語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【経済】伊東光晴の、TPP参加論批判

2011年11月08日 | 社会
 2006年、シンガポール、チリ、ブルネイ、ニュージーランドの4ヵ国が環太平洋経済連携協定(TPP)を締結した。これにペルー、オーストラリア、ベトナム、マレーシアが加わり、米国も参加表明した。協定は24項目で多岐にわたるが、その中心は関税にある。

●国際貿易ルール ~GATT/WTO~
 「ヒト・モノ・カネ」の移動に係る貿易ルールを議論する場は世界貿易機構(WTO)だ。TPPではない。上記9ヵ国に世界のルールを決める権限はない。
 WTOは、戦後世界経済のルールを定めたGATTを引き継ぐ。GATTと国際通貨基金(IMF)は、世界市場をめぐる列強間の争いが第二次世界大戦を運だことへの反省から、そうしたことが再び起こらないようなルールとして構想された。3つの原則がこれを支える。
 (1)多国間あるいは多角的調整。時間がかかってもよい、急激な変化はかえって国内で軋轢を生む、という考えがここにある。
 (2)内国民待遇。自国のヒト・モノ・企業に与える自由を他国のヒト・モノ・企業に与え、差別しない。GATTに自由化という言葉はない。こうした状態に近づけるよう、多国間調整で、時間をかけて努力するのだ。この原則が守られる限り、国々が制度・文化・法律・習慣等が異なっていようとも両立できる。他方、一国の制度規制等と同じものを他国に要求する相互主義(米国がある段階から主張しだした)グローバリズムは、これと異なる考え方だ。多様性を認めない。逆に、内国民待遇の原則は多様性を認める。
 (3)赤字国自己責任調整。通常は、緊縮財政と金融引き締めだ。
 GATTは、主として製造業の製品への適用として、(1)と(2)のルールが想定されていた。
 農業は自然条件による差が大きい。その差は、関税や輸入量規制で調整すればよい、と考えられていた。新古典派は前者を、ケインズィアンは後者を求めた。米国は、ケインズィアンの考えに立ち、ウェーバー条項(GATT25条5項)によって米国に弱いと思われる農産物(酪農製品・砂糖・落花生など)を輸入制限する権利を取得した。
 GATTからWTOに変わることによって、自然条件の差を調整するのは関税だけにそろえるようになる。これが原則だ。
 WTOは、2007年7月、大筋合意寸前に米国とインドの対立で決裂した。11年1月、関係閣僚会議などで交渉を再開し、今年こそはと考えられている。世界はこの会議を注目している。日本はTPPに参加表明することで、米国といっしょになって新しいヒト・モノ・カネのルールを作り、ドーハ会議をぶち壊す意図があるかと疑われる。
 ちなみに、TPPのルールはすでにできている。いまからルール作りに参画することはできない。

●米韓自由貿易協定
 韓国はTPPに入っていない。国内農業を守るためだろう。
 日本からと韓国からの関税格差が米国で生じるのは、米韓が自由貿易協定(FTA)を締結したためだ。重要なのは次の4点だ。
 (1)コメとその関連製品は対象外。米国にとってミニマム・アクセスで充分だった。
 (2)高関税品目(大豆487%・馬鈴薯304%)はミニマム・アクセスを課し、一定量の輸入を義務づけ、毎年3%ずつ増量。
 (3)肉類とその加工品は一定期間を経て関税撤廃。
 (4)果物、野菜は詳細な条件を設定。<例>リンゴはふじ類とその他を区別、タマネギ・長ネギは生鮮と冷凍を区別。
 注意すべきは2点だ。
 (a)ミニマム・アクセスの意味だ。無税で一定量の輸入を義務づけ、次年度以降増量していく。例えばコメならその自給率を高めることはできない。他方、関税で自然条件の差を調整したのであれば、農民の努力と政策いかんによってコストが価格が下がり、自給率を高めることができる。
 (b)韓国は、この交渉と結果から、「国内農業をある程度切り捨てるのはやむをえない」という考えに立ったらしい。2国間交渉による力の論理(戦前への反省からGATTが否定した)が働いた。

●日本経済にとって最大の問題=円高
 米国の関税の有無の違いがもたらす将来の、日本の韓国に対する競争力の低下よりはるかに大きいのは、現に起こっている為替率の問題だ。
 円とウォンの比は、2006年を1対1とすると、2010年は1対0.54だ。これが韓国工業製品の競争力が増大した最大の要因だ。質に勝る日本の乗用車が、韓国の乗用車にわずかな関税差で敗れるはずはないのだ。
 円高が利益率に響いているのは確かだが、なぜ財界のトップは自分たちの製品についてわずかな関税差を問題にし、すぐれた日本製品は質で他を引き離す、と言わないのだろうか。

●日本の農業vs.海外の農業
 農業の担い手育成や農地集約、規模の拡大はTPPの対抗策として有効でない。
 オーストリアの水田は、1区画100ヘクタール。それが5区画で輪作する。水田の肥沃土は高くなり、有機質も十分だ。米国はもっと大規模で、300ヘクタールはある。日本は目標が10ヘクタール。この規模の差が生産コストの大きな差になってあらわれ、円高がそれに追い打ちをかける。
 畜産も同様で、ヨーロッパとの競争ならできるが、米国とはできない。
 農地の広さという自然条件に依存しない果物や野菜の分野では充分競争力があり、日本のほうがはるかに質がすぐれ、輸出可能なものも多くある。農業のすべてが自由化に耐えられないわけではない。しかし、自然条件が大きく違う稲作と畜産は、その差を関税で調整するという戦後貿易ルールを適用する以外ない。

●あるべき農業政策
 日本の農業政策は、国際的な交渉の場で誤りをおかした。ウルグアイ・ラウンド農業合意(1993年12月)で導入したミニマム・アクセスだ。
 次の事実は、一般に知られていない。米国はEUの豚肉輸入について、ミニマム・アクセスを課そうとした。EUは、牛肉、鶏肉、豚肉を合計し、肉類として、肉についてEUは充分な量(3%)を輸入している、と米国の要求を一蹴した。この伝でいけば、日本も小麦などの穀類を充分輸入しているからミニマム・アクセスを導入する必要はなかった。
 コメが余っている日本にコメを輸入させ、年々増量させる。これが米国の戦術だ。なぜ国際ルールに従って関税化しなかったのか。
 米国は、おそらく日本のTPP参加なぞ本心では期待していない。対日要求の本音は、日米FTAだ。その主要な目的は、高関税品目へのミニマム・アクセスであり、コメは交渉からはずす、というのが米国の予定の行動だろう。それで日本を引きこむ。それが米韓関係から予測できる。
 たしかに、コメをはじめ一部の農産物の関税は高い。しかし、平均を見ると、わが国は低い。農産物の平均関税率は、EU20%弱、日本12%、インド124%、タイ35%、米国6%だ(2000年)。全商品で見ると、日本3.3%は、米国3.9%、EU4.4%より低い(2003年)。
 だから、日本にとって大切なのは、全世界の国と地域が一堂に会して議論するWTOの場だ。そこで農業を守るしかないし、そこでなら守れるのだ。
 やってはならないのは、日米2国間交渉だ。それをやれば、米国は一方的な要求をしてくる。90年代の日米構造協議に至る日米交渉がそれを物語る。

●農業保護と国民負担
 GDPに占める農業所得の割合は、先進国はいずれもそれが1%程度だ(例外はカナダとオーストラリアの3~4%台)。英国は約0.8%、日本は1%強で高いほうだ。ちなみに、米国は個人所得のうち農業所得が0.71%だ。
 にもかかわらず、EUも米国も農業に手厚い政策を行っている。なぜか。農業が占める重要性だ。シンガポールのように食糧生産を放棄した国は、先進国の中には一つもない。英国とて自給率を高めている。一産業だけで1%の所得というのは大きな比率だ。それが食という国民の大本を支え、その国の風土を支える。
 ウルグアイ・ラウンド農業合意以後、毎年1兆円が構造改善の名で支出された。が、それで高関税農産物の国際競争力は高まっていない。その財政支出は土木建設業に投入され、主として農業以外をうるおしたのだ。

 以上、伊東光晴「戦後国際貿易ルールの理想に帰れ(上) ~TTP批判~」(「世界」2011年5月号)及び同「戦後国際貿易ルールの理想に帰れ(下) ~TTP批判~」(「世界」2011年6月号)に拠る。
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