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お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

蓮如上人

2007年06月08日 | 仏教
 本山から各教区教務所へ、佐賀教務所から各組長さんへ、組長(そちょう)さんから各寺へFAX連絡。

 それによると、 NHK「その時歴史が動いた」6月20日(水)午後10時~で 蓮如上人について、番組放送されるそうです。 ゲストは、五木寛之さん

 と言うことなので、「蓮如上人」って、誰  という方のために、予習を兼ねてのご紹介です。

 ちょっと、時代は戻りますが、先日ご紹介した1262年の親鸞聖人の死後から始めます。
 
 聖人の晩年、身内で一番身近にいたのは、末娘(7人兄妹の末っ子)の覚信尼(かくしんに)でした。聖人の逝去後の諸般は、覚信尼が取り仕切ったと思われます。
  聖人のお墓は、最初、簡素なものでしたが、聖人を慕う門信徒が、大勢墓参りに訪れる・・・そこから、10年後、門徒共同事業として、東山大谷に聖人の「大谷廟堂」が建立されます。
 
 その「留守職(るすしき・管理者)」として、覚信尼、その後は覚信尼の子孫が就任、役目を果たすことになります。
 これが、本願寺の始まりです。

 それから、時は流れ・・・1415年、7代存如宗主の長男として蓮如上人が誕生した頃、本願寺は、不振、困窮。
 真宗の門徒はいたのですが、本願寺を中心に・・・ではなく、地方教団として関東・東海は専修寺派、西日本は仏光寺派が盛んだったらしい。

 蓮如上人が生まれた1415年は、室町時代、4代将軍足利義持の頃。
 少年期には、飢饉、伝染病で苦しむ飢えた民衆の「土一揆」がおこっていた。
 
 蓮如上人は、父・存如が正妻を迎える前の、下働きの女性との間に生まれた子でもあり、長男とは言え、部屋住みのような立場。(父の正妻(継母)と入れ替わりに実母とは6才で生き別れます
 
 決して恵まれたとは言えない環境の中、誰も訪れる人のない寂れた本願寺で、上人は、黙々と勉強します。

 そして、やっと43才で本願寺第8代を継職します

 
コメント
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