語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】聞き書きの傑作、『きつねうどん口伝』 ~元祖・プロフェッショナル仕事の流儀~

2010年11月23日 | 社会
●はじめに(抄)
 私の世代は、戦争があったり、世の中がガラリと変わったりで、実にいろいろなことを体験しました。
 しかし変わらんのは「うどんという食べもんは、百点満点やと窮屈でおいしいない」ということなんです。百点満点の腕を持ちながら、どこかを引くことで、九十点か八十五点の味をお出しする。これやと「我」もでまへん。
 百点は誰でもつくれるけど、それを引く方がむずかしい。うどんみたいな大衆的なもんは最高の味やと真一には食べられへんのです。

●序章  きつねうどんの誕生(抄)
 「きつねうどん」いうても、今では全国にいろんな味がおます。しかし大阪の「きつねうどん」はあっさり、こってり、まったりが三位一体になった「はんなり」した味が出てないとあきまへんな。
 「あっさり」は、口に入れた時そこはかとのう上品に感じる味。「まったり」は、深いコクとなめらかな舌ざわり。「こってり」は、口に残るしつこさがありながら全体にあっさりして余韻のある味。関西のうす味ちゅうのは、この三つの味がうまく調和してるんですな。

●第一章 うどんとだし(抄)
 船場では昔から、「天水」という雨水をろ過したものでだしを引く方法があります。今の雨水はあきませんけれど、昔の雨水はにおいがなく、桶に集めておだしを取ると、とてもおいしかったんです。天水は八方美人。その人その人に会うような性質を持っています。
 この天水に昆布、砂糖、塩などの材料を入れて、自然発酵させます。一晩置くと発酵しますのでそこへ薄口醤油を入れ、直火にあてずに、そのまま湯せんするんです。濾してからも湯せんします。これがいちばんおいしいでんな。

●第二章 うどんの合縁気縁(抄)
 今のおじやうどんは戦時中ものとは違い、具もいろいろ入っております。もちろんご飯もおうどんと添うよう吟味して、岡山の朝日米を使(つこ)うております。
 このお米はササニシキやコシヒカリの品種の元になっているお米で、おいしいですよ。これ一升に佐賀県のもち米をひと握り加え、お酒を入れて圧力釜で炊くんです。
 南部の鉄鍋にうどんのおだしとお酒を入れ、ご飯とうどんを加えて、あなご、鶏肉、焼きどおし、大分産のどんこ椎茸、細かく切ったおあげさんを入れてサッと煮て、仕上げに根深ネギを散らせ、甘酢生姜をあしらい、卵を一個割り入れます。
 甘酢生姜は、寿司屋のガリよりちょっと濃いピンク色をしています。この甘酢生姜が出来るまではほんとうに苦労しました。あと口をさっぱりさせるための生姜ですから、酸っぱすぎても辛すぎてもようないんです。彩りもそうで、これより濃くても薄くても、おじやうどんには合いません。それで今は、高知県の安芸郡でとれる土生姜を農家で漬けてもろてるんです。
 おじやうどんにサワラと大阪の泉南沖で獲れる活シラサエビを入れたんが「大阪おじやうどん」、エビの天ぷらを入れたんが「天麩羅おじやうどん」、ほかに季節によって旬のカキを入れたものなどもつくっております。

●第三章 素材の本質を知る(抄)
 こうまでしてなんで材料を吟味するかと申しますと、ええもん使うたら余計な材料いりませんし、かえって経済的やからです。それが船場の商いというものなんです。

●第四章 仕事と道具(抄)
 私たちプロはお味にこだわると同時に、仕事のしやすさということを大切にせんとあきません。それは手を抜くということとは違います。手を引くということなんです。
 つまりええ材料を使うと量が少なくてすむ。技術を磨き、手順を考えることによって、同じものをつくるにも時間をかけないですむ、ということなのです。上手な引き算をするには、自分の片腕となる道具のことを考えんとあきまへん。

●第五章 船場の思い出(抄)
 昆布はだしを取ったあとためておいて、醤油で炊きます。かつお節がついてたら、ちょっと水で洗(あら)て陰干ししといて、ある程度たまった時、色紙切りにして炊き上げるんです。
 味つけはお醤油だけで結構です。弱火で一時間以上炊きましたら、おいしく出来上がります。
 ええもんを使(つこ)てたら、最後まで生かすことができて、結局は得なんです。大阪の人はケチやといわはりますけど、贅沢するところと、始末するところを、しっかり考えているんです。

●第六章 出会い、そして今(抄)
 座禅をしたことによって人生観が大きく変わりました。
 それまではどちらかというと恵まれた生活をしていましたし、本当に店を継ぐかどうかまだ決めておりませんでした。全然違う全の世界を初めて知り、禅の修行を通じてうどん屋をやりと思いました。うどん屋も修行、つまり起きてから寝るまで、物との出会いの修行なんです。例えば、今日うどんを打つ小麦粉と昨日の小麦粉とは、おなじ袋の物でも出会いが違うんです。
 毎日毎日が新しい出会いなんです。そう思うと心を引き締めてうどんを打たないかん、その時その時を賢明にやることが大切になる訳なんです。このように、自然の大切さを禅を通して感じたことが多いと思います。

【参考】宇佐見辰一(三好広一郎/三好つや子・聞き書き)『きつねうどん口伝』(ちくま文庫、1998)
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