語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【経済】「億万長者激増」の政治学 ~新自由主義~

2011年11月25日 | 社会
 なぜ億万長者が激増【注】したか。

 戦後日本政治の基本構造は、米国・官僚・大資本利権複合体による支配だった。
 経済政策に「資本の論理」が突出して重用され始めたのは、小泉・竹中政治の時代だった。世界の大競争が激化するなかで、資本が求める最重要の方向=人件費コストの削減を小泉・竹中政治が後押しした。企業は歴率を回復させて浮上した。その裏側で、労働の側に重大な変化が生まれた。
 これらの構造変化がもたらされる背景に、世界経済の重要な変化があった。(a)冷戦の終焉と、(b)情報処理通信技術(IT)の飛躍的進歩だ。

 (a)によって、東側世界が新たに資本主義の大きな枠組みに組み込まれた。わけても中国の台頭は、世界経済の構造を根本から変化させる契機になった。中国が安い人件費コストを武器にして世界市場に殴り込みをかければ、先進国の当該産業が悲鳴をあげる。この図式が広がり、先進国経済は抜本的見直しを強いられた。
 時を同じくして、(b)が生じた。PCを核とする情報処理技術とインターネットを核とするITが融合され、企業の事務処理が飛躍的に効率化していった。

 (a)に伴う世界の競争激化のなかで、先進国企業は人件費コスト削減が至上課題になった。グローバルな競争市場において先進国企業が競争力を維持するには、生産に要する人件費コストを後発成長国並みに引き下げる必要がある。
 この人件費コスト削減を促進したのが、(b)だった。企業は、ビジネスモデルを全面的に変え、新技術の全面活用によって人件費コストを削減していった。ITを全面活用することで、多数の高賃金ホワイトカラー労働者を少数の非正規低賃金オペレーターに置き換えたのだ。この企業革新が、ビジネス・プロセス・リエンジニアリング(BPR)だ。
 BPRの嵐は、1990年代の米国で吹き荒れ、次いで2000年代の日本で広がった。この動きを加速させたのが小泉・竹中誠二の規制緩和政策だった。小泉・竹中政治は、派遣労働の範囲を製造業にまで広げた。セーフティネットを強化しないまま、企業の人件費削減を支援した。
 2008年末、サブプライム危機に伴う不況に見舞われた日本の製造業は、一斉に派遣雇用を削減した。セーフティネットに支えられない労働者は、日比谷公園の「年越し派遣村」で露命をつないだ。

 世界経済の環境変化と市場原理に軸足を置く経済政策、そのなかでの企業の人件費削減によって、日本社会には重大な構造変化が広がった。所得分配に劇的な変化が生じたのだ。きわめて厚い中間所得層が日本社会を特徴づけてきたのだが、これが消滅し、ごく少数の高所得者層と圧倒的多数の低所得者層への二極分化が急激に進行した。

 2009年8月の政権交代に求められたのは、日本社会の二極分化=市場原理主義の台頭=新自由主義経済政策に対する見直し、修正だったのは間違いない。
 民主党の内部には、①米・官・業利権複合体による日本政治支配を維持しようとする勢力と、②この基本構造を刷新して新たに国民主導の体制を構築しようとする勢力が同居している。政権交代が実現したとき、民主党を主導したのは②だった。
 政権交代当時の民主党は「国民生活が第一」のスローガンを前面に掲げ、弱肉強食社会ではなく共生社会を指向する方針を明確にしていた。日本の社会保障は高齢者や医療・保健分野への支出規模が北欧福祉国と比べて遜色がないのに対して、家族と失業に対する支出が著しく少ない。この意味では、新政権が子ども手当や高校授業料無償化などの政策を重視したことに正当な理由があった。
 ところが、こうした政策は「バラマキ」だ、との批判が強まった。2010年の菅政権発足後には主導権が①に移行し、民主党政権自身がこうした政策を自己否定する傾向を強めている。
 野田佳彦が政権を引き継いで以降、民主党政権の基本的性格はより明確に①の市場原理主義の方向に回帰し始めた。法人税減税、TPPへの積極姿勢、消費税大増税がその証左だ。

 【注】「【経済】「億万長者激増=景気低迷原因」説 ~日本に5万人の億万長者~

 以上、植草一秀(経済評論家)「弱肉強食か共生か 政界再編が必要 米・官・大資本支配から脱却を」(「週刊金曜日」2011年11月18日号)に拠る。
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