夏の疲れか、アレルギー薬のせいか・・・血の巡りの悪い頭がますます働かず・・・運転時は、テンション上げるため、底抜けに明るい東京スカパラのCD聞きながら走っています。
昨夜は、「天国と地獄」をボーと見ていました。
今、市立図書館で見つけた 菊村紀彦著「地獄と極楽」雄山閣出版 を大変味わい深く拝読しているところです。
その中で「地獄」について、こう書かれています。p160
やはり人間、やってきたことだけしかでてきません。ぱあっと値段が上がる株のようなものではないんです。やっぱり、やってきたことしかでませんよ、結果は。それが業というものなんです。因縁というのは自分が作るんです。だから二足す二は四であって五ではない。一でもない。こういう非常に合理的な世界が地獄なんであります。
倫理的、道徳的抑止力としての「地獄」について
「有りという人には地獄は無かりけり、無しを思える人にこそ有れ」という道歌を紹介されています。
「地獄はあるから、悪いことをしない」と思うことは
結果的に(道徳的な)悪行を抑止,
自ら悪を実感し、悪を恥じて、悪を作ろうとしないならば、そこには、すでに地獄はないわけで・・・
「地獄なんてあるわけないじゃん」「バレなきゃいいじゃん」と「悪」の自覚もなく、悪業を重ねていくなら、自分でますます地獄を作り上げてゆくことになる と、いうことでしょうか。
昨夜は、「天国と地獄」をボーと見ていました。
今、市立図書館で見つけた 菊村紀彦著「地獄と極楽」雄山閣出版 を大変味わい深く拝読しているところです。
その中で「地獄」について、こう書かれています。p160
やはり人間、やってきたことだけしかでてきません。ぱあっと値段が上がる株のようなものではないんです。やっぱり、やってきたことしかでませんよ、結果は。それが業というものなんです。因縁というのは自分が作るんです。だから二足す二は四であって五ではない。一でもない。こういう非常に合理的な世界が地獄なんであります。
倫理的、道徳的抑止力としての「地獄」について
「有りという人には地獄は無かりけり、無しを思える人にこそ有れ」という道歌を紹介されています。
「地獄はあるから、悪いことをしない」と思うことは
結果的に(道徳的な)悪行を抑止,
自ら悪を実感し、悪を恥じて、悪を作ろうとしないならば、そこには、すでに地獄はないわけで・・・
「地獄なんてあるわけないじゃん」「バレなきゃいいじゃん」と「悪」の自覚もなく、悪業を重ねていくなら、自分でますます地獄を作り上げてゆくことになる と、いうことでしょうか。