1999年2月、トルコの総理府出版管理局長から、新しい報告書作成の依頼が入った。
著者は、次のような内容を盛りこんだプランをたてた。
(1)「方言」の定義
「方言」と「言語」の区別は、言語学上のものではなく、政治的・社会的なものである。
中央アジアのカザフ語、ウズベク語などは「トルコ語と同起源の別言語と見なすのが世界の常識である。これらを「トルコの方言」と呼んでいるのは、トルコ共和国(及び北キプロス・トルコ共和国)のみである。
(2)「トルコ語」の定義
トルコ以外の国の言語学者は、起源を同じくするトルコ語、アゼリー語、トルクメン語、ウズベク語、カザフ語、ヤクート語などの諸言語の総称として、他と紛れることのない用語を使う。英語にはターキック、ロシア語にはテュルクスキー、日本語にはチュルク諸語という専門用語がある。
他方、「トルコ語」を意味する英語にはターキッシュ、ロシア語にはトゥリエッキー、日本語にはトルコ語がある。専門用語とは別語である。混同は生じない。
しかるに、トルコ語では、テュルクの一語を「トルコ語」と「チュルク諸語」の両義に用いている。二つを区別する新しい用語を早急に造りだす必要がある。
(3)ウラル・アルタイ語族説
「ウラル・アルタイ語族説」は、まだ証明されていない作業仮説である。ただし、「ウラル」の部分に相当する「フィン・ウゴル語族」(または「ウゴル語族」)は証明できている。
しかるに、トルコの「言語学者」たちは、「ウラル・アルタイ語族」という用語を証明済みであるかのように使っている。しかも、この語族に朝鮮語や日本語を含めている。
(4)「クルド語」
トルコ共和国以外の国では、クルド諸語(=クルマンチュ語、ソーラーン語など)は印欧語(インド・ヨーロッパ語族に属する言語)であるとする。
しかるに、つい最近まで、トルコ共和国では「クルド語という言語は存在しない」とされてきた。トルコの「言語学者」は、この主張が虚偽であることを知りつつ、クルド語が「トルコ語にアラブ語とペルシャ語の語彙が多数入ったもの」と主張してきた。
かくて、トルコ言語学は存在しない、というのが世界の常識となった。
著者は、「ザザ語はクルド語の方言ではない」ことをさまざまな機会に発表してきた。同じことをトルコ国民が言う場合より日本人が言うほうがはるかに信頼性が高い。滑稽で奇妙な事態だ。かかる事態をもたらした元凶は、「トルコ共和国は多言語・他民族国家である」ことを認めようとしなかったトルコ政府歴代の政策である。
【参考】小島剛一『漂流するトルコ -続「トルコのもう一つの顔」-』(旅行人、2010)
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著者は、次のような内容を盛りこんだプランをたてた。
(1)「方言」の定義
「方言」と「言語」の区別は、言語学上のものではなく、政治的・社会的なものである。
中央アジアのカザフ語、ウズベク語などは「トルコ語と同起源の別言語と見なすのが世界の常識である。これらを「トルコの方言」と呼んでいるのは、トルコ共和国(及び北キプロス・トルコ共和国)のみである。
(2)「トルコ語」の定義
トルコ以外の国の言語学者は、起源を同じくするトルコ語、アゼリー語、トルクメン語、ウズベク語、カザフ語、ヤクート語などの諸言語の総称として、他と紛れることのない用語を使う。英語にはターキック、ロシア語にはテュルクスキー、日本語にはチュルク諸語という専門用語がある。
他方、「トルコ語」を意味する英語にはターキッシュ、ロシア語にはトゥリエッキー、日本語にはトルコ語がある。専門用語とは別語である。混同は生じない。
しかるに、トルコ語では、テュルクの一語を「トルコ語」と「チュルク諸語」の両義に用いている。二つを区別する新しい用語を早急に造りだす必要がある。
(3)ウラル・アルタイ語族説
「ウラル・アルタイ語族説」は、まだ証明されていない作業仮説である。ただし、「ウラル」の部分に相当する「フィン・ウゴル語族」(または「ウゴル語族」)は証明できている。
しかるに、トルコの「言語学者」たちは、「ウラル・アルタイ語族」という用語を証明済みであるかのように使っている。しかも、この語族に朝鮮語や日本語を含めている。
(4)「クルド語」
トルコ共和国以外の国では、クルド諸語(=クルマンチュ語、ソーラーン語など)は印欧語(インド・ヨーロッパ語族に属する言語)であるとする。
しかるに、つい最近まで、トルコ共和国では「クルド語という言語は存在しない」とされてきた。トルコの「言語学者」は、この主張が虚偽であることを知りつつ、クルド語が「トルコ語にアラブ語とペルシャ語の語彙が多数入ったもの」と主張してきた。
かくて、トルコ言語学は存在しない、というのが世界の常識となった。
著者は、「ザザ語はクルド語の方言ではない」ことをさまざまな機会に発表してきた。同じことをトルコ国民が言う場合より日本人が言うほうがはるかに信頼性が高い。滑稽で奇妙な事態だ。かかる事態をもたらした元凶は、「トルコ共和国は多言語・他民族国家である」ことを認めようとしなかったトルコ政府歴代の政策である。
【参考】小島剛一『漂流するトルコ -続「トルコのもう一つの顔」-』(旅行人、2010)
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