(1)2011年から2013年まで(2012年12月に安倍政権発足)、純金融資産を5億円以上持つ超富裕層の純金融資産総額が、株価上昇もあって29兆円増えた。
一方、直近の「相対的貧困率」と「17歳以下の子どもの貧困率」は過去最悪を更新。さらに、働いているのに年収が200万円以下の人たちが2013年には1,100万人を超えた。
最低賃金が全国平均で時給780円(最低は沖縄県などで677円)。この金額で1日8時間、月に22日働いても月収は119,152円にしかならない。
(2)(1)の状況で、どうして多くの人がアベノミクスにまだ幻想を抱いているのか。
今も安倍政権は支持率50%をキープしている。そこにあるのは絶望に基づく期待ではないか。言われているような成果をアベノミクスが生まないとしたら「われわれに明日はない」と追い詰められた人たちが発した悲鳴のような思いが、支持の相当の部分を占めている。
こうした実態を安倍首相は知らない。というより、知ろうとしない。本質的にはどうでもいい、ということだろう。
安倍首相は、「景気回復のあたたかい風を、全国津々浦々までお届けしていく」とし、そのためには大企業がまず元気になってもらわないと、と言っていた。大きいものがより大きく、強いものがより強くなり、富が滴り落ちて全体に波及するという「トリクル・ダウンの経済学」だ。
(3)ところが、2月2日の参院予算委員会では「私の経済政策はトリクル・ダウンではない、底上げだ」と答えた。
ここで本質的な問題は、富が滴り落ちて全体に波及するという後半が付け足しであって、唯一にして最大の関心は、強いものがより強くなる、大きなものがより大きくなる・・・・ということにあることだ。
「底上げ」なんて、何もしていない。
安倍政権が社会保障制度で最初に手をつけたのは、生活保護の引き下げだった。
(a)総選挙の政権公約に、生活保護費の「生活扶助」(日常生活費に相当する)の給付水準1割削減を掲げた。・・・・何の根拠もない数字なのだが、2013年から3年がかりで670億円の削減が断行されている。
(b)特定秘密保護法が成立した国会では、生活保護法が戦後初めて大きく改悪され、2015年度予算では冬季加算と住宅扶助のダブル引き下げが目論まれている。
①低所得者と比較して、生活保護受給者の住宅費のほうが高い、というのだが、これは広義の貧困ビジネスがらみの問題であり、贅沢をしているということではない。
②日本の生活保護の補足率は2~3割と言われるが、生活保護を給付される水準にあるのに受給していない低所得者と比較して、生活保護受給者の家賃が高いと言って、何の意味があるのか。底を上げるどころか、底を抜くようなことをしている。
(c)そもそも、政治家が「底」という言い方をすること自体、不遜だ。民主主義国家においては、国家は国民に奉仕するサービス事業として位置づけられる。国家というサービス事業者にとって、国民は唯一にして最大の顧客だ。大切な大切なお客様だ。ところが、彼らはこの関係を逆転させようとしている。国民を国家に奉仕させようとしている。
(4)では、どうしたらよいか。
(a)無視してメディアが喧伝するアベノミクスに関心を示さないこと。
(b)彼らの言うことをよく分析して、そこに潜む問題を徹底的に洗い出すこと。どう踊らせようとしているのかを見抜くこと。
(5)(4)-(b)の対象とすべき文書の一つは、昨年6月末に閣議決定を経て出た「日本再興戦略改定2014 未来への挑戦」だ。
国家のために国民をこき使おうとする文書だ。
中に「日本の『稼ぐ力』を取り戻す」という項がある。稼ぐ力という言葉自体、品がなくて身もふたもない。
その中で、企業統治(コーポレート・ガバナンス)の強化が盛んに謳いあげられている。一見感心してよさそうだが、どうしてどうして。そもそもは、企業の内部管理のあり方を問う時、そこには企業の社会的責任(CSR)というテーマが表裏一体の関係でセットになっているはず。ところが、彼らはCSRを徹底的に無視している。コーポレート・ガバナンスを話題にするなら、そこには、やはり、企業があまりにもひたすら儲けばかりを追求せず、企業もまた社会的存在であることをどこまで意識できるか、ということが議論の俎上に載ってしかるべきだ。そもそも、企業の内部管理が問い直されるようになってきたのは、そのような問題意識が広まったからだ、という面がある。
(6)2014年5月、文部科学省の有識者会議「学生への経済的支援の在り方に関する検討会」で前原金一・経済同友会専務理事が、奨学金の延滞者に関して「警視庁とか、消防庁とか、防衛省に頼んで、1年とか2年のインターシップをやってもらえば」と発言した。
今や多くの大学生が有利子の奨学金を借りて、卒業と同時に数百万円の借金を背負う。しかし、返済できずに滞納する人が急増し、現在33万人に達する。
で、前原専務理事だが、彼は奨学金を貸し付ける日本最大の組織「日本学生支援機構」の外部政策企画委員を務める人なのであった。すでに具体的な話が進んでいた。
その「検討会」の2か月後に集団的自衛権が閣議決定された。
それぞれをつなげてみると、実は日本が一つの方向へ行こうとしているように見える。
(7)統一地方選挙が迫っている。投票する際のポイントは何か。
注意すべき用語がある。「全国津々浦々」「取り戻す」「世界一」という言葉を使いたがる人は要注意だ。そういう人は、「格差」「貧困」という言葉を使いたがらない。安倍首相の施政方針演説には、「貧困」は1回、「格差」はゼロだった。
安倍首相の語りの中には「人間」が出てこない。施政方針演説や日本再興戦略にも登場してない。唯一登場したのが、2013年半ばに「成長戦略」がらみ言及した、大阪万博の「人間洗濯機」ぐらいだ。
安倍首相は「国民」という言葉はよく使うのだが。「人間」嫌いなのだ。
チーム・“アホノミクス”の最大の特徴は、人のために涙する目を持たないことだ。
逆に人の言うことに傾ける耳を持っているか。人のために涙する目を持っているか。人に対して差し伸べる手を持っているか。それらが問われる。チーム・“アホノミクス”は、いずれも持っていない。
□浜矩子×雨宮処凜「怒れる女子会 “アホノミクス”と決別するために」(「週刊金曜日」2015年3月27日号)
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【参考】
「【言葉】アベノミクスの心理学 ~「人間嫌い」の安倍首相~」
一方、直近の「相対的貧困率」と「17歳以下の子どもの貧困率」は過去最悪を更新。さらに、働いているのに年収が200万円以下の人たちが2013年には1,100万人を超えた。
最低賃金が全国平均で時給780円(最低は沖縄県などで677円)。この金額で1日8時間、月に22日働いても月収は119,152円にしかならない。
(2)(1)の状況で、どうして多くの人がアベノミクスにまだ幻想を抱いているのか。
今も安倍政権は支持率50%をキープしている。そこにあるのは絶望に基づく期待ではないか。言われているような成果をアベノミクスが生まないとしたら「われわれに明日はない」と追い詰められた人たちが発した悲鳴のような思いが、支持の相当の部分を占めている。
こうした実態を安倍首相は知らない。というより、知ろうとしない。本質的にはどうでもいい、ということだろう。
安倍首相は、「景気回復のあたたかい風を、全国津々浦々までお届けしていく」とし、そのためには大企業がまず元気になってもらわないと、と言っていた。大きいものがより大きく、強いものがより強くなり、富が滴り落ちて全体に波及するという「トリクル・ダウンの経済学」だ。
(3)ところが、2月2日の参院予算委員会では「私の経済政策はトリクル・ダウンではない、底上げだ」と答えた。
ここで本質的な問題は、富が滴り落ちて全体に波及するという後半が付け足しであって、唯一にして最大の関心は、強いものがより強くなる、大きなものがより大きくなる・・・・ということにあることだ。
「底上げ」なんて、何もしていない。
安倍政権が社会保障制度で最初に手をつけたのは、生活保護の引き下げだった。
(a)総選挙の政権公約に、生活保護費の「生活扶助」(日常生活費に相当する)の給付水準1割削減を掲げた。・・・・何の根拠もない数字なのだが、2013年から3年がかりで670億円の削減が断行されている。
(b)特定秘密保護法が成立した国会では、生活保護法が戦後初めて大きく改悪され、2015年度予算では冬季加算と住宅扶助のダブル引き下げが目論まれている。
①低所得者と比較して、生活保護受給者の住宅費のほうが高い、というのだが、これは広義の貧困ビジネスがらみの問題であり、贅沢をしているということではない。
②日本の生活保護の補足率は2~3割と言われるが、生活保護を給付される水準にあるのに受給していない低所得者と比較して、生活保護受給者の家賃が高いと言って、何の意味があるのか。底を上げるどころか、底を抜くようなことをしている。
(c)そもそも、政治家が「底」という言い方をすること自体、不遜だ。民主主義国家においては、国家は国民に奉仕するサービス事業として位置づけられる。国家というサービス事業者にとって、国民は唯一にして最大の顧客だ。大切な大切なお客様だ。ところが、彼らはこの関係を逆転させようとしている。国民を国家に奉仕させようとしている。
(4)では、どうしたらよいか。
(a)無視してメディアが喧伝するアベノミクスに関心を示さないこと。
(b)彼らの言うことをよく分析して、そこに潜む問題を徹底的に洗い出すこと。どう踊らせようとしているのかを見抜くこと。
(5)(4)-(b)の対象とすべき文書の一つは、昨年6月末に閣議決定を経て出た「日本再興戦略改定2014 未来への挑戦」だ。
国家のために国民をこき使おうとする文書だ。
中に「日本の『稼ぐ力』を取り戻す」という項がある。稼ぐ力という言葉自体、品がなくて身もふたもない。
その中で、企業統治(コーポレート・ガバナンス)の強化が盛んに謳いあげられている。一見感心してよさそうだが、どうしてどうして。そもそもは、企業の内部管理のあり方を問う時、そこには企業の社会的責任(CSR)というテーマが表裏一体の関係でセットになっているはず。ところが、彼らはCSRを徹底的に無視している。コーポレート・ガバナンスを話題にするなら、そこには、やはり、企業があまりにもひたすら儲けばかりを追求せず、企業もまた社会的存在であることをどこまで意識できるか、ということが議論の俎上に載ってしかるべきだ。そもそも、企業の内部管理が問い直されるようになってきたのは、そのような問題意識が広まったからだ、という面がある。
(6)2014年5月、文部科学省の有識者会議「学生への経済的支援の在り方に関する検討会」で前原金一・経済同友会専務理事が、奨学金の延滞者に関して「警視庁とか、消防庁とか、防衛省に頼んで、1年とか2年のインターシップをやってもらえば」と発言した。
今や多くの大学生が有利子の奨学金を借りて、卒業と同時に数百万円の借金を背負う。しかし、返済できずに滞納する人が急増し、現在33万人に達する。
で、前原専務理事だが、彼は奨学金を貸し付ける日本最大の組織「日本学生支援機構」の外部政策企画委員を務める人なのであった。すでに具体的な話が進んでいた。
その「検討会」の2か月後に集団的自衛権が閣議決定された。
それぞれをつなげてみると、実は日本が一つの方向へ行こうとしているように見える。
(7)統一地方選挙が迫っている。投票する際のポイントは何か。
注意すべき用語がある。「全国津々浦々」「取り戻す」「世界一」という言葉を使いたがる人は要注意だ。そういう人は、「格差」「貧困」という言葉を使いたがらない。安倍首相の施政方針演説には、「貧困」は1回、「格差」はゼロだった。
安倍首相の語りの中には「人間」が出てこない。施政方針演説や日本再興戦略にも登場してない。唯一登場したのが、2013年半ばに「成長戦略」がらみ言及した、大阪万博の「人間洗濯機」ぐらいだ。
安倍首相は「国民」という言葉はよく使うのだが。「人間」嫌いなのだ。
チーム・“アホノミクス”の最大の特徴は、人のために涙する目を持たないことだ。
逆に人の言うことに傾ける耳を持っているか。人のために涙する目を持っているか。人に対して差し伸べる手を持っているか。それらが問われる。チーム・“アホノミクス”は、いずれも持っていない。
□浜矩子×雨宮処凜「怒れる女子会 “アホノミクス”と決別するために」(「週刊金曜日」2015年3月27日号)
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【参考】
「【言葉】アベノミクスの心理学 ~「人間嫌い」の安倍首相~」