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お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

いのち毎日新しい

2012年09月14日 | 仏教
 「佐賀仏教讃歌の会」のテーマソングになっているのが

 仏教讃歌「いのちまいにちあたらしい」(作詞:喜多内十三造 作曲:林秀茂)

 歌詞をご紹介します

 朝に朝なに 日が昇るように
 いのちの山にも 日が昇る
 みほとけの
 光あふれて 力みなぎり
 今日のつとめを 果たす喜び
 ああ いのち ああ いのち
 いのち まいにち あたらしい
 いのち まいにち あたらしい


 夕な夕なに 星が降るように
 いのちの海にも 星が降る
 みほとけの
 願い静かに 胸にひろがり
 今日のひと日を かえりみる時
 ああ いのち ああ いのち 
 いのち まいにち うつくしい
 いのち まいにち うつくしい

 
 東北被災地で、皆さんと共に、この歌を3,4回ほど、歌いましたが
 私は、その度に、胸がいっぱいになり、涙があふれました。

 さて、佐賀仏教讃歌の会 主催の

 第22回 仏教讃歌コンサート
日時:10月20日(土)午後1時~
会場:神埼市千代田町の「はんぎーホール」

入場は無料です。

 毎回、コンサートの終わりに、会場一体となって、「いのちまいにちあたらしい」を
歌います。どうぞ、聴きにおいでください

 
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天地明察

2012年09月13日 | 雑感
 もう一週間前になりますが、9月6日夜

 佐賀新聞社「ひびの」主催の映画天地明察の試写会へ

 第4代徳川家綱の時代、プロの囲碁棋士であり、天文学に秀でた安井算哲が、それまで使用していた、唐から伝わった暦・宣明暦に代わり、初めての日本の暦「大和暦」を作り、朝廷に認められるまでが、描かれています。

 当選ペアチケットなので、夫と二人で行きましたが

 私は、囲碁天文学数学も(まあ、これに限らず、何事にも)疎いので、
「ふ~ん、そういうものか~」と、ストーリーを楽しむのみでしたが

 囲碁好きの夫にとっては、有名な本因坊道策との囲碁シーンもあり、面白かったようです。
 天文学、数学の得意な方は、もっと、もっと楽しめる映画なんだろうな・・・

 何事も、好きなことに没頭し、努力する姿は、美しい 

 宇宙の中に生かされながら、小さな自我に固執するのは、愚かしい

 そう、あらためて思う、映画「天地明察」でございました。 
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東北支縁ツアー その9 帰路

2012年09月12日 | 行事・案内
 別行動だった1号車と、東北新幹線 (岩手県)一ノ関駅で合流。

 帰路は、やまびこ58号に乗車。54名、おそろいの「ひとりじゃなかもん」Tシャツ姿で、ゾロゾロ、東京駅から山手線で浜松町、モノレールで羽田へ、と移動。

 

 
 ひよこが親鳥についてゆくように、一列で移動。班長さんが点呼を繰り返し、一般客の邪魔にならないよう一番端の車両に乗車。それでも田舎のオバサンゆえ、ご迷惑おかけしたと思います。
 乗り合わせた都会の皆さま、すみません

 羽田から佐賀空港へ。無事帰着。こうして、2泊3日の旅は、終わりました。

 天気に恵まれました。(東北は涼しくありませんでした・・・佐賀と同じ焼けつ日差しと暑さでした)

 8月末に、宮城で震度5の地震がありましたので、余震を覚悟して行きましたが、揺れることもなく・・・誰一人、体調不良も怪我もなく・・・私たちにとっては好都合に終わりました。

 果たして、支縁(支援の「縁」をつなぐ)のお役にたてたのか、単なる自己満足の支縁だったのか、わかりませんが、
 
 私自身は、今回、佐賀教区の素晴らしい方々と同行させていただくご縁に恵まれ、文字通り「有ることが難しい」=有難い体験をさせていただきました。
 
 「ひとりじゃなかもん

 みんなつながって、みんな助け合って、思いやって・・・
世界に誇る日本のこころを大切に生きてまいりたいと思います。

 
 
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東北支縁ツアー その8(陸前高田)

2012年09月12日 | 行事・案内
 気仙沼(鹿折地区)から 岩手県 陸前高田へ。

 「奇跡の1本松」が見える高台にて、現地のボランティアの方が、震災前の写真を示しながら、(初めて訪れた私にもわかるように)お話くださいました。
 
 震災前は、海水浴客で賑わう美しい浜辺と、その後ろに、松林(7万本)が続く、景勝地だったそうです。
 その広大な松林が、10mを超える大津波でなぎ倒され、端っこに立っていた1本だけが、倒れずにポツンと残った。

 復興のシンボルとして、何とか保存しようと、地元の方々のご努力が続きましたが、枯れてしまい、そのままの保存がかなわず、切り取って保存されることになりました。
 私の聞き間違いでなければ、きょう切り取り作業が行われるのではないかと・・・
 
 切り取り後の保存に、なぜか1億5千万円も費用がかかるそうで、私たち佐賀から伺った者も、わずかばかり募金に協力させていただきましたが・・・

 私個人の気持ちとしては、
 「奇跡の1本松」は、震災後、復興のシンボルの役目を充分果たしてくれた。(日本人のこころに残っています)
 
 その雄姿は、写真に、絵画に、物語に保存して、後世に伝え、

1億5千万円は、もっと他のことに活用なさったほうがいいのではないかと・・・
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東北支縁ツアー その7(南三陸~気仙沼)

2012年09月10日 | Weblog
3日目

 ホテルから近い、南三陸防災庁舎へ。(↑写真)
 最後まで、無線で避難を呼びかけ続けた、若い女性職員さんが亡くなられた所です。その女性職員さんのみならず、若い職員さんが41名亡くなられています。

 3階建ての庁舎ですが、その屋上の床面から、さらに2mの高さ(下から12m)まで津波が押し寄せたと聞きました。

 今は赤い鉄骨だけが立っています。

 廃墟となった庁舎前には、荘厳壇があり、一同で、おつとめ、お参りさせていただきました。

 防災庁舎お参りの後は、バス2台、2コースに別れて、
1号車は、毛越寺、中尊寺観光へ。
2号車は、気仙沼、陸前高田訪問へ。

 私は2号車乗車。




 ↑写真は、気仙沼の住宅地に打ち上げられた第18共徳丸。

 この船は、現在も、そのまま保存されています。
 この船の下には、乗用車が潰れてめり込んだまま・・・引き出すと船が倒れるので、そのままになっているのだそうです。

 すぐ近くには、仮設の店舗が並んで営業されています。




 ↑写真は、気仙沼産の魚加工品。仮設店舗で、お土産(夫の酒の肴)に買って帰りました。

 福島原発から、あれほど大量に太平洋に流出した放射能汚染が全く気にならない・・・わけではありません。どれほど魚介類が汚染されているのか、それとも全く心配ないのかも、よくわかりません。ただ正直、若い者には、あまり食べさせたくありません。
 でも、夫や私の年齢になれば、神経質にならなくても、いいんじゃない・・・と思います。
 年寄りこそ、東北被災地応援のために被災地のものを買う

 特に、東京電力や国会議員の年配の方々には、東北被災地の魚や、福島産の農産物をどんどん食べていただきたい・・・と思います。

 
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東北支縁ツアー その6(南三陸)

2012年09月10日 | 行事・案内
 2日目の続きです。

 大川小学校を訪問、お参りさせていただいた後、南三陸の宿泊ホテルへ。

 そのホテルは、2階まで津波被害があったそうですが、5階にロビー、6階以上が宿泊施設のため、被害は2階の入浴場、露天風呂などにとどまったと聞きました。(今は、キレイに修復されています)
 
 震災直後は、住民の方を受け容れておられたホテルです。 
 大きなホテルですが、現在も連日、ボランティアや観光客で満室だと伺いました。
 
 とても美味しい海の幸のお料理をいただいた後、

 午後8時から、ロビーで(白いピアノがあり)
佐賀が誇る声楽家で龍谷短期大学教授のS・J先生のミニコンサートを含め、仏教讃歌や一般の曲を1時間ほど歌わせていただきました

 宿泊者のみならず、地元の方もイベントを見においでになる と、伺っていましたが
どれほどお集まりくださるのか不安でした。

 でも、ロビーいっぱいに聴きにきてくださり、会場一体となって、盛り上がりました。
宿泊客の諸氏飛び入りで、一緒に「上を向いて歩こう」を歌ったりしました。

 その様子は、南三陸 ホテル観洋 のHPのブログにご紹介くださっています。

 

 

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東北支縁ツアー その5(石巻・大川小学校)

2012年09月09日 | 行事・案内
 称法寺さんの後、

 全校生徒108名のうち74名、教職員10名が犠牲となられた
石巻市立大川小学校へ。

 大川小学校が、海沿いの小学校ではなく、北上川河口から4㎞も上った川沿いの小学校だったことを現地に行って知りました。(橋は全て流され、今は仮設の橋がかかっています)
 

  

 校舎は、おしゃれな作りだったと拝察します。今は、無惨な姿で残っています。

 
 周辺は何も残っていないので、まるで小学校だけがポツンと建っていたかのような錯覚をしますが、周辺の家屋は全部流されてしまったため、そう見えるのでした。

 なぜ、校庭にとどまり、避難がおくれたのか・・・今なお、捜査が続いているそうです。
 
 小学校のすぐ裏に山がありますが、幼い子どもが、簡単に上られそうな山ではないように感じました。(階段も道もない、つまり避難を想定してない山) 当日、積雪もあったそうです。
 住民の方も、ここまで津波が来ることを全く想定しておらず、大川小学校が住民の避難場所であったことも知りました。

 校舎の前には、石碑が建ち、荘厳壇があります。明るい向日葵や季節の花々で飾られています。(↑写真)

 一同で「重誓偈」をおつとめ、お参りさせていただきました。涙、涙でした。
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東北支縁ツアー その4(石巻)

2012年09月09日 | 行事・案内
2日目の続きです。

仮設集合住宅訪問後、

 石巻の浄土真宗本願寺派寺院で壊滅的被害を受けられた称法寺さんにお参りさせていただきました。
 
 前日訪問した仙台市内は、元の沿岸部の町並を知らない者にとっては、きれいにガレキが撤去されているため、高速道路の車窓からながめる限り、ただ、延々と、何もない広大な土地が広がっているだけのように見えます。
 そこに、日常生活があったこと・・・町が、集落が存在したことが、わからないほど、何もありません。

 でも、石巻の称法寺さん周辺は、まだまだ、生々しい・・・酷い状況です。
 流入物は撤去されていますが、今も臭います。

 土台だけ残った家屋の跡が続き・・・人々の日常生活が全て破壊、流されたことを実感します。
 
 脇道には、小さな散乱物が残っていて、金属やガラス片に混じり、片方だけのハイヒールや子どものおもちゃが転がっていたりします。(持ち主は、ご無事だったでしょうか?・・・)

 称法寺さんは、石巻市立病院(今は廃墟)の目の前で、すぐ近くに、大きな日本製紙石巻工場(現在は操業中)があります。

 称法寺さんは、本堂の中が何もない、建物だけが、かろうじて立っている状態です。
ご門徒さんのお墓も散乱したまま・・・

 私たちは、門徒会館にお参りさせていただきました。
 納骨室に、ずらりと並んだお骨・・・「不明」と書かれた骨箱もありました。

 ご住職には、身心疲労困憊しておられる中、お話を聞かせていただきました。
本当に言葉にできません。 南無阿弥陀仏


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東北支縁ツアー その3(名取)

2012年09月08日 | 行事・案内
 1日目 仙台別院、専能寺さんに、お参りさせていただいた後は、松島の大きなホテルに宿泊。(高台のホテルなので被害はなかったそうです)

 2日目 バス2台に分かれて、

1号車は、名取
         の 仮設集合住宅を訪問
2号車は、石巻

 私は、名取市(仙台空港があるところ)の集合住宅を訪問させていただきました。

 集会所にお集まりくださった方々と共に(歌詞カードを配布して)
あまり宗教色の強くない歌詞の仏教讃歌や一般の曲を歌いました。




 途中、一同で皿回しに挑戦して、大笑い
いっぺんに場が、うち解けました。


 これは、佐賀教区仏婦連盟委員長のKさんのアイデアで、佐賀から持参くださったものです。
 落としても割れない紙皿 と、鉛筆削りで先を尖らせた菜箸での皿回し。

(1日目の夜、Kさんと同室だった私たちは、皿回しの練習をして、午前0時過ぎまで盛り上がっていました。ドジで不器用な私も要領がわかると、回せるようになりました




 コーラスの後は、佐賀のお菓子と共に、お茶の先生(G寺ご門徒さん)がご用意くださったお抹茶を点てて、召し上がっていただきました。もちろん佐賀の嬉野茶の煎茶も。

 私たちは、おそろいの「ひとりじゃなかもん」Tシャツ姿です。

 名取の被災者の皆さんは、明るくふるまってくださって、
「お礼に・・・」と言って、ご当地の歌と踊りをご披露くださいました。最後は「炭坑節」の振りを説明して、名取の皆さんと共に、一同で踊りました。

 ちょうど巡回に来ていた宮城県警の若いイケメン警察官お二人もニコニコ見守ってくださいました。

 私たちの(自己満足にすぎない)訪問にお付き合いくださいました皆さま、ありがとうございました。

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東北支縁ツアー その2(仙台)

2012年09月07日 | 行事・案内
 仙台別院に参拝後、地震・津波により甚大な被害を受けられた
仙台市内の本願寺派寺院 専能寺さんを訪問、お参りさせていただきました。

 

 ↑ 写真は、境内の流され、見つかった梵鐘。親鸞聖人の像も斜めに・・・


 ご住職の調声で一同「重誓偈」をおつとめ
ご住職から、震災被害~今日までのお話(本堂の中まで「太平洋になってしまった」こと、多数のご門徒さんが亡くなられたこと、直後にかけつけてくれた仏具業者さんや友人の僧侶方、その他、多くのボランティア作業・支援により、ここまで復興できたこと等)を伺い、その状況を映像にまとめたビデオも見せていただきました。

 また、門徒総代さんが、ご挨拶くださり、
ご家族は無事だったものの、家屋全て流され、食事をする箸1膳すらない状況から、生きていかねばならなかった話、全国の支援に感謝なさる言葉を聞かせていただきました。

 本堂では、仏教讃歌を数曲「ひとりじゃなかもん」「いのちまいにちあたらしい」など歌わせていただきました。歌いながら、涙で声がつまりました。

 様子は、専能寺さんのブログにて、写真入りで紹介いただいています。

 専能寺さんは、連日、全国から、訪問者をお迎えのようです。
 お疲れのところ、参拝させていただき、ありがとうございました。
 坊守様、仏婦の方々には、お茶接待まで、ご迷惑をおかけいたしました。申し訳ございませんでした。

 
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