(1)この4年間、福島県浜通り地方では、路肩に「除染工事中」【注1】の工事標識が立ち、庭先と言わず休耕地と言わず、大きく膨らんだフレキシブルコンテナ(フレコン)バッグがズラリと並び重なる。
過酷事故から1年8か月目(2012年11月)、双葉郡川内村の小さな寺院(阿武隈山地の中ほど、事故原発から22km)では、ひなびた山門の脇のスペースに、差し渡し1mほどの無粋な青いバッグがざっと400袋積み上げられていた(現在は撤去済み)。
川内村は、2011年3月16日に全村強制避難が発令された。2012年1月31日に「帰村宣言」をしたが、村民の多くは避難先から戻っていない。
(2)過酷事故から2年4月目(2013年初夏)、双葉郡楢葉街の木戸川沿い(事故原発から17km)では、周囲とは一段と高い堤防道路から、堤内(陸側)に無数の黒バッグが集積されているのを目視できた。大津波は届かなかったエリアで、放射能が降らなければ作付けが続いていたはずだ。だが、その一角が、まわりの田んぼから剥ぎ取った土の仮置き場になっていた。
楢葉町は、震災当初から1年5か月間は警戒区域、その後は避難指示解除準備区域に組み込まれ、全町民が避難を強いられている。かたや除染作業は、この時最盛期に差しかかって、交通量はむしろ多かった。現場で作業する人はもとより、バン、ワゴン、ダンプの座席のほぼ全員がヘルメット、マスク、作業着、タイベックスーツ(不織布のつなぎ)姿で、これが除染ゾーンの日常風景と化しつつあった。
(3)過酷事故から3年半目(2014年9月下旬)、相馬郡飯舘村の各地で(2)と同じシーンが展開されていた。阿武隈高地をはさんだ向こう側、南東40km先の事故原発が大量の放射能を空にまき散らしたあの時期、ちょうど風下にあって、特に高濃度の汚染を被った。飯舘村は、全村避難中の自治体の一つだ。
除染工事直後の場所は更地そのものだ。非除染エリアでは、田んぼも畑も4シーズン連続の耕作中止で、すっかり草原と化している。
雑木林は、東北地方の山里のありふれた生態系、とても良好な自然環境だ。昆虫類も豊富だし。しかし、タイベックスーツ、ラテックス製手袋、一体マスクが必須だし、スーツはガンマ線を遮断してくれない。
何らかの覚悟なしには、ここに居続けられない。デジタル線量計によれば、1.86μSv/時だ。近くの除染地に比べてざっと3倍ほど高い。同日同時刻の北海道札幌市の60倍、東京都心の30倍、沖縄県那覇市の40倍高い。
(4)(3)よりさらに10kmほど南東方向(事故原発の方向)に近づくと、帰還困難区域との境界線に至る。沢沿いの線量計の数字は6.6μSv/時だ。
森林や河川は除染の対象外だ。数種類のアブラムシはいるが、赤とんぼがいない。女郎蜘蛛や野鳥もほとんどいない。
空から降りそそいだセシウムが蓄積する表土層は、地中でもっとも豊かに生態系が発達している場所だ。
表土層と樹上を行き来しながら世代交代をするある種のアブラムシの浜通り地方の個体群が、2011年から12年ごろにかけて、事故原発由来の放射線による選択を受けた、と見られるとする報告がある。「選択を受けた」とは、放射線に耐えられなかったメンバーが死滅し、耐性を持つメンバー(の子孫)だけがあたかも選抜されたように生き残った、という意味だ。
修羅場をくぐり抜けた土壌生態系に、除染が追い打ちをかけている。この4年足らずで577万立米の表土を削って袋詰めにした。まだ途上で、最終的には4,400立米に達するとの試算もある。
(5)原発由来の放射能を取り除かないかぎり、被災者は安心を取り戻せない。
太平洋に面する南相馬市原町区では、北萱浜(事故原発から23km)を含む地区では震災発生時、海岸線から内陸100m~3kmの範囲が大津波に呑まれ、同市でもっとも多数が亡くなっている。大部分が災害危険区域に指定され、もう住宅は建てられない。ガレキは片付いたが、行政による農地の除染工事は遅れている。
農地はおおむね草ボウボウか、草刈り後の枯れ草が敷き詰められた状態かの2パターンしかない。
(6)人類にとって生物多様性がなぜ大切かを説明するのに、保全生物学者は「生態サービス」という用語を使う。健全な生態系は、空気や水を浄化し、物質やエネルギーを循環させて環境の安定を保つ。食料、建材、繊維、医薬原料、燃料、さらに癒やしや宗教・芸術のインスピレーションまで与えてくれる。もし、生態系の機能が失われれば、こうしたサービスはたちまち滞ってしまう。
原発事故から4年。除染した場所も、してない場所も、生態系サービスは著しく劣化したままだ。これが原発過酷事故後の世界だ。
【注1】除染
「【原発】小出裕章、定年退職を前に語る ~福島第一原発の現在~」
「【原発】全体像の見えない「核汚染」の実態 ~いまも深い闇の中~」
「【原発】放棄される除染 ~フクシマを見捨てる政官財~」
「【原発】福島に不足する熟練作業員 ~ミスが続く原因~」
「【原発】行き場のない廃棄物 ~先送り~」
「【原発】「放射能ガラクタ」を民家の庭に不法投棄 ~除染の闇~」
「【原発】東電か、電力改革か ~除染費用の支払いを拒否する東電~」
「【原発】除染道路の4割が効果なし ~福島県田村市~」
「【原発】最悪の事態を防いだ2つの幸運 ~失われた沃野と海~」
【注2】飯舘村
「【原発】被爆と甲状腺癌の因果関係は本当にないのか? ~「専門家意見交換会」~」
「【原発】初期被曝量は県発表の倍の数値7mSv ~福島県・飯舘村~」
□平田剛士「放射能汚染と除染工事 --土壌生態系は二度蹂躙された ~環境を破壊する原発震災復興工事(上)」(「週刊金曜日」2015年3月13日号)
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過酷事故から1年8か月目(2012年11月)、双葉郡川内村の小さな寺院(阿武隈山地の中ほど、事故原発から22km)では、ひなびた山門の脇のスペースに、差し渡し1mほどの無粋な青いバッグがざっと400袋積み上げられていた(現在は撤去済み)。
川内村は、2011年3月16日に全村強制避難が発令された。2012年1月31日に「帰村宣言」をしたが、村民の多くは避難先から戻っていない。
(2)過酷事故から2年4月目(2013年初夏)、双葉郡楢葉街の木戸川沿い(事故原発から17km)では、周囲とは一段と高い堤防道路から、堤内(陸側)に無数の黒バッグが集積されているのを目視できた。大津波は届かなかったエリアで、放射能が降らなければ作付けが続いていたはずだ。だが、その一角が、まわりの田んぼから剥ぎ取った土の仮置き場になっていた。
楢葉町は、震災当初から1年5か月間は警戒区域、その後は避難指示解除準備区域に組み込まれ、全町民が避難を強いられている。かたや除染作業は、この時最盛期に差しかかって、交通量はむしろ多かった。現場で作業する人はもとより、バン、ワゴン、ダンプの座席のほぼ全員がヘルメット、マスク、作業着、タイベックスーツ(不織布のつなぎ)姿で、これが除染ゾーンの日常風景と化しつつあった。
(3)過酷事故から3年半目(2014年9月下旬)、相馬郡飯舘村の各地で(2)と同じシーンが展開されていた。阿武隈高地をはさんだ向こう側、南東40km先の事故原発が大量の放射能を空にまき散らしたあの時期、ちょうど風下にあって、特に高濃度の汚染を被った。飯舘村は、全村避難中の自治体の一つだ。
除染工事直後の場所は更地そのものだ。非除染エリアでは、田んぼも畑も4シーズン連続の耕作中止で、すっかり草原と化している。
雑木林は、東北地方の山里のありふれた生態系、とても良好な自然環境だ。昆虫類も豊富だし。しかし、タイベックスーツ、ラテックス製手袋、一体マスクが必須だし、スーツはガンマ線を遮断してくれない。
何らかの覚悟なしには、ここに居続けられない。デジタル線量計によれば、1.86μSv/時だ。近くの除染地に比べてざっと3倍ほど高い。同日同時刻の北海道札幌市の60倍、東京都心の30倍、沖縄県那覇市の40倍高い。
(4)(3)よりさらに10kmほど南東方向(事故原発の方向)に近づくと、帰還困難区域との境界線に至る。沢沿いの線量計の数字は6.6μSv/時だ。
森林や河川は除染の対象外だ。数種類のアブラムシはいるが、赤とんぼがいない。女郎蜘蛛や野鳥もほとんどいない。
空から降りそそいだセシウムが蓄積する表土層は、地中でもっとも豊かに生態系が発達している場所だ。
表土層と樹上を行き来しながら世代交代をするある種のアブラムシの浜通り地方の個体群が、2011年から12年ごろにかけて、事故原発由来の放射線による選択を受けた、と見られるとする報告がある。「選択を受けた」とは、放射線に耐えられなかったメンバーが死滅し、耐性を持つメンバー(の子孫)だけがあたかも選抜されたように生き残った、という意味だ。
修羅場をくぐり抜けた土壌生態系に、除染が追い打ちをかけている。この4年足らずで577万立米の表土を削って袋詰めにした。まだ途上で、最終的には4,400立米に達するとの試算もある。
(5)原発由来の放射能を取り除かないかぎり、被災者は安心を取り戻せない。
太平洋に面する南相馬市原町区では、北萱浜(事故原発から23km)を含む地区では震災発生時、海岸線から内陸100m~3kmの範囲が大津波に呑まれ、同市でもっとも多数が亡くなっている。大部分が災害危険区域に指定され、もう住宅は建てられない。ガレキは片付いたが、行政による農地の除染工事は遅れている。
農地はおおむね草ボウボウか、草刈り後の枯れ草が敷き詰められた状態かの2パターンしかない。
(6)人類にとって生物多様性がなぜ大切かを説明するのに、保全生物学者は「生態サービス」という用語を使う。健全な生態系は、空気や水を浄化し、物質やエネルギーを循環させて環境の安定を保つ。食料、建材、繊維、医薬原料、燃料、さらに癒やしや宗教・芸術のインスピレーションまで与えてくれる。もし、生態系の機能が失われれば、こうしたサービスはたちまち滞ってしまう。
原発事故から4年。除染した場所も、してない場所も、生態系サービスは著しく劣化したままだ。これが原発過酷事故後の世界だ。
【注1】除染
「【原発】小出裕章、定年退職を前に語る ~福島第一原発の現在~」
「【原発】全体像の見えない「核汚染」の実態 ~いまも深い闇の中~」
「【原発】放棄される除染 ~フクシマを見捨てる政官財~」
「【原発】福島に不足する熟練作業員 ~ミスが続く原因~」
「【原発】行き場のない廃棄物 ~先送り~」
「【原発】「放射能ガラクタ」を民家の庭に不法投棄 ~除染の闇~」
「【原発】東電か、電力改革か ~除染費用の支払いを拒否する東電~」
「【原発】除染道路の4割が効果なし ~福島県田村市~」
「【原発】最悪の事態を防いだ2つの幸運 ~失われた沃野と海~」
【注2】飯舘村
「【原発】被爆と甲状腺癌の因果関係は本当にないのか? ~「専門家意見交換会」~」
「【原発】初期被曝量は県発表の倍の数値7mSv ~福島県・飯舘村~」
□平田剛士「放射能汚染と除染工事 --土壌生態系は二度蹂躙された ~環境を破壊する原発震災復興工事(上)」(「週刊金曜日」2015年3月13日号)
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