語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】野口悠紀雄の、経済危機後の1940年体制(3) ~世界経済構造の大変化~

2010年12月23日 | ●野口悠紀雄
 90年代以降、日本や独国などの産業大国が没落し、その半面、米国、英国、アイルライドなど「脱工業化」した国がめざましい発展を遂げた。
 一人当たりGDPをみると、日本は90年代の初めには主要国中トップだったが、09年には17位にまで落ちこんだ。その半面、70年代までは欧州で最も貧しい国といわれていたアイルランドは、90年代以降大成長を遂げ、主要な先進国を追い抜いた。09年でも、日本の1.3倍ほど高い。
 このような現象が生じた原因は、80年代以降の世界経済構造の大変化である。

(1)新興国の勃興
 大量生産の製造業において重要なのは、新しいものの創造ではなく、規律である。全員が共通目的の達成をめざして、所与の職務を性格に遂行することが求められる。また、金融も、市場メカニズムにしたがって資金配分される直接金融より、資金配分を政府がコントロールできる間接金融のほうが都合がよい。これに軍事国家の要請が重なって、日本の戦時経済体制ができあがった。
 この体制は、1940年頃の世界では、決して特殊なものではなかった。
 第二次大戦後の世界でも、70年代までは、技術の基本的性格はそれまでと同じものだった。だから、産業構造も変わらなかった。この時代の中心産業は、製造業、なかんずく鉄鋼業のような重厚長大型装置産業と、自動車のような大量生産の組立て産業である。産業革命によって始まった経済活動が行き着いた究極的な姿である。
 このような環境の中で、戦後も戦時経済体制を維持し続けた日本が良好な経済パフォーマンスを実現できたのは、当然のことだ。

 しかし、今やアジア新興国が工業化した。最初は、韓国、台湾、シンガポール、香港。続いて中国。これら諸国が低賃金を用いて工業製品を安価に生産できるようになったため、先進国における製造業は優位性を失った。製造業中心国は、立ち遅れることになった。

(2)情報技術の変化
 80年代以降の世界では、技術体系に大変化が生じた。
 情報処理と通信の技術が、集中型から分散型に移行した。コンピュータは、大型汎用計算機からパソコンへ移行した。通信は、電話や専用回線からインターネットへ移行した。この変化は、経済構造の根幹に本質的な影響を与えた。
 情報処理システムが集中型だった時代には、経済システムでも中央集権が有利だった。
 日本の戦時経済体制も、中央集権的色彩が強いから、古いタイプの情報システムに適合していた。米国でも、70年代までは、組織の巨大化・集権化が進展し、政治面では連邦政府の比重が増したのである。
 ところが、90年代以降の情報技術の変化は、このパラダイムを根本から変革した。分散型情報システムが進歩すると、分散型経済システムの優勢性が高まる。したがって、計画経済に対して市場経済の有利性が増し、大組織に対して小組織の優位性が高まるのだ。
 経済活動の内容も、産業革命型のモノ作りではなく、金融業(投資銀行的業務)や情報処理産業の重要性が増す。

 中国などの工業化の影響とともに、技術上の大変化が産業構造の変革を要請したのだ。
 こうした経済活動には、ルーチンワークを効率的にこなすことではなく、独創性が求められる。集団主義ではなく、個性が重要になる。政治的にも地方分権が望まれる。
 統制色の強い戦時経済体制は、新しい体系の下では、優位性を発揮できない。むしろ、変革と進歩に対して桎梏となるのである。

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 以上、参考文献の第11章「2 戦時経済体制が有利である時代は終わった」に拠る。

【参考】『増補版 1940年体制 -さらば戦時経済-』(東洋経済新報社、2010)
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