句が1,400いくらなんだ。子規が月並と言った類の句が多くて、写生がほとんどないということにかえって驚いた。だからもう一回、根幹に写生をしっかり押さえたほうがいいという考えも同時にある。虚子は子規を受け継いでさらに「<客観>写生」(引用者注:, < >内は傍点)と言ったけど、子規の写生と虚子の写生はずいぶん違うと思うんだ。たとえば子規の写生で言うと、「苗代や水を離るる針の尖」みたいな、非常に微細なものも捉えて、明確な写生を子規は案外心がけているところがある。
 虚子になると、また一種の焦点深度が深くなってね。たとえば「白牡丹といふといへども紅ほのか」にしたって、あんなものはなかなかないんだな、実際には。「紅ほのか」が見えてるのは、やっぱり虚子の心の眼で見えてるかもわからんしね。また「去年今年貫く棒の如きもの」も、単なる写生ではなく、もっと大きく何かで捉えている。しかもそれも写生なんだな、虚子はのうのうと。
 ところが、その虚子の大きな写生観というものは、末流になると、ただものを描くだけに変わっていく。そしてそれが一種の信仰になってる面もあるんだけどもね。
 さっき飯田君が言った、現在の若い作家、あるいは中堅の作家を見ておると、非常に文学的な洒落た意識で、器用に俳句のいいところで詠んでいるけども、何かぼくには俳句の常識だと思えてね。むしろものの存在をしっかり捉えた写生のほうがもっと新鮮だというところが、逆にあるな。

金子 まあ一つの言い方として、そうなんだろうな。

飯田 写生には、いろいろ解釈も様態もあるけれども、一番の基本は何かというと、写生というのは、表現のよろこびを持ったもの。それは自分が納得する表現のよろこびなんだ。人を感心させようと思った表現のよころびじゃない。

金子 それはダメ。

飯田 いつも相手をよころばせよう、読者をあっと言わせようというのじゃダメでね。たとえば素十の作品は、自分が表現できたというよろこびをたっぷり湛えている。まず自分が楽しむような、よろこびを持つような姿勢を持たないとね。

森 子規記念館でも話したんだけど、写生でも、私はこれを見つけたという。それを見つけるまではその人の手柄だけども、その手柄を表現にしちゃいけない。手柄は捨てなきゃダメだ。いま龍太氏が言ったことと同じことなんだけども。

飯田 いい写生の俳句は、人が褒めようがくさそうが、関係ないんだ。ぼくは、それを一番貫いておったのは素十だと思う。素十は、人が褒めようとくさそうとかまわない。それはどこから学んだかというと、高浜虚子から。虚子は、これが自分の句の一番いいのですよなんて、生涯一度も言ったことない。全部たいした句じゃないけど、なかにはいい句もありますよ、ぐらいのことしか言わないんだ。

森 虚子でいえば、赤星水竹居の『虚子俳話録』の中に、素十が、「又一つせんべいの蝿五家宝へ」という句を句会に出したら、虚子が取らなかった。で、素十が、「品が悪いところがいけないんですか」と訊ねたら、「品もよくないがそれよりも正しい興味ではないように思われてとらなかった」と虚子は答えた。実に確かな虚子の言葉だね。

飯田 それは見事な指摘だね。

【参考】飯田龍太/金子兜太/森澄雄「表現のよろこび」(飯田龍太/金子兜太/森澄雄/尾形仂『俳句の現在』、富士見書房、1989、所収)
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